山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年10月を表示

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)3

「日露戦没記念碑」。


二の鳥居。
鳥居の左の上、先っぽが欠けていた。



境内で見られた樹木。

幹に縦の筋が入っている。



下草が刈り取られ綺麗に整備されている境内。


八幡神社、拝殿。


10月31日(水)16:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)2

長尾街道沿いの米屋さん。


旧街道らしく曲がりくねった道に、旧家の建物や蔵も見られる。


八幡神社、一の鳥居に到着。
左右に立派な常夜燈が建つ。



鳥居には「安永二癸巳十一月」と彫られている。
安永二年=1773年。杉田玄白らが『解体新書』を刊行したのが安永三年。



正面が八幡神社への参道。
左は関屋保育園へと続く道。



10月31日(水)16:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)1

2018年10月25日(木)は、ササユリの会に参加した。
タイトルは「長尾街道パート3~関屋から当麻道を経て当麻寺へ~」。

<概要>
Wikipediaによると、長尾街道は、大阪府堺市堺区から東へ向かい、二上山の北麓・田尻峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る街道。
田尻峠付近の道は明治時代になって出来たもので、江戸時代は関屋越えを歩いていた。

大和川と石川の合流地点が大津と呼ばれた時期があったことがあり、その大津に至る道という意味で大津道といい、細長い海岸浜堤を長狭(ながお)といい、その特徴から長尾街道と名が付いたという。
長尾街道 - Wikipedia

スタートは前回(2018.9.27)の続きとなる近鉄大阪線関屋駅。
ゴールは近鉄南大阪線当麻寺駅。

関屋駅からすぐ、江戸時代まで盛んに歩かれていた長尾街道(長尾街道の枝道)に合流。
まずは八幡神社にお参りした。

下池の南東角に長尾街道と田原本街道の分岐があり道標が立つ。
その先には、伊勢街道との分岐があり台座部分が道標になっている地蔵菩薩像が立つ。
更に近鉄大阪線のフェンス内にも道標が立っている。
このあたりで長尾街道と太子道が交差していたらしい。

近鉄大阪線の踏切を横断して大坂山口神社(穴虫)に立ち寄る。
神社の近くに弘法大師堂と井戸がある。

小さな丘を越えてR165を横断。
二上山駅前から近鉄南大阪線の踏切を横断して専称寺に立ち寄る。
すぐ近くの春日神社境内で昼食。

二上山の麓に沿って近畿自然歩道を南へ歩き加守廃寺を訪問。
近接する合祀された三社、「葛木 二上神社(かつらき ふたかみじんじゃ)」、「葛木 倭文座天羽雷命神社(かつらき しとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)」、「加守(掃守)神社(かむもりじんじゃ)」にお参りした。

教善寺の境内に置かれた加守廃寺の礎石を見て、「道の駅 ふたかみパーク當麻」で休憩。
Tさんが酒粕を買い求めようとして、この地区唯一の酒蔵である中川酒造(透泉)に立ち寄ったが、まだ時期的に少し早かった。

