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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.10岸和田城と周辺散策

岸和田城絵図に記された「岸和田城の変遷」。

建武元年(1334年)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、寛永17年(1640年)岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えました。
岸和田城の別称は「猪伏山滕城(いぶせやまきりじょう)。「滕」(きり)」とは、機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「滕」に似ているところから由来するといわれています。
また、城は「千亀利(ちきり)城」「蟄亀利城」とも書かれます。
文政10年(1827年)、雷火により五層の天守閣が焼失し、昭和29年(1854年)、その後に三層の天守閣が復興されました。
城跡は、昭和18年(1943年)に、大阪府の史跡として指定されました。



大手櫓門(やぐらもん)から入城する。
城内は自由。天守閣拝観料:300円。



大手櫓門を潜ると、いきなりだが大釜が置かれている。


説明書きによると、酒造用に使われていた「甑(こしき)用大釜」。
城内で使われていたものではなさそう。
何故ここに置いてあるのか不明。



国指定名勝 岸和田城庭園(八陣の庭)。

つづく。



Apr.29(Wed)05:05 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

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