No.25木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ) |
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| 道路脇に現れた雄滝。
動画撮影した画像はこちら。
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| 滝を観て暫く(2分程度)歩くと、東海自然歩道の案内板と簡易ベンチが置かれたコーナーに出た。
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| 東海自然歩道の案内図は、先程見たものと変わらず。 現在地が高山ダム寄りになっているだけ。
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| 目前には素晴らしい景観が広がっていた。
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| 景観が観られたすぐ横に案内板が立っていた。
「弓ヶ淵の伝説 大字北大河原・南大河原 →」 この付近は大河原発電所の取水えん堤ができ景観がかわったが、太古からの大きな深淵を通称〝弓ヶ淵〟という。 天和2年(1682)に書かれた「茅栗草子」(菊岡如幻)には次のように記されている。 「昔、この地に大和守菅道臣という人がおった。 名張の大領の女を奪いとって、島ヶ原の里に近い伊賀田という所にひそかに隠し住まわせておいた。 やがて一人の童子をもうけた。 ところがこのことが明らかになり、名張の大領の徒党が討手にさしむけられた。 道臣は戦いにやぶれて、弓を引っ提げて、崖上より深淵に飛び入って自害した。 妻女もつづいて身をなげて死んだ。 以後その亡霊が、いつ時を決めず、島ヶ原の観音堂に参詣しているということだ。」
弓ヶ淵という名称の起源説話ともいえる。 ......................... 「明神の滝 大字北大河原 ←」 老松やさつきの生えた巨岩が木津川の河原に有り、地元の人は白滝明神という。 この地域、滝といっても川幅が狭くなり急流をなしている所で雄滝・雌滝と古くからいわれている所である。 古く奈良朝より木材供給の水運上重要な木津川の中でも、ここから笠置浜までは筏流の最大の難所であり、南都高僧が何回も笠置寺にこもって水運をひらいたとの古文書も残っている。 又、和州神野寺の僧も何回となくこの地を訪れ、河川の祈祷をした言い伝えもある。 この付近の河原は薪炭の集荷地でもあり、江戸時代には「滝の鮎」と称された鮎の群集地であった。
南山城村教育委員会
つづく。
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11月30日(火)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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