近道となる田んぼの畦道を歩いて高尾寺へ。
葛城市福祉総合ステーションの立派な建物を左に見て進み岩屋道との分岐に到着。
ここにも道標を兼ねた地蔵菩薩が立つ。

当麻寺境内に入り、本堂、金堂、講堂、日本最古の石燈籠、仁王門などを歩きながら観て回る。

駅前の中将餅で、名物のよもぎ餅を購入。
15時過ぎに近鉄南大阪線当麻寺駅にゴールした。

<コース概略>
近鉄大阪線関屋駅_八幡神社_下池_大坂山口神社_二上山駅前_春日神社・昼食_加守廃寺(二上神社)_道の駅_当麻寺_近鉄南大阪線当麻寺駅

<コース詳細>
9:30近鉄大阪線関屋駅10:03_八幡神社_西光寺前_道標(日本五社内 正一位小北大明神 是× 七× / 右 たへま 者(は)せ いせ× 世話人 ×南 / 左 たハらもと 泉×堺 ほう里(り)う寺 榮壽)_下池_祠(地蔵菩薩)_石仏・台座部分道標(右 當麻寺道 法界群霊)・道標(南無阿弥陀佛為 法× 妙心 妙× 直誉× / ?)_県道105号線(中和幹線)の高架下を潜る_道標(左 たへま つぼさか 大峯山上× / 南無阿弥陀佛× / 右 大さ可(か) 左 たいし×)_近鉄大阪線の関屋第四踏切を横断_竹田川に架かる橋を渡る_大坂山口神社(穴虫)_弘法大師堂・井戸・石造物群_鳥居(大坂山口神社)_R165二上山駅前交差点を横断_二上山駅前_近鉄南大阪線の踏切を横断_祠(地蔵尊)_専称寺・保護樹木(シダレザクラ)_12:09春日神社・昼食12:50_道標(←當麻 二上山駅→ 近畿自然歩道)_墓地_R165高架下を潜る_説明板(県指定 史跡 加守廃寺)・四天王堂・十三重石塔_井戸・梵字石碑(永禄八年卯月日大衆?)_葛木 二上神社(かつらき ふたかみじんじゃ)・葛木 倭文座天羽雷命神社(かつらき しとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)・加守(掃守)神社(かむもりじんじゃ)_教善寺(加守廃寺の礎石)_道の駅 ふたかみパーク當麻_地蔵菩薩(明治二十七七月×)_地蔵堂_中川酒造(透泉)_太陽光パネル_説明板(高尾寺 薬師堂 観音堂)_石碑(観音堂跡)_厳島神社_道標を兼ねた地蔵菩薩(右 たつ多 奈ら 大坂 / 左 いわや さ可い みち)・道標(左 二上山岩屋道 / 右 石光寺 ヲヘテ 二上山岩屋道 / 昭和十一年 大阪 柿本×)・常夜燈二基(太神宮 / 天満宮)_当麻寺境内(本堂・金堂・講堂・日本最古の石燈籠・仁王門)_説明板(當麻寺・中将姫)_釜めし玉や前_地蔵堂_R165當麻寺交差点を横断_地蔵堂・庚申_説明板(相撲開祖當麻蹶速の塚)_説明板(鉄砲柱)_中将餅(和菓子)_15:06近鉄南大阪線当麻寺駅

<その他>
・参加者総勢11名。
・コース歩行距離約9km。
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万1千歩。

画像はこの日歩いた近鉄大阪線関屋駅から近鉄南大阪線当麻寺駅までのGPSログを表示。



関屋駅前に立つ「香芝あんないマップ」。
この地図は上が南を表示。

駅前から東へ歩き、長尾街道に合流。
関屋公民館前を歩いて八幡神社に参拝。
下池の周りを半周ほど歩いて4の道標を見る。
更に3の道標を見て歩く。



ハナミズキの赤い実。
青空に映える。



原川に架かる橋を渡ったところが長尾街道との出合い。
これを右(東方向)へ歩く。
画像は左(北方向)を撮影。



曲がり角に立つ近畿自然歩道の道標。

ほとんど何も読めない―笑。



10月31日(水)16:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

伊勢本街道・郡山街道(南生駒_郡山城跡)

2018年10月27日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「伊勢本街道・郡山街道を歩く」。

<概要>
スタートは近鉄生駒線南生駒駅。
ゴールは近鉄橿原線近鉄郡山駅。

南生駒駅を出てから竜田川に沿って少し南へ歩き、すぐに東西に通じる暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)=伊勢本街道=R308に合流。
これを東へ歩いて榁ノ木峠(むろのきとうげ)を経て矢田丘陵を横断した。

途中、県立矢田自然公園、子供交流館で昼食。
追分(おいわけ)神社を経て追分本陣村井家住宅前の分岐から、暗越奈良街道を離れ郡山に向かって歩いた。

富雄川に架かる登弥橋を渡って登彌(とみ)神社に参拝。
郡山街道を歩いて大和郡山市城の台町から郡山城跡へ。

郡山城跡では観光ボランティアガイドの説明を聞いて見聞を広めた。
最近、リニューアルされた天守台から奈良盆地の眺望が素晴らしく新鮮に感じた。

近鉄郡山駅前の「喫茶・軽食POCKET」でグラスビール(350ml おつまみ付)での反省会。
税込400円はリーズナブル。

<コース概略>
9:30近鉄生駒線南生駒駅10:10_歓喜の湯(足湯)_榁ノ木峠_こどもの森_11:21子供交流館・昼食11:58_追分神社_登彌神社_大和郡山城跡_反省会:喫茶・軽食POCKET(郡山駅前)_15:15近鉄橿原線近鉄郡山駅。

