山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 
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ウォーキング・散策

生駒駅から帰宅3

この花後の植物、名前を知らない。開花していたらわかるかも。


この木は、最近、家内が見つけたものだ。クワの仲間でハマグワだと思う。黒っぽく熟した実が甘くて美味しいが、人家の庭に植えられているので、採って食べることは出来ない。それにしても鈴なりだ。熟した実は地面に落ちていて、家の人が採取して食べられている様子はない。これだけあれば、ジャムが出来るだろう。木はそれほど大きくない。それにしても、野鳥はこの実を食べないようだ。不思議だ。私が知らないだけで実際は野鳥が食べに来ているのかもしれない。いつか、ここに住まわれている方と出会ったら、この木を植えられたいきさつをお聞きして、小枝を少し分けてもらえないか、話してみようと思う。挿し木をするのだ。クワは丈夫な木なので、挿し木はたやすいだろう。


こちらも見たことがないものだ。実だろうが。
※この植物の名前は、コボウズオトギリ(小坊主弟切)と呼ぶそうな。



アジサイが見頃だが、カラツユで日焼けしそう。北側に植えられていて正解。ということで無事自宅に到着した。


6月17日(月)19:52 | コメント(6) | ウォーキング・散策 | 管理

生駒駅から帰宅2

坂道のピークからは、東方向の眺めが良い。そしてこの先、下り道となるが、ここから新しい道路を建設中なのだ。


暫く直進して左折すれば自宅だが、住宅地の中をくねくねと歩くことにした。なので、最初の分岐を左折する。住宅地の中を歩く方が、クルマに注意する必要がないし、庭に植えられている花などを見ながら歩ける。この住宅地は私たちが住んでいる自治会とは別だ。こちらの方が新しい。


トサミズキの新緑。葉っぱに特徴がある。少しワッフルに似ている。


左はアガパンサス。自宅にもあるが、まだ開花していない。これとまったく同じ状態だ。


6月17日(月)19:48 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

生駒駅から帰宅1

2013年6月16日(日)は、午前中、生駒市図書館で開催された生駒民俗会の例会に飛び入りで参加した。画像は生駒市図書館。


午前の部が終わって、午後からは場所を変えて、フリートークならぬ、フリードリンクとなった。開催場所は生駒駅近くのお馴染みの店。参加したのは、S氏とN氏夫妻、当日、受付を担当されていたお二人の女性、そしてT氏と私の7人だった。尚、受付を担当されていたお二人の女性の内、お一人は、途中で帰宅された。何でもこの後、奈良市に出向く用件がおありとのことだった。フリートークでは、丹生、水銀、水分、空海、風葬など、いろいろと興味深いお話をS氏からお聞きした。画像は午後からの開催場所。


フリートークは延々3時間近くに及んだ。3時前に生駒駅で皆さんとお別れし、菖蒲池駅で下車。駅からのんびりと歩く。この時乗った近鉄電車は冷房がよく利いていたが、電車から出ると、真夏日でカンカン照りだった。菖蒲池駅南口に新しくオープンしたコンビニに入ってみる。家族へのお土産に、何か目ざとい商品があるかも、と思ったが、ありきたりの商品ばかりでイマイチ。結局、何も買わずに店を出る。三叉路の角にあるスーパーマーケットに入るつもりだったが、その手前にある小さなケーキのお店が、前から気になっていたので入ってみた。ショーケースには数多くのケーキが並んでいたが、その中から3つ選んだ。帰宅してから、食べたが、リーズナブルな価格で、甘さは抑え気味、買って正解だったと思う。家族にも不満はなかった様子。画像はケーキの店。


