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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.8天保一揆と国宝善水寺

国宝 善水寺本堂 一棟

所有者 善水寺
所在地 甲賀郡甲西町大字岩根
指 定 明治三二年四月五日

善水寺の創立は古く奈良時代の和銅年間で、この本堂は延文五年(1360)の火災後、貞治三年(1364)に再建されたと伝えられる。
本堂は桁行七間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺の大型仏堂である。
平面は前方二間通りが外陣、後方三間が内陣、脇陣、後陣からなり、後陣の中五間の後方に庇を張り出す。
柱は丸柱で長押を廻し、頭貫に木鼻を付けない。
組物は出組、支輪付き、中備えは間斗束である。
内外陣境は格子戸・菱欄間で区画し、床はすべて板張り、天井は組入天井で、側廻り(庇)は化粧屋根裏とする。
内陣の須弥壇上には附指定の厨子を安置する。
この本堂は外陣虹梁の架構に特徴がある。
一般的には入側柱と内外陣境柱の梁間に虹梁を架け、柱を省略するが、ここでは桁行方向の三間に大虹梁を架け、入側中央二本の柱を抜き、外陣の空間を広くしている。
この本堂は和様を基調としながらも、大きな断面の丸桁、繰り型付き実肘木、虹梁持ち送り肘木、手挟彫刻、桟唐戸など禅宗様式を取り入れ、金剛輪寺本堂と共通点が多いことにも注目される。

平成十年三月 滋賀県教育委員会



法華塔と善水元水。
善水元水を口に含んでみたが美味しい。



善水寺と善水の由来

傳教大師最澄上人がこの寺へ来られた時、京で病んでおられた桓武天皇に、境内百伝(ももつて)の池水を汲んで、医王善逝の秘法によって加持された香水を、献上されたところ、忽ち病が快癒され、その喜びを縁として、「岩根山善水寺」と号されました。
【以下省略】



寺名の由来となった百伝池。(ももつてのいけ)
本堂の中から撮影。



善水寺を辞し、観音堂の手前まで戻る。

つづく。



2月3日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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