<その他>
・参加者総勢7名。(内遅刻者1名)
・コース歩行距離10km。
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万2千歩。
・郡山街道について 明治23年の奈良県道
奈良縣告示第三十號 明治二十六三月二十二日 奈良縣知事小牧昌業
甲種里道
郡山街道 添下郡郡山町大字本ニテ奈良街道ヨリ分岐シ同郡矢田村大字城同郡富雄村大字中同村大字三碓同村大字ニ名ヲ経テ同郡北倭村大字高山ニテ河内國界ニ達ス

画像はこの日歩いた近鉄生駒線南生駒駅から近鉄橿原線近鉄郡山駅までのGPSログを表示。



歓喜の湯(足湯)。
お湯の中に手を入れてみたが、意外に熱く感じた。

生駒市小瀬町(おぜちょう)にて。



峠の地蔵さん。
画像では分かりにくいが、左に立派な花立がある。
切り通しの舗装道路から見上げて撮影しているが、往時は石仏の前に地道があったと思われる。

奈良市中町、榁ノ木峠(むろのきとうげ)にて。



奈良市石木町、登弥橋東詰、木嶋(このしま)公民館前、郡山街道との分岐に立つ道標。

「(欠損)みの堂 京ばし / 左 くらがり峠 玉造 道 / 干時嘉永三庚戌正月吉×建 / (欠損)九連中 世わ人 町内安全」。



郡山城の石垣は“野面積み(のづらづみ)”と呼ばれる自然石をそのまま積み上げる方法が使われている。
また大和では良質な石を採取出来なかった為、石仏や五輪塔などが積み込まれているのが特徴。

おしまい。



10月30日(火)18:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道42

昭生病院前を通過。


市バス六甲台南口バス停前を通る。


阪急六甲駅を示す案内板。


13時38分、阪急神戸線六甲駅に到着。


阪急電車の車内で一人反省会。
「サッポロ リモンチェッロ イタリアンレモンリキュール」、スッキリとした美味しさ。
アルコール度数8%。税込150円くらい。
冷房の効いたホームの待合室で撮影。

おしまい。



10月29日(月)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道41

この先、車道に合流。


「ハイキングコース案内図」が設置されていた。

この日歩いたコースは、御影駅から渦森台、寒天山道を歩いて油コブシ道と合流。
六甲ケーブル山上駅から記念碑台で昼食。
再び、山上駅から油コブシ道を下って、六甲ケーブル下駅が現在地。
六甲川に沿って下り、阪急六甲駅がゴール。



六甲ケーブル下駅を振り返って撮影。


バス道に沿って歩く。
歩道は完備されている。



分岐は右。
バス道を歩く。



10月29日(月)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)

2018年10月25日(木)は、ササユリの会に参加した。
タイトルは「長尾街道パート3~関屋から当麻道を経て当麻寺へ~」。

<概要>
Wikipediaによると、長尾街道は、大阪府堺市堺区から東へ向かい、二上山の北麓・田尻峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る街道。
田尻峠付近の道は明治時代になって出来たもので、江戸時代は関屋越えを歩いていた。

大和川と石川の合流地点が大津と呼ばれた時期があったことがあり、その大津に至る道という意味で大津道といい、細長い海岸浜堤を長狭(ながお)といい、その特徴から長尾街道と名が付いたという。
長尾街道 - Wikipedia

スタートは前回(2018.9.27)の続きとなる近鉄大阪線関屋駅。
ゴールは近鉄南大阪線当麻寺駅。

関屋駅からすぐ、江戸時代まで盛んに歩かれていた長尾街道(長尾街道の枝道)に合流。
まずは八幡神社にお参りした。

下池の南東角に長尾街道と田原本街道の分岐があり道標が立つ。
その先には、伊勢街道との分岐があり台座部分が道標になっている地蔵菩薩像が立つ。
更に近鉄大阪線のフェンス内にも道標が立っている。
このあたりで長尾街道と太子道が交差していたらしい。