蛙股池まで下ってきた。菖蒲池駅からだと、ここまでは全体としては緩やかな下り道となる。やがて、急な登りとなるが、長くは続かない。画像は逆光となった。


6月17日(月)19:36 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

富雄駅までウォーキング2

学園前駅北口から富雄駅まで、どの道を歩くか少し迷ったが、携帯で地図を見ると、近鉄線に沿って、北側の車道を歩くのが、最短距離だろうし、迷うこともないので、ここを歩くことにした。今日は歩かないが、この踏み切りを渡ると、学園中1丁目へと抜ける。クルマは通行出来ない。学園中1丁目は、旧名称では柚木谷で、学園前が現在のように発展する前は、この近辺には、柚木谷の集落しかなかった。(古地図による)


Salon de Peau 百楽園、これは、エステサロンみたい。


踏み切りの向こう側は、RCBA、ロシアクラシックバレエアカデミーとなっている。


やがて、センターラインのない車道歩きとなった。右側は百楽荘。近鉄直営の料亭だ。昔の呼び名は百楽園だったように思う。前方に富雄駅のプラットホームが見える。富雄駅到着は9時20分で、自宅から約45分かかった。


富雄駅から電車に乗る。このまま歩けば、到底、10時には生駒図書館には到着出来ない。線路沿いを歩いたのは、このことも考慮に入れていた。また、富雄駅から東生駒駅へ歩くルートが分かりにくい。この間、電車ではトンネルがある。電車に乗ったのは正解で、9時45分頃に、生駒市図書館に到着した。画像の茶色建物がそれ。尚、この日、道路沿いの花壇で、市民の方たちが、手入れをされていた。おしまい。


6月16日(日)23:00 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

富雄駅までウォーキング1

2013年6月16日(日)は、生駒民俗会の第333回例会(講演会)に参加することにした。講演時間は10時から約2時間、場所は生駒市図書館で最寄り駅は近鉄奈良線東生駒駅から徒歩約10分。尚、生駒民俗会の例会に参加するのはこれで2回目。今日のテーマは「中世末の生駒の供養塔-その建立事情を探る-」という内容、講師はS先生。デジメのみ紹介すると、
1.奈良県、生駒地方は石造遺品の宝庫 2.生駒の史的背景 3.中世後期に供養碑が集中 4.建立時代の世情 5.欠損、磨崖石仏はなぜ 6.供養塔には村落民の深い思いが凝結
講演は、私にとって興味のあるテーマで、参加して良かったと思っている。
尚、このブログでは、この講演に参加する為、自宅から近鉄奈良線富雄駅まで歩いたウォーキングの記録をアップすることにした。

8時35分頃に自宅を出発。画像は自宅付近、新しい道路の建設現場だ。この道路は菖蒲池駅方面から、第二阪奈道路方向へと抜ける車道だ。



これが奈良市のマンホールの蓋(汚水)。真ん中に奈良市の市章、鹿とサクラをデザインしている。


民家の玄関先に鉢植えされていたアジサイ。尚、この日、矢田寺へ紫陽花を見に行かれたN氏によると、満開とのことで、ここ数年、開花時季は遅かったが、今年はそうでもないようだ。


近鉄奈良線の陸橋を渡る。画像は陸橋から西方向を撮影。線路沿い左に見える建物は、長方形が奈良市西部会館、その左、円形の建物から左へと続く建物は帝塚山学園。これらの建物があるところの右が学園前駅だ。ちなみに、この陸橋から東を見ると、菖蒲池駅のプラットホームが見える。


陸橋を渡って、すぐに歩道を下る。その後は近鉄奈良線に沿って北側の車道を歩く。車道と云っても、住宅地なのでクルマはほとんど通らない。この日は一台も通らなかった。やがて学園前駅北口の改札前を通る。


6月16日(日)22:49 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く6

畑もあって、農業を営まれているのだろうか。ご自分の家で食べる野菜程度かな。


すぐ向かいでは建設工事中で、また何か新しい建物が建つのだろう。画像右の建物は奈良市立青和小学校の校舎。


少し北へ歩くと学園緑ヶ丘で住宅地となる。画像は住宅地から南方向を撮影した。眼下に畑がある。右の建物は、先ほどの青和小学校の校舎。


南へ歩くと、なんとこれが、学園前かという光景に出合ってうれしくなった。これは風呂の薪だろう。まさか“かまど”に使うということはないと思うが。


そして道なりに東へ歩くと、奈良女子大学付属小学校の前に出た。住所表示は百楽園1丁目だった。来た道を戻り、学園前駅の前を通って自宅に戻った。自宅近くの蛙股池で珍しいことに虹を見た。おしまい。


