山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


竹内街道(古市~大泉緑地)

2019年1月6日(日)は、おおばこの会に参加した。
タイトルは「竹之内街道~古市から大泉緑地へ~」。

<概要>
おおばこの会の2019年初歩き。
スタートは近鉄南大阪線古市駅。ゴールは地下鉄御堂筋線新金岡駅。

例年、初歩きは天理教本部のお節会(おせち)に参加していたが今年はなし。
Tリーダーによると来年は復活するかもしれないとのこと。

竹内街道、奈良県側はお馴染み。
金剛山地を挟んで大阪府側の麓は何回か歩いたことがある。
しかし、羽曳野市(古市駅)以西、堺市(新金岡駅)方面への平地歩きは初めて。
行政区では羽曳野市、松原市、堺市を歩いた。

古市駅前から南西方向に歩き、日本武尊御陵参拝道と彫られた道標を見て右折。
ここから先はカラー舗装されており竹内街道を表していた。
すぐに日本武尊白鳥陵古墳(やまとたけるのみこと はくちょうりょう こふん)に到着。

古墳を時計回りに周回しょうとしたが、道が途絶えており引き返す。
峰塚公園(峯ヶ塚古墳)を目当てに西方向へ歩く。
この辺り竹内街道沿いに旧家が建ち並ぶ。
旧道沿いに「衝破除」と彫られた石柱が道と民家との境に埋め込まれているのが散見された。

軽里北交差点でR170に架かる歩道橋を渡る。
歩道橋から日食が見られた。
歩道橋を降りると峰塚公園・峯ヶ塚古墳に到着。
小休止となる。

峰塚公園を後にして、竹内街道に立つ道標や常夜灯を見ながら野中寺(やちゅうじ)へと向かう。
廻鶴池の縁を歩き、児童公園を過ぎると、旧道らしく辻に常夜灯(太神宮)と道標「右 大坂 さかい 道 / 右 はせ 天保七年 / 法名××」が立っていた。
その向いには道標を兼ねた地蔵菩薩像「右ハ 者せみち 左ハ 奈らみち」。
近鉄バス野々上バス停の手前に、「元野中寺伽藍礎石 / 昭和三年三月」と刻まれた石柱が立つが、礎石は何処にあるのかよくわからない。

野中寺は聖徳太子建立四十六院の一とも称するところから、叡福寺の「上の太子」将軍寺の「下の太子」に対し「中の太子」と俗称せられている。
石人像を観たかったが、京都の高麗美術館に移転されていた。残念。

野中寺を後にする。
天仁病院前で車道から少し離れ旧道へ立ち寄ると立派な道標が立っていた。
「右 大坂 さかいみち 左 まきの寺 さやま / 左 ふじい寺 大みね いせ はつせ つぼ坂 / 文政十二年 / 堺施主 神南辺隆光」と刻まれている。
この“神南辺隆光”という人物、比較的知られているようだ。

東除川(ひがしよけがわ)に架かる旧伊勢橋の欄干が現在の橋の脇に置かれていた。
八王神神社、丹治(たじ)はやプラザ(丹比図書館)を見て進む。
近鉄バス野村バス停前で石仏を安置した覆屋とその横に日吉神社がある。
日吉神社の重厚な常夜灯は印象に残る。

更に西へ歩くと、目薬石と記された石が置かれていた。
この頃、昼食時間となったが、このまま進んでも昼食の適地がないようなので、日吉神社まで引き返し、大座間池の縁、桜の木が植林された横で昼食となる。
池の縁は風が強かったので、風を避けて昼食タイム。

昼食後、野霊園前を通って竹内街道を更に西へ歩く。
阪和道の高架下を潜る手前で、行政区が羽曳野市から松原市となる。
緑の一里塚で「竹内街道と立部遺跡」の説明板を見る。

暫く歩くと街道の左側に道標と、竹内街道とこの道標についての説明板が立っている。
道標には「左 ふちゐ寺 上太子 やまと 道 / 右 さやま かうや 左 ひらの 大坂 道 / 寛政九年丁巳五月 いせこう中」と彫られていた。

街道の右側(北)角に、松原南コミュニティセンターがあってその角にも道標と説明板があった。
「右 ひらの 大坂 道 / 左 さやま 三日市 かうや 道 / 左 さ可い 道 / 寛政九年丁巳五月 いせこう中」と彫られている。

やがて街道沿いに「岡の太子堂」と呼ばれるところに出る。
“岡”とは住所の名前。
岡公民館前から清堂川に架かる岡橋を渡り丹南北交差点でR309を横断。
この先で、行政区が松原市から堺市へ変わった。
西除川(にしよけがわ)に架かる西除橋を渡る。

野遠町(のとうちょう)会館前を経て(野遠)八坂神社に立ち寄る。
境内に「心のわがまち」と記された案内板が立っていた。

堺市立八下中学校前から大泉(おおいずみ)緑地に入る。
当日は第35回 大阪新春 マラソンが行われておりゴールとなっていた。
バーベキュー広場「GoodBBQ」、ふれあいの庭と歩いて中央休憩所で水鳥を見ながら小休止。