近鉄大阪線の踏切を横断して大坂山口神社(穴虫)に立ち寄る。
神社の近くに弘法大師堂と井戸がある。

小さな丘を越えてR165を横断。
二上山駅前から近鉄南大阪線の踏切を横断して専称寺に立ち寄る。
すぐ近くの春日神社境内で昼食。

二上山の麓に沿って近畿自然歩道を南へ歩き加守廃寺を訪問。
近接する合祀された三社、「葛木 二上神社(かつらき ふたかみじんじゃ)」、「葛木 倭文座天羽雷命神社(かつらき しとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)」、「加守(掃守)神社(かむもりじんじゃ)」にお参りした。

教善寺の境内に置かれた加守廃寺の礎石を見て、「道の駅 ふたかみパーク當麻」で休憩。
Tさんが酒粕を買い求めようとして、この地区唯一の酒蔵である中川酒造(透泉)に立ち寄ったが、まだ時期的に少し早かった。

近道となる田んぼの畦道を歩いて高尾寺へ。
葛城市福祉総合ステーションの立派な建物を左に見て進み岩屋道との分岐に到着。
ここにも道標を兼ねた地蔵菩薩が立つ。

当麻寺境内に入り、本堂、金堂、講堂、日本最古の石燈籠、仁王門などを歩きながら観て回る。

駅前の中将餅で、名物のよもぎ餅を購入。
15時過ぎに近鉄南大阪線当麻寺駅にゴールした。

<コース概略>
近鉄大阪線関屋駅_八幡神社_下池_大坂山口神社_二上山駅前_春日神社・昼食_加守廃寺(二上神社)_道の駅_当麻寺_近鉄南大阪線当麻寺駅

<コース詳細>
9:30近鉄大阪線関屋駅10:03_八幡神社_西光寺前_道標(日本五社内 正一位小北大明神 是× 七× / 右 たへま 者(は)せ いせ× 世話人 ×南 / 左 たハらもと 泉×堺 ほう里(り)う寺 榮壽)_下池_祠(地蔵菩薩)_石仏・台座部分道標(右 當麻寺道 法界群霊)・道標(南無阿弥陀佛為 法× 妙心 妙× 直誉× / ?)_県道105号線(中和幹線)の高架下を潜る_道標(左 たへま つぼさか 大峯山上× / 南無阿弥陀佛× / 右 大さ可(か) 左 たいし×)_近鉄大阪線の関屋第四踏切を横断_竹田川に架かる橋を渡る_大坂山口神社(穴虫)_弘法大師堂・井戸・石造物群_鳥居(大坂山口神社)_R165二上山駅前交差点を横断_二上山駅前_近鉄南大阪線の踏切を横断_祠(地蔵尊)_専称寺・保護樹木(シダレザクラ)_12:09春日神社・昼食12:50_道標(←當麻 二上山駅→ 近畿自然歩道)_墓地_R165高架下を潜る_説明板(県指定 史跡 加守廃寺)・四天王堂・十三重石塔_井戸・梵字石碑(永禄八年卯月日大衆?)_葛木 二上神社(かつらき ふたかみじんじゃ)・葛木 倭文座天羽雷命神社(かつらき しとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)・加守(掃守)神社(かむもりじんじゃ)_教善寺(加守廃寺の礎石)_道の駅 ふたかみパーク當麻_地蔵菩薩(明治二十七七月×)_地蔵堂_中川酒造(透泉)_太陽光パネル_説明板(高尾寺 薬師堂 観音堂)_石碑(観音堂跡)_厳島神社_道標を兼ねた地蔵菩薩(右 たつ多 奈ら 大坂 / 左 いわや さ可い みち)・道標(左 二上山岩屋道 / 右 石光寺 ヲヘテ 二上山岩屋道 / 昭和十一年 大阪 柿本×)・常夜燈二基(太神宮 / 天満宮)_当麻寺境内(本堂・金堂・講堂・日本最古の石燈籠・仁王門)_説明板(當麻寺・中将姫)_釜めし玉や前_地蔵堂_R165當麻寺交差点を横断_地蔵堂・庚申_説明板(相撲開祖當麻蹶速の塚)_説明板(鉄砲柱)_中将餅(和菓子)_15:06近鉄南大阪線当麻寺駅

<その他>
・参加者総勢11名。
・コース歩行距離約9km。
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万1千歩。