5月7日(火)23:25 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く5

一旦、自宅へ戻り用事を済ませてから、再び、午前中の続きをする。自宅を出発したのは16時で、夕食の時間、18時までの2時間、古地図を見ながら、新田付近を散策することにした。画像は例の陸橋のすぐ近くで撮影。「南無阿弥陀仏」と刻まれている。大正時代の刻銘があった。


午前中歩いたお地蔵さんのところまで早足で歩く。新田(学園新田町)は、お地蔵さんから北西の方向に位置するようだ。奈良女子大学付属幼稚園、小学校の前を歩く。実は新田の古い集落はこのすぐ近く(北西100mくらい)だったのだが、北へ歩いてしまう。理由は北西方向は、住所表示では奈良市百楽園となっていたから踏み込まなかった。事実、新田公民館は百楽園1丁目にあった。


祠があったので、覗いてみた。室町時代の七福神だった。画像の文章、最後の方が読めないが、次のように記されている。「・・・この七福神は今の大安寺の田の中より約30年前に出土され室町時代に彫られたものと鑑定されておる。 昭和三十七年 造 」


こちらがその七福神。


スーパーハッスルの前を歩く。この先の三叉路から北へ歩いたが、マンションやら、有料老人ホームみたいな建物ばかりで、古い集落などどこにもない。暫く歩くと、学園新田町街区公園があったが、周りは新しい建物ばかり。東方向へ歩くと鶴舞西町で、北は南登美ヶ丘だった。付近を周回して、再びスーパーハッスルへ戻ってきた。ここから西へ歩くと、やっと見つかりました昔ながらの建物が。すぐ近くまで、開発の波が押し寄せていて、アパートがあったりする。


5月7日(火)23:18 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く4

学園前駅の北側に出てきた。パラディ学園前北館の北あたり。果たして、この道が古道なのかどうか。この先、怪しい階段が見えた。上の方は樹木が生い茂っていて、鎮守の森みたい。


階段の登り口に、こんなものが。どうやら、この階段を登りきると、お地蔵さんがおられるようだ。階段を登る。きっと、お地蔵さんが・・・。


果たして、予感は的中した。しかし、この場所は、古地図ではどのあたりなのだろう。新田の集落に入っていないが、お地蔵さんの管理は新田地区の方がお世話されているようだ。


お地蔵さんとご対面。


こちらにも石仏が。ここは小高い丘のようになっていて、僅かな時間だったが下界の喧騒を忘れさせてくれた。登ってきた階段とは別の北へ下る道を歩いて、住宅地に降りた。この後、自宅へ歩いて帰るのだが、快適な散歩道がないか、探索してみることに。静かな住宅地の中を歩き、クルマが通らない道が望ましい。来た時に目星を付けていた陸橋を渡って、近鉄線の北側に沿った道を歩いてみたが、期待通りの道で、自宅から学園前駅に向かう時は、このルートを歩こうと思う。午後からの散策に続く。


5月6日(月)21:44 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く3

まずは北側を歩く。すると、すぐに大和キリスト教会があった。


この教会の北側あたりに池があるはずだ。池の名前は知らない。雑木の向こう側(北)が池ではないか。


やはりと言うか、当然だが。だが、ため池としての役割を終えているように見える。浚渫がされていない。沼のようになっている。


地図で確かめる。どうやら、間違いないようだ。ここから西へ行けば、目指す“新田”だ。少しワクワクする。尚、これから歩く道は、先ほどの配水塔を挟んで北側の道だが、昔は南側だったかもしれない。


