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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


(続)竹内街道(古市~大泉緑地)

八臂辨財天。
野中寺境内にて。



史跡 野中寺旧伽藍跡

当寺の創立は蘇我大臣といい、また聖徳太子建立四十六院の一とも称するところから、叡福寺の「上の太子」将軍寺の「下の太子」に対し「中の太子」と俗称せられている。
所在地の旧郷名が野中郷であってその地名による俗名を野中寺といい『日本霊異記』には野中堂と記している。
また正倉院文書によれば当郷は百済系渡来系氏族船史のちの船連の本貫であったから、その氏寺であったことが察せられる。
その創立年代は境内出土屋瓦から飛鳥時代にあることが考えられる。
境域には良く旧伽藍跡の土壇および礎石配列を止めるか対向する東の金堂と西の塔婆とを中心とするものでその伽藍配置は野中寺式とでも称すべき特色あるもおである。
なかんずく塔跡の刹柱礎石は刹柱の四柱座の周囲三方に添柱のそれをも彫り加えていて当市古市の西琳寺、法隆寺創建伽藍、橿原市橘寺等のそれに類例があり、ことにその舎利納置施設として柱穴側面に横穴を穿っているのが注目される点である。
なお創建当時の軒先瓦には弁上に忍冬文を記した特色あるものも含まれている。
当寺の現堂宇は享保年間以降、律僧恵猛により狭山藩主北条氏を檀越として再興されたもので、その僧堂は簡素な建物ではあるが、めずらしい遺構である。
なお、僧恵猛は現寝屋川市太秦の秦氏の出身であって『律苑僧宝伝』『日本高僧伝』等の伝記に載録されている高僧である。
平成三年一月 文化庁 大阪府教育委員会 羽曳野市教育委員会)



昔懐かしい郵便ポスト。
郵便物の取集時間が記されており現役だった。



竹内街道に立つ道標。

道標「右 大坂 さかいみち 左 まきの寺 さやま / 左 ふじい寺 大みね いせ はつせ つぼ坂 / 文政十二年 / 堺施主 神南辺隆光」。
天仁病院前の旧道にて。

神南辺道心の墓



Jan.18(Fri)18:22 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

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