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下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺31

當麻寺

當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんもりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せています。
用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇二十年(六一二)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳十一年(六八一)に麻呂子王の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。
金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門などが独特の伽蓋配置で建ちならんでいます。
とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。
宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以後現在まで真言浄土の二宗を併立し八ヶ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちになっています。
また金堂にある弥勒仏座像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えており国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。
ボタンの名所としても有名で四月中旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落ちついた雰囲気に色をそえています。
四月十四日には、中将姫ゆかりの “練供養”が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。
 平成元年3月 葛城市観光協会



境内図を拡大したもの。
現在地を赤矢印で表示した。(右側の中)



當麻寺を後にする。
画像は境内を振り返って撮影。



仁王門を潜って石段を下りる。


(當麻村)道路元票と見られる。
上部が欠けている。

【AI による概要】
當麻村道路元標の特徴
・設置場所:奈良県葛城市當麻、當麻寺の仁王門周辺
・歴史的背景:大正10年(1921年)の旧・道路法施行に伴い、当時の市町村長が置く場所とされた道路の起点・終点、および距離計算の基準となった標柱です。
・現在の様子:かつての當麻村の歴史や、古くからの参道・街道筋の面影を伝える道路元標の遺構として、現在も現地に残されています。

【参考】
歴史
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、葛下郡当麻村、勝根村、加守村、今在家村、染野村、新在家村の区域をもって當麻村が発足。
・1896年(明治29年)3月29日 - 所属郡が北葛城郡に変更。
・1956年(昭和31年)4月1日 - 磐城村と合併し、改めて當麻村が発足。
・1966年(昭和41年)4月1日 - 當麻村が町制施行して當麻町となる。
・2004年(平成16年)10月1日 - 新庄町と合併して葛城市が発足。同日當麻町廃止。

つづく。



8月12日(水)06:08 | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

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コメント

 1: 詳細な紹介!感謝

當麻町道路元標、間もなく忘れ去れる姿です。
丁寧な紹介、説明、ありがとうございます。


 by Yonchan | 8月12日(水)08:06

 2: いつもお越し下さり、

有難うございます。
それにしても、毎日、暑いですね。

道路元標は遺物ではなく遺構として、大切に守って欲しいものです。


 by oka-nara | 8月12日(水)08:43


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