大泉緑地を後にし、西へ向かって歩き、15時23分に地下鉄御堂筋線新金岡駅にゴールした。

画像はこの日歩いた古市駅から新金岡駅までのGPSログを表示。



<コース>
9:27近鉄南大阪線古市駅9:34_道標(仁腎(にんけん)天皇 清寧(せいねい)天皇 日本武尊御陵参拝道 / 大阪皇陵巡拝會建設)_日本武尊白鳥陵古墳(やまとたけるのみこと はくちょうりょう こふん)を半周_道標(←峯ヶ塚古墳0.7km<竹内街道>古市駅0.5km→)_説明板(ウォーキング・トレイル)_民家(梅原軽金属工業)の狛犬一対_石柱(衝破除)が随所に見られる_軽羽迦(かるはか)神社_軽里北交差点でR170に架かる歩道橋を渡る_歩道橋から日食が見られた(地球から見て太陽の一部が月に隠れる部分日食)_峰塚公園・万葉歌碑(霞立つ 野の上の方に 行きしかば うぐいす鳴きつ 春になるらし)・説明板(古市古墳群)・絵図(峰塚公園)・説明板(史跡 峯ヶ塚古墳)_高松池_廻鶴池_児童公園_常夜灯(太神宮)・道標(右 大坂 さかい 道 / 右 はせ 天保七年 / 法名××)_道標を兼ねた地蔵菩薩像(右ハ 者せみち 左ハ 奈らみち)_道標(野中寺 0.2km)_石柱(元野中寺伽藍礎石 / 昭和三年三月)・説明板(歴史街道)_近鉄バス野々上バス停前_野中寺(やちゅうじ)_説明板(史跡 野中寺旧伽藍跡)・石柱(聖徳太子 御遺跡 第五番 中之太子 野中寺)・説明板(野中寺金堂跡 / 野中寺塔跡 / ヒチンジョ池西古墳石棺)・石柱(地蔵大菩薩 中之太子)・案内板(石人像の保管場所移転のお知らせ)・八臂辨財天・野中寺霊園・六地蔵・お染・久松の墓所・説明板(史跡 野中寺旧伽藍跡)_道標(←緑の一里塚 1.5km 野中寺 0.6km→)_落ヶ池_天仁病院前_道標(右 大坂 さかいみち 左 まきの寺 さやま / 左 ふじい寺 大みね いせ はつせ つぼ坂 / 文政十二年 / 堺施主 神南辺隆光)_東除川(ひがしよけがわ)に架かる旧伊勢橋の欄干(伊勢の橋/伊せはし/昭和六年三月架設)・東除川に架かる伊勢橋を渡る_八王神神社_丹治(たじ)はやプラザ(丹比図書館)前・道標(←野中寺1.8km 緑の一里塚0.3km)_樫山池_近鉄バス野村バス停前・覆屋・日吉神社・常夜灯_記念碑(野町会建立)・目薬石_緑の一里塚・説明板(竹内街道と野村)_元来た道を日吉神社まで引き返す_市立高年いきがいサロン5号館前_12:10大座間池・昼食12:50_野霊園前_道標(←緑の一里塚0.2km 松原市0.4km→)_道標(←野中寺2.3km 峰塚古墳3.0km 立部0.6km 正井殿1.2km→)_松原市と堺市の市境_立部東交差点_阪和道の高架下を潜る_立部東交差点_緑の一里塚・説明板(竹内街道と立部遺跡)_府営松原立部団地前_道標(左 ふちゐ寺 上太子 やまと 道 / 右 さやま かうや 左 ひらの 大坂 道 / 寛政九年丁巳五月 いせこう中)・説明板(竹内街道・中高野街道の寛政九年道標)_松原南コミュニティセンター・道標(右 ひらの 大坂 道 / 左 さやま 三日市 かうや 道 / 左 さ可い 道 / 寛政九年丁巳五月 いせこう中)・説明板(竹内街道)_説明板(岡の大師堂)・大師堂・説明板(竹内街道)_岡公民館前_清堂川に架かる岡橋を渡る_丹南北交差点でR309を横断_西除川(にしよけがわ)に架かる西除橋を渡る_石川鋳造所前_道標(竹内街道)_堺北八下(やしも)郵便局前_野遠町(のとうちょう)会館前_(野遠)八坂神社・堺市指定保存樹木くすの木・説明板_大池_富士ゴルフセンター前_堺市立八下中学校前_大泉(おおいずみ)緑地・第35回 大阪新春 マラソン会場・GoodBBQ・ふれあいの庭・中央休憩所・水流_光明幼稚園前_おさる公園前_新金岡市民センター前_府道28号線に架かる歩道橋を渡る_15:23地下鉄御堂筋線新金岡駅

<メモ>
・参加者総勢: 24名。
・コース歩行 (古市駅~新金岡駅までの所要時間と距離)
 距離: 約14.1km。
 時間: 5時間56分。
・実歩行 (自宅~自宅 正味歩いた時間と距離)
 距離: 約20.8km。(0.67m×30,975歩=20,753m)
 時間: 4時間48分。
 歩数: 3万1千歩。
・反省会:ニューミュンヘン 南大使館(難波千日前)

<参考>
竹内街道・横大路(大道)活性化実行委員会ホームページ
竹内街道
泉州・河内の道標を訪ねる。その①

民家の玄関先に置かれていた狛犬一対。
新しいものではなさそう。
羽曳野市軽里3丁目にて。



日本武尊白鳥陵古墳から峰塚公園(峯ヶ塚古墳)に向う途中に、「衝破除」と彫られた石柱が、民家と道の境に埋め込まれているのがあちこちで見られた。
“しょうはよけ”と読むらしい。

車両が民家の壁などを傷つけないように置かれた置石のようなものかと思っていたがそうではない。

なんだろ? 衝破除(しょうはよけ) ー 南河内に多いようです。によると、昔から往来の多い街道の辻には霊が宿ると考えられ、T字路やY字路の突き当りには行き交う人々の情念が溜まるところと考えられていたらしい。
そして、それを除くものとして「衝破除(しょうはよけ)」というものが考えられた。

こちらのサイトは奈良県内の衝破除について紹介している。
衝破除 (しょうはよけ)



この日は日食が見られた。
詳しいことは知らないが、地球から見て太陽の一部が月に隠れる部分日食。
軽里北交差点、R170に架かる歩道橋から。

つづく。



1月17日(木)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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