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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


上町台地から天王寺七坂めぐり34

生國魂神社を後にする。
生國魂神社、表参道の脇に石碑が二基建立されていた。
左は「水戸藩士 / 贈正五位 / 川崎孫四郎自刀の所」。
右は「勤皇 烈士 / 贈正五位島男也之旧居」と彫られているようだ。

石碑の右、関西茨城県先賢士顕彰会が設置した説明文によると、
 水戸藩士 川崎孫四郎 萬延元年三月三日の水戸浪士による大老井伊直弼を天誅の桜田門外の変後、大阪挙兵を図り、幕吏に追われ二十三日この地で自刀す
 笠間藩士 島 男也 大阪挙兵の謀議のため幕吏に捕われ、江戸伝馬町獄にて死没



生國魂神社の前に生玉公園があり、「休憩適地」と案内されていたのでここで昼食とした。


昼食後、南方向へ歩き出す。分岐となり右折(西)するが。駒札があったので立ち寄る。


   源聖寺坂
 この坂は登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、同南岳親子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくる <お千代、半兵衛> の比翼塚が建てられている。


※藤沢南岳・・・道頓堀の「通天閣」や小豆島「寒霞渓」、薬品名の「仁丹」の名付け人。
※比翼塚=愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚。


※天王寺七坂②源聖寺坂(げんしょうじざか)・・・天王寺七坂のひとつ。長さ120m、高低差15m、平均斜度7度。坂下に「源聖寺坂」と刻まれた石碑と案内板がある。坂上と坂下には石畳が敷かれている。坂の中間は急な石段坂でゆるくカーブしている。



銀山寺。
「天王寺七坂 ご利益いっぱい歴史も満載 スタンプラリー」と記された幟旗が立ってある。
この門は閉められており、案内書きによると、東側入口より出入りするとのこと。
東側入口は歩いて来た道を引き返すことになり、この日は境内に入らず通過した。



4月11日(月)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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