山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.23木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

12時51分、昼食を終え、再び歩き出す。
画像は東海自然歩道の案内図で、押原~柳生までの区間を示している。
現在地は戀志谷神社。
この日、我々の出発地点は笠置橋付近(笠置駅)で、ゴールは高山ダムを経て今山付近(月ヶ瀬口駅)。



真輪院前を通過。
このお寺をネット検索すると下記に詳しく紹介されていた。
[南大河原/寺社]真輪院(Shinrinin Temple)
上記のサイトによると、
『明治43(1910)年に、北大河原の真蔵院と南大河原の十輪寺とが合併し、それぞれから1字ずつとって新しい寺院名となって誕生した寺院。
真蔵院は、江戸時代初期に開かれた真言宗の寺院。
十輪寺は、柳生友矩の菩提を弔うために、柳生宗冬が正保4(1647)年に創建した。
剣豪・柳生宗矩は、柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南をつとめた。
息子には、十兵衛、友矩、宗冬らがいます。
友矩は、将軍家光から大名になるよう再三すすめられましたが、若くして亡くなりました。
弟の宗冬は友矩の死を悲しんで、十輪寺を建てたとのことです。
隣の天満宮社とあわせ、柳生家と深いかかわりがあります。』



祠の向こう側に十三重石塔が見える。

「十輪寺寺跡の十三重塔 大字南大河原」の説明板によると、

花崗岩製十三重塔で基礎の側面四方は素面である。
塔身は高さ28センチメートル、幅は29.8センチメートル、下端は29センチメートルで月輪内に種字でウーン(阿閦)、タラーク(宝生)、キリーク(弥陀)、アク(不空成就)の金剛界四仏種子を配している。
この塔は軒反の萎縮等から考えて室町時代中期の造立と考えられる。

南山城村教育委員会



車道を歩く。歩道はない。
時折、クルマが猛スピードで走ってくる。
この先分岐。



正面に見える木津川に架かる大河原大橋を渡らずに手前で右折。

つづく。



11月30日(火)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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