住宅地図があったので、現在地を確認する。先程の池は蒼池(あおいけ)だった。


5月6日(月)21:38 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く2

陸の三角州、或いはデルタ(δέλτα)と呼ぶのか、元の分岐に戻った。おっと、いきなり生駒山だわ。


このあたり、あやめ池南一丁目だ。こっちはシュロの花。右左とキョロキョロするのに忙しい。ちなみに生駒山は左、シュロは右。シュロは耕作放棄地によく見られるが、これは庭木として植えられたもの。


先程の陸橋に到着、道路と近鉄線をダブルで跨ぐ。


なんか遊歩道らしき道があったので、下ってみる。


後で調べたが、奈良市水道局あやめ池配水塔だった。この配水塔を挟んで、北側から西へ(新田)と続く道と、南側からも道がある。どっちが古道か。等高線から読むと、南側がそれらしい。どちらも歩いてみる。(結果的には、この先、再開発され道が寸断されているので、どちらが古道かは不明)


5月6日(月)21:32 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く1

2013年5月1日(水) 晴 以前、生駒市在住のT氏から、菖蒲池周辺の古地図をメールで頂いた。明治40年頃と、大正11年頃だという。大正11年には近鉄奈良線が表示されているが、明治40年にはなし。疋田は伏見村となっている。この地図を参考にして歩いてみることにした。まず、目当ては、地図に表示されているいくつかある集落のうち、私にとって、馴染みのないところを訪ねてみることにする。ちなみに地図に表示されている集落は、東から、西大寺、芝、青野、野神、菅原、寶来(宝来)、疋田、以上は伏見村だろう。そして、蛙股池と菖蒲池から西は、新田、柚木谷だ。ここは大きい字で生駒と表示されている。生駒郡のことか。この中で、私に馴染みがないのは柚木谷と新田だ。その他は地名が何らかのかたちで残っていると思う。新田は学園新田町として地名が残っているが、どんなところかまったく知らない。蛙股池バス停付近から古い地図に表示されている道を歩く。まず、新田へ行こうと思う。バス停から菖蒲池駅方向ではなく、地図に記載されている蛙股池に沿った道を歩きたい。画像は蛙股池に沿った道を歩き、蛙股池を撮影した。


ご覧のように、古い地図(大正11年頃)には菖蒲池駅方向への道が記載されていない。この道は菖蒲池駅が出来てからの新しい道だ。ちなみに近鉄奈良線は表示されているが、菖蒲池駅はない。


すぐに分岐があって、蛙股池に沿った方の道を歩く、すると三叉路の車道に出てしまう。画像は三叉路に出る前。直進できないから、古地図の道ではないようだ。


三叉路に住宅地図があったので見る。北側の道が正解のようだ。先程の分岐へ引き返す。わざわざ引き返さなくてもそのまま北へ歩けば、同じところへ出るが、それはそれ。古い道を想像しながら、あるいは実感しながら歩くのが目当てなのだ。古い道を歩くことに価値があって、目的地へ早く着くことではない。


三叉路から北側の道を撮影した。この道は、高架の橋になっている。昔は、橋などなかっただろう。すぐ左に近鉄線が走っており、それを跨ぐ陸橋として造られ、道路も跨ぐことになったのだろう。


5月6日(月)07:59 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

當麻曼荼羅・竹内街道を訪ねてその5

當麻寺の道標を見て歩き、狭い路地を通り抜けると、いきなり當麻寺の境内に出ました。このお寺、塔頭が沢山あって、その度に拝観料が徴収されます。それも、結構、お高いです。境内を見渡すと、梵鐘(日本最古・白鳳時代・国宝)に新しく櫓が設置されていて、櫓に登って中の梵鐘を見学できるようになっていました。勿論、拝観料が必要なのは、云うまでもありません。


ここで、ルートをチェックするのを怠り、そのまま当麻駅方向へ参道を歩いてしまいました。周りには、私と同じように、ルートを誤って歩いていることに気付かれた方もおられました。正しくは、石光寺に行くのですが、拝観する予定はないので、引き返さずに、そのままゴールの葛城市相撲館に向かって歩くことにしました。画像は参道の食事処。


