近松門左衛門ゆかりの地2 |
|
|
| 近松門左衛門の墓入口。
この左奥に墓があるが、この日は多人数で訪れていることもあってお参りせず。
| |
|
| 国指定史跡 近松門左衛門墓
近松門左衛門は、享保九年(一七二四)に七二歳で没した。 近世で最も著名な劇作家の一人である。 近松は、竹本義太夫や二代目義太夫のために百作を越える浄瑠璃を著す一方で、坂田藤十郎のために三十数作の歌舞伎狂言を著している。 「曾根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は、今日に通じるところも多く、伝統芸能や演劇・映画などの中で再創造され、たくさんの人々に感動を与え続けている。 近松門左衛門墓は、当初近くの法妙寺(現在大東市へ移転)境内にあったが、昭和五五年(一九八○)財団法人住吉名勝保存会はじめ市民の方々の協力を得て、当地に移転し、整備が図られた。 平成七年十月二十八日 大阪市教育委員会
| |
|
| 小春・治兵衛の比翼塚と鯉塚
享保5年(1720)10月14日、天満の紙屋の主人治兵衛と曾根崎新地の遊女小春が大長寺で心中しました。 近松門左衛門がさっそくこれを浄瑠璃にしたてたのが名作「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」で、人々が2人をあわれんで建てたのがこの比翼塚です。 大長寺はもと網島(現在の藤田美術館敷地内)にありましたが、明治42年いまの場所に移転し、それとともに塚も移されました。 比翼塚のとなりに鯉塚があります。 寛文8年(1668)淀川でとれた巴の紋のついた大きな鯉に「滝登鯉山居士」の法名を与え葬ったものと伝えられています。
おしまい。
| |
|
10月6日(土)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|