画像はこの日歩いた近鉄大阪線関屋駅から近鉄南大阪線当麻寺駅までのGPSログを表示。



香芝市関屋、下池の南東角、長尾街道と田原本街道の分岐に立つ道標。
「日本五社内 正一位小北大明神 是× 七× / 右 たへま 者(は)せ いせ× 世話人 ×南 / 左 たハらもと 泉×堺 ほう里(り)う寺 榮壽」



安政六未年八月吉日の銘がある鹿を描いた絵馬。(安政六年=1859年)
大坂山口神社(穴虫)の絵馬堂にて。



ツリガネニンジン。
葛城市加守、近畿自然歩道にて。



當麻道と岩屋道の分岐に立つ道標を兼ねた地蔵菩薩。
「右 たつ多 奈ら 大坂 / 左 いわや さ可い みち」。

おしまい。



10月28日(日)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道40

道標。
「六甲ケーブル下駅0.6km」。



左の建物は「有料老人ホーム六甲台翠光園」。


アスファルトの坂道を下る。


このあたりの建物はどれも有料老人ホームの類。


引き続きアスファルトの坂道を下る。


10月27日(土)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道39

フェンスが現れると下山が近い。


フェンスに沿って下る。


右下の階段を降りる。


「きしろ長寿の里」(特養老人ホーム)の裏側に出る。


この先、階段を降りて右折。


10月27日(土)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道38

一列になって下る。


九十九折の登山道。


鶴甲(つるかぶと)へ。
六甲ケーブル下駅まで1.0km。



見通しがよく、明るい登山道。


赤い実が生っている。
モチノキの仲間、クロガネモチかも。



10月27日(土)18:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

杵築神社_十三峠_水呑地蔵尊_心合寺山古墳

2018年10月23日(火)は、土曜会の有志で、生駒近辺の山や峠越えの道を歩くシリーズの第三回 「平群駅から十三峠へ」に参加した。

<概要>
スタートは近鉄生駒線平群(へぐり)駅。
奈良県側から十三峠越えを歩いて生駒山地を大阪側へ横断。
ゴールは近鉄バス大竹バス停。

十三峠越は、二ヶ月前の8月12日に、おおばこの会、「業平道パートⅢ~竜田川から十三越え~」で歩いている。
今回歩いたのは、業平道より、一つ北側に位置する車道を歩いた。

朝の天気予報では、曇り正午過ぎに小雨だった。
ところが、予報に反して、平群駅では雨脚が強く、出発を遅らせることに。
駅近くにある平群町役場に立ち寄って、ハイキングマップなどを入手し時間を稼いだが雨は止まず。
傘を差してのスタートとなった。

コース途中にある、つぼり山古墳に立ち寄り、重文 藤田家へ。
ここは個人の住宅で、一般公開はされていない。
雨の中、石仏が祀られている覆屋付近の掃除をされていた地元の人の話では、来る11月3日に特別公開されるという。(要予約)

その後、コースの途中にあり眺望が得られる星ノ尾墓地の東屋で雨宿りをするも、雨は一向に収まらず。
杵築(きづき)神社に立ち寄り、境内の軒の下を借りて昼食。

食後は十三峠へひたすら舗装道路を歩く。
時々、クルマが通行。
十三峠では十三塚に立ち寄り、十三街道ハイキング道を下った。

水呑地蔵尊で小休止。
ここからは大阪平野の眺望が得られるが、生憎の天気で霞んでおり、霧がかかったような状態。

十三街道ハイキング道には、二体の石仏が置かれている。
通説では、三十三番から一番まで合計六十六体あるとされるが、失われた石仏も多いようだ。
これらの石仏群は神立(こうだち)辻地蔵堂まで続く。

心合寺山(しおんじやま)古墳には、「八尾市立しおんじやま古墳学習館」があり、見学の予定だった。
ところが、この日(火曜日)が生憎の休館日で、古墳の中にも立ち入ることが出来なかった。

東高野街道に沿って走っている大竹バス停から近鉄バスに乗って終点瓢箪山駅で下車。
餃子の王将 瓢箪山店で反省会。

<コース概略>
近鉄生駒線平群駅_平群町役場_つぼり山古墳_杵築(きづき)神社・昼食_十三峠・十三塚_心合寺山(しおんじやま)古墳_大竹バス停_<近鉄バス>_近鉄奈良線瓢箪山駅 反省会:餃子の王将 瓢箪山店