ゴールでは、葛城市のマスコットキャラクター蓮花ちゃんが迎えてくれました。


そして、気になる今日の参加人数が表示されていました。千人は越えるだろうと思っていたら、なんと、2,917名でした。こんな人数、今までに見たことがありません。ゴールで受付をしてもらい、参加印を押したシートを貰いました。このシートは、今後の五私鉄リレーウォークに参加する時に持参することになります。ゴール地点の葛城市相撲館では何か催し物が開催されているようでしたが、興味がないので、そのまま当麻駅に向かって歩き出しました。


時間はまだ2時過ぎです。1時間ちょいで、自宅に戻るでしょう。当麻駅前の中将堂本舗では、名物のよもぎ餅を買い求める人で長蛇の列が続いていました。事前に家内から、いらないと聞いていたので、そのまま通過します。電車に乗ると、思わず座り込んでしまい、心地よい疲労感を感じながら帰宅しました。当日の夜、ウォーキング仲間のYさんからメールが入り、「古道紀行おおばこの会」の催しに参加したとのこと、うっかりしていました。3月までは、スケジュールをチェックしていたのですが、4月以降は予定表に記入していませんでした。コースは伊勢本街道で、大和朝倉駅から榛原駅までの区間です。このコースの中には前から歩いてみたいと思っていた桜井市吉隠(よなばり)が含まれていました。少し残念です。まぁ、あれもこれもと、欲張っても仕方ありません。おしまい。


4月16日(火)20:39 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

當麻曼荼羅・竹内街道を訪ねてその4

竹之内街道を西に向かって歩きます。やや登りです。道標がありました。左の道標は、「左 はせ いせ 道」でしょう。右は、「右 よしの つぼさか かうや」「左 はせ いせ」(画像には写っていません)かもしれません。


画像は民家の瓦です。孫悟空かな。なにか意味があるのか、あるいは職人さんの遊び心かもしれません。人家の屋根が低く威圧感がありません。


更に竹之内街道を歩き、葛城市當麻スポーツセンターを左に見遣ると、芭蕉ゆかりの憩いの場とされる、綿弓塚(わたゆみづか)で小休止です。画像は竹之内街道で撮影。如何にも街道といった趣です。


こちらは綿弓塚に併設する休憩所の内部です。案内板によると、休憩所は平成4年に、約百年前に建てられた高松酒造という造り酒屋の建物を改修して整備されました。操業は江戸時代で芭蕉のころからあったといわれ、100年以上前に廃業しそれ以降は民家として使われていたそうです。


竹之内街道と分かれ、狭い路地を通って、史跡の丘へ。ここは中には入らなかったですが、以前、歩いたことがあります。竹之内古墳群とされ県指定史跡。近年、整備されたようです。瓦堂池の前のベンチで小休止。小腹が空いたので、ザックからバナナを取り出して食べます。池ではゴムボートに乗って、魚釣りをしている人がいましたが、池の縁に、この池には魚がいませんと、表示板が立っていました。まさか、魚を持ち込んで放流し、それを釣って楽しんでいるのではありますまい。しかし、最近は、こういった不謹慎な輩が多いようです。しかも放流するのは外来種。画像は瓦堂池。


4月16日(火)20:32 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

當麻曼荼羅・竹内街道を訪ねてその3

こちらの画像は、どこか信州あたり、高原の湖を連想しますが、昼食場所の「かつらぎの森」で撮影したものです。素晴らしい景色でした。撮影が下手で、上手く表現出来ておりません。実際の風景は、これの数倍良かったです。「かつらぎの森」では、ヤマツツジ、ミツバツツジをはじめ、植栽のハナズオウ、ヤマザクラ、カリンなどの花が咲いていました。(カリンの花は帰宅後調べて知りました) ここへは、季節を変えて、また訪れてみたいです。


