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2026年8月12日を表示

シューベルト 幻想曲 D.940 ルーカス&アルトゥール・ユッセン 2020

シューベルト 幻想曲 D.940 ルーカス&アルトゥール・ユッセン 2020を視聴してみよう。
幻想曲D940
Lucas and Arthur Jussen

Schubert: Fantasie in F minor - Lucas & Arthur Jussen (live from the Concertgebouw)
【Google翻訳】
コンセルトヘボウでは、新型コロナウイルスの影響で111日間コンサートが中止されていましたが、ルーカス(27)とアーサー(23)ユッセン兄弟が、この美しいホールで公式コンサートを行った最初のアーティストとなりました。
この記念すべき録音は、バンクギロロテライ・シリーズとタングルウッド音楽祭の協力により実現しました。
このビデオでは、ユッセン兄弟がシューベルトの有名な幻想曲ヘ短調を演奏しています。
ライブ録音 – 2020年7月1日、アムステルダム・コンセルトヘボウ



8月12日(水)20:09 | コメント(0) | 音楽 | 管理

下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺34

相撲開祖當麻蹶速の塚 (すもうかいそたいまけはやのつか)

日本書紀によると、「當麻の村に、大変勇ましく強い人がいてその名を當麻の蹶速という。その性格は大変な怪力で、動物の角を引き欠いたり曲がっている鉄の鉤を引き伸ばしたりします。
そして、いつも人に語るのに、日本の国ひろしといえども、とうてい自分の力にかなう者はあるまい、なんとかして力の強い者にあって、命がけで力しらべをしたいものだ、と語っていました。」このことを天皇がお聞きになり、臣下に仰せられた。「もし誰かこの男にかなうような強い者がほかにはいないだろうか」と。
すると一人の臣下が進み出ていうのに、「私は出雲の国に野見の宿禰と言う力の強い人がいると言うことを聞いています。それでこの人をよびよせて蹶速と力比べをさせてみてはどうか」と言った。
そこで、垂仁天皇の七年七月七日を期して、當麻の蹶速と野見の宿禰とに日本国技として初の天覧相撲を取らせることになった。
二人は互いに向かいあって立ち上がり、おのおの足を高くあげて蹴り合い、力闘の末、當麻の蹶速は野見の宿禰にあばら骨を踏み折られ、またその腰を踏み折られてしまい、敗者となってしまった。
當麻の蹶速は高慢な人のようですが、実際には都ずれしない素朴で野生的な性格のため、朝廷の人々と相いれなかったと想像されます。
そのため、当地の人々からはかえって親しみをもたれた。石塔は田畑の中に鋤かれることなく、現在まで貴重な遺跡として残されているのです。

勝者必ずしも優ならず時には勝機と時運に恵まれず敗者となることもある。
勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙をそそぐべきではないか。



「鉄砲柱」。


鉄砲柱 寄贈者 大阪府和泉市 北野木材

「日本書紀」には、相撲の始まりとして當麻蹶速と野見宿禰の力比べの話が書かれています。
そのカ比べで踊速は命を落としますが、今日に至っても、この地で、地元の人々の手により祀られています。
「相撲発祥の地」に訪れる誰もが自由にこの柱に触れ、突き、体験することで、相撲に親しんでいただけたらとここに鉄砲柱を設けました。
 平成二十七年六月二十日設置 葛城市観光協会



隣接する「相撲館けはや座」に展示されていた力士像。


力士像「闘士」 京都市 山口享祐作

この作品は力士の荒ぶる闘争心や躍動感を表現したものです。
モデルになった力士は、横綱千代の富士と貴乃花関です。
力士の大型化が進む中、小兵のハンデを技のきれでカバーし、そのしなやかな筋肉は「柔よく剛を制す」がはっきりと伝わり、相撲を取る前の緊張感と全身から出るオーラのようなものがはっきりと見えてきました。その感じたイメージをそのまま作品として仕上げました。
技法は粘土を使用した塑像と呼ばれるもので、粘土を使うことにより、顔や筋肉の力強さを表現し、加えて作者の魂を込め、それを石膏で型を取り合成樹脂で仕上げました。 作者 山口享祐

