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下田駅_鹿島神社_杵築神社_阿日寺_当麻寺34

相撲開祖當麻蹶速の塚 (すもうかいそたいまけはやのつか)

日本書紀によると、「當麻の村に、大変勇ましく強い人がいてその名を當麻の蹶速という。その性格は大変な怪力で、動物の角を引き欠いたり曲がっている鉄の鉤を引き伸ばしたりします。
そして、いつも人に語るのに、日本の国ひろしといえども、とうてい自分の力にかなう者はあるまい、なんとかして力の強い者にあって、命がけで力しらべをしたいものだ、と語っていました。」このことを天皇がお聞きになり、臣下に仰せられた。「もし誰かこの男にかなうような強い者がほかにはいないだろうか」と。
すると一人の臣下が進み出ていうのに、「私は出雲の国に野見の宿禰と言う力の強い人がいると言うことを聞いています。それでこの人をよびよせて蹶速と力比べをさせてみてはどうか」と言った。
そこで、垂仁天皇の七年七月七日を期して、當麻の蹶速と野見の宿禰とに日本国技として初の天覧相撲を取らせることになった。
二人は互いに向かいあって立ち上がり、おのおの足を高くあげて蹴り合い、力闘の末、當麻の蹶速は野見の宿禰にあばら骨を踏み折られ、またその腰を踏み折られてしまい、敗者となってしまった。
當麻の蹶速は高慢な人のようですが、実際には都ずれしない素朴で野生的な性格のため、朝廷の人々と相いれなかったと想像されます。
そのため、当地の人々からはかえって親しみをもたれた。石塔は田畑の中に鋤かれることなく、現在まで貴重な遺跡として残されているのです。

勝者必ずしも優ならず時には勝機と時運に恵まれず敗者となることもある。
勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙をそそぐべきではないか。



「鉄砲柱」。


鉄砲柱 寄贈者 大阪府和泉市 北野木材

「日本書紀」には、相撲の始まりとして當麻蹶速と野見宿禰の力比べの話が書かれています。
そのカ比べで踊速は命を落としますが、今日に至っても、この地で、地元の人々の手により祀られています。
「相撲発祥の地」に訪れる誰もが自由にこの柱に触れ、突き、体験することで、相撲に親しんでいただけたらとここに鉄砲柱を設けました。
 平成二十七年六月二十日設置 葛城市観光協会



隣接する「相撲館けはや座」に展示されていた力士像。


力士像「闘士」 京都市 山口享祐作

この作品は力士の荒ぶる闘争心や躍動感を表現したものです。
モデルになった力士は、横綱千代の富士と貴乃花関です。
力士の大型化が進む中、小兵のハンデを技のきれでカバーし、そのしなやかな筋肉は「柔よく剛を制す」がはっきりと伝わり、相撲を取る前の緊張感と全身から出るオーラのようなものがはっきりと見えてきました。その感じたイメージをそのまま作品として仕上げました。
技法は粘土を使用した塑像と呼ばれるもので、粘土を使うことにより、顔や筋肉の力強さを表現し、加えて作者の魂を込め、それを石膏で型を取り合成樹脂で仕上げました。 作者 山口享祐

つづく。



8月12日(水)06:25 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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