「かつらぎの森」から大田川に架かる橋を渡り、孝女伊麻(こうじょいま)旧跡を訪れました。どういった人物の史跡なのか知りませんでしたが、奈良県のHPによりますと、次のように紹介されていました。
【孝女伊麻旧跡】
旧下市街道より、伊邪那神社に向かう道を少し入ったところにある石碑です。その昔病弱な父親への孝行に生涯を尽くした孝女伊麻をたたえたものです。伊麻は父が病に伏せた時、鰻を食べさせればよいと人に教えられましたが、山里ではどうしようもありませんでした。しかし、あきらめることができず、何とかして鰻を食べさせてやりたい―そんな伊麻の願いが天に通じたのでしょう。夜がふけて大分遅くなったころ水がめの中で音がしました。何だろうと思ってのぞいてみると、何とそこには鰻がいたのでした。喜んだ伊麻はさっそく料理をして父に食べさせると、病いはたちまちのうちに治り、もとの元気な体になりました。この話にちなみ、磐城小学校の校章は水がめの形をかたどって作られています。伊麻の命日である2月27日には、毎年追善法要が営まれ、小学生たちもお参りします。

まぁ、なんといいますか、親孝行が大切ということでしょう。画像は現地で撮影。



こちらの画像は孝女伊麻旧跡付近から二上山。こういう角度から、二上山をじっくりと眺めるのは初めてです。


やがて、長尾神社に出てきました。この神社は、難波宮から竹之内街道を経て大和へ入り、飛鳥の藤原京に至る古代の大道「横大路」の西側の入口となるところで、重要な場所に位置していたようです。(説明板による) 画像は竹之内街道周辺図。長尾の謂れは諸説があるようです。


長尾神社境内で撮影した絵馬です。比較的新しいものでした。長尾神社を後にして、竹之内街道を竹之内へ向かって歩きますが、道路が装飾されていて観光スポットになっていました。


4月16日(火)20:17 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

當麻曼荼羅・竹内街道を訪ねてその2

ここから西方向に歩きます。やがて右手に住吉神社の境内を抜けて、左に新庄中学の校庭の脇を歩き、地下道を潜って、屋敷山公園に出ました。屋敷山公園内を歩くのはこれが初めてです。これまでは県道30号線を走って窓越しに眺めていただけでした。そういえば、何年か前、屋敷山公園で花火大会があって、駐車場に座って花火を見たことがあります。思いのほか立派な公園で、枝垂れ桜は、花期を終わっていましたが、ピークの頃は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。


屋敷山公園は古墳を利用した公園になっていて、その古墳は城址でもあったようです。画像は屋敷山古墳(新庄城址)から眺めた大和葛城山。


屋敷山公園でトイレを済ませ、やがて、穏やかな登りが続き、葛城山麓公園へと向います。気温もグングン上昇し、暑くなって来ました。葛城山麓公園では中に入らず、入口を掠めた程度でしたが、意外にもスポーツドリンクの差し入れがありました。このあたり、八重桜が見ごろで、楽しめました。更に、登りが続き、寺口地区へと入ってきました。画像は民家。


ここは、岩橋山の山麓に位置し、布施城址の入口で、二塚古墳があります。今回は二塚古墳には寄らず、無住の置恩寺(ちおんじ)へ。このお寺は布施氏の氏寺とのことでした。ここでは、重要文化財の十一面観音立像が特別拝観できました。置恩寺からは、大和三山や、音羽三山、三輪山など、大和の山々が見渡せます。画像は菜の花畑。


ここから北東方向に、こんもりとした森が見えていましたが、今日の昼食場所である、かつらぎの森です。この公園は、名前すら知りませんでした。奈良県社会教育センターの前を歩いて公園に向います。久しぶりに、歩いたことと、この前、購入したおニューのウォーキングシューズが、少し足に馴染まず、歩き疲れしていたので、ヤレヤレといったところでした。ウォーキングシューズは私にマッチしていないということではなく、どんな靴でも、最初は、多少とも歩きにくいものです。画像は昼食中の皆さん。


4月15日(月)21:26 | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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