つづく。



8月12日(水)06:25 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺33

参道南、當麻交番の前に置かれていた道標。
「右 つ本(ほ)坂 よしの / 大ミ祢 / 髙埜(野)山」。
「すく 神武帝陵 多(た)うのミ祢 / よし能(の)道」。



左側面には「は勢(せ) い世(せ) 道」と刻まれているようだ。


そして、道標の向かい(北)に「史蹟 当麻蹶速塚」。


この五輪塔は日本書紀に登場する相撲の始祖・當麻蹶速(たいまのけはや)の塚と伝えられている。

【AI による概要】
五輪塔の特徴
・歴史: 最上部や火輪の形状などから、鎌倉時代後期の作と推定されています。
・伝承: 垂仁天皇の時代に野見宿禰(のみのすくね)と戦って敗れた、当麻蹴速の墓所と語り継がれています。



當麻蹶速之碑。

つづく。



8月12日(水)06:16 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺32

【AI による概要】
画像に写っている赤い花は、ツバキの品種である「紅唐子(べにからこ)」(関西での呼び名:日光 / じっこう、中部での呼び名:紅卜伴 / べにぼくはん)です。

特徴
・花の特徴: 濃い赤色の一重咲き(外側の花びら)で、中心の雄しべが小さな花びら(旗弁)に変化してこんもりと盛り上がる「唐子咲き(からこざき)」と呼ばれる珍しい咲き方をします。
・開花時期: 主に2月〜5月頃に花を咲かせます。
・用途: 古くから茶花や庭木の名品として親しまれており、京都の寺院などでも多く見られます。



【AI による概要】
画像に写っている赤い花は、中心が渦巻くような特徴的な咲き方をするツバキ(カメリア)の品種、雲珠(うず)または紅乙女椿(ベニオトメツバキ)などのラッパ咲き・バラ咲き・千重咲き系の品種に似た美しい花びらをつけています。



【AI による概要】
画像に写っている植物は、キジカクシ科(旧ユリ科)アマドコロ属のアマドコロ(またはナルコユリ)の斑入り品種(園芸名で「ナルコラン」や「フイリアマドコロ」などとして流通することが多いもの)と思われます。

→ 園芸品種だろう、特定することは難しい。



参道脇に小堂が見えたので立ち寄る。


地蔵菩薩立像。
優しいお顔をされていた。

つづく。



8月12日(水)06:12 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺31

當麻寺

當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんもりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せています。
用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇二十年(六一二)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳十一年(六八一)に麻呂子王の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。
金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門などが独特の伽蓋配置で建ちならんでいます。
とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。
宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以後現在まで真言浄土の二宗を併立し八ヶ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちになっています。
また金堂にある弥勒仏座像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えており国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。
ボタンの名所としても有名で四月中旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落ちついた雰囲気に色をそえています。
四月十四日には、中将姫ゆかりの “練供養”が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。
 平成元年3月 葛城市観光協会



境内図を拡大したもの。
現在地を赤矢印で表示した。(右側の中)



當麻寺を後にする。
画像は境内を振り返って撮影。



仁王門を潜って石段を下りる。


(當麻村)道路元票と見られる。
上部が欠けている。

【AI による概要】
當麻村道路元標の特徴
・設置場所:奈良県葛城市當麻、當麻寺の仁王門周辺
・歴史的背景:大正10年(1921年)の旧・道路法施行に伴い、当時の市町村長が置く場所とされた道路の起点・終点、および距離計算の基準となった標柱です。
・現在の様子:かつての當麻村の歴史や、古くからの参道・街道筋の面影を伝える道路元標の遺構として、現在も現地に残されています。

【参考】
歴史
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、葛下郡当麻村、勝根村、加守村、今在家村、染野村、新在家村の区域をもって當麻村が発足。
・1896年(明治29年)3月29日 - 所属郡が北葛城郡に変更。
・1956年(昭和31年)4月1日 - 磐城村と合併し、改めて當麻村が発足。
・1966年(昭和41年)4月1日 - 當麻村が町制施行して當麻町となる。
・2004年(平成16年)10月1日 - 新庄町と合併して葛城市が発足。同日當麻町廃止。

つづく。



8月12日(水)06:08 | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


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