No.17長野神社_烏帽子形山城跡_高向神社_金剛寺 |
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| やがて左手に河内長野市立ふるさと歴史学習館が見えてくる。
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| 門を過ぎてすぐ、左側に石造物が順序良く並べられていた。 この様子から、元からここにあったものではなく、ここへ移設されたものだろう。
左から、一見すると「×野山 ×剛山」と見えるが、よく観ると「高野山 金剛山」と彫られていた。 その右、正面には「右 ふじい寺道」と彫られている。 更にその右は「左 かうやみ×」。“み×”は“みち”だろう。
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| 左から「右 かうや」。 その右、正面は「南無阿彌陀佛」。 右側面は「右 ふしいてらみち」。(この部分は別に撮影した画像を右横に貼り付けた)
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| これは方位盤と呼ばれるもの。 国内の各都市と、皇居・伊勢神宮、中国・朝鮮半島、東南アジアの主要都市が示されている。 昭南島(=シンガポール)もある。 このことから、方位盤が製作されたのは1942年~1945年頃だろう。 日本占領時期のシンガポール
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| 暫くすると、Tリーダーから先行している私に電話が入り、この日は、ふるさと歴史学習館を見学しないとのこと、なのですぐにここを切り上げ、Tリーダーに合流すべく向かった。 画像は一個だけ残っていた柿の実。
つづく。
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Dec.29(Wed)05:52 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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