<コース詳細>
9:20近鉄生駒線平群(へぐり)駅9:28_竜田川遊歩道案内図_平群ハイキングマップ_平群町役場(ハイキングマップ入手・雨宿り)_道標(十三峠・十三塚4.6km 藤田家住宅1.2km つぼり山古墳400m)_竜田川に架かる平群橋を渡る_覆屋(地蔵菩薩像)・記念碑(郡山高校平群分校記念碑)_福貴大字案内図_道標(→つぼり山古墳0.3km)_中央公民館前バス停前_道標(つぼり山古墳0.3km 重文 藤田家0.6km)_説明板(県指定史跡 ツボリ山古墳)_分岐道標(→楢本神社0.8kmを右に見送り ←重文藤田家0.3kmへ直進)_分岐・福貴案内図・道標(普門院0.4km)_説明板(重文 藤田家住宅)_覆屋(石仏群)_星ノ尾墓地(雨宿り)_新羅王子孫 光山金氏専用霊園前_水道施設前_覆屋(石仏群)_分岐道標(←十三峠2.3km 平群駅3.1km)_福貴畑集落センター前_覆屋(石仏群)_信貴フラワーロードを横断_道標(→杵築神社0.8km 平群駅3.4km←)_西光寺_覆屋(一観音六地蔵石仏 永禄十一年)_11:40杵築(きづき)神社・昼食12:18_墓地前_信貴生駒スカイラインの高架下を潜る_十三峠・生駒縦走歩道出合い_説明板(生駒十三峠の十三塚)_石柱(十三塚)_十三峠_道標(服部川駅→)_<十三街道ハイキング道>_ハイキングマップ(府民の森 みずのみ園地 →水呑地蔵尊0.3km 服部川駅3.5km)_水呑地蔵尊_通行止の看板_丁石(八丁)_神立(こうだち)園地分岐を左に見送り直進_祠(野仏)_二体石仏群(通説:三十三番から一番まで合計六十六体)_丁石(四丁)_路肩崩壊・注意して通行_神立茶屋辻・歌碑(君来むと いひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものヽ恋ひつヽぞ経る / (訳)あなたが「君に逢いに行くよ」と言ったから、私は毎夜あなたが来るを待っているけれど、いつもあなたは来ないままむなしく過ぎてしまう。だから、あなたの訪れをあてにはしていないけれど、でもあなたを恋しいと思いながら、わたしは過ごしているのです)_石柱(史跡の道 八尾市)・石碑(神立茶屋辻 この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。八尾市教育委員会)_正福寺前_神立辻地蔵堂_覆屋(石仏四体)_道標(右 大坂道 / 左 信貴山 米尾山江三十六丁 た川多(つた) 法里遊右(りゆう)じ 大和ミち 十三越 / 安政×二年九月世話人×)・道標(→神立墓地 愛宕塚 心合寺山古墳)_説明板(向山古墳と向山瓦窯跡)_清水園前(イチゴ直売所)_道標(→心合寺山古墳)_大竹会館前バス停前_心合寺山(しおんじやま)古墳_八尾市立しおんじやま古墳学習館前_14:13大竹バス停14:15_<近鉄バス>_近鉄奈良線瓢箪山駅 反省会:餃子の王将 瓢箪山店

<その他>
・参加者総勢3名。
・実歩行距離約15km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万2千歩。
・反省会 餃子の王将 瓢箪山店

画像はこの日歩いた近鉄生駒線平群駅から近鉄バス大竹バス停までのGPSログを表示。



一観音六地蔵。
資料によると、永禄十一年六月廿四日の銘。

杵築神社参道石段脇にて。



(左)深沙大将立像。(じんじゃだいしょうりゅうぞう)
資料によると、玄奘(三蔵法師)が仏教の根本を求めて唐よりインドへ向かう途中、砂漠で遭難しかかった所を助けた神。
県指定文化財。室町時代後期作。

(中)聖観音坐像。
桧の寄木造。
天文十七年八月十八日 空阿 宿院仏師源次。
町指定文化財。

杵築神社、観音堂に安置。



神立(こうだち)辻地蔵堂。

ここから十三峠に向かって、二体の石仏が置かれている。
通説では三十三番から一番まで合計六十六体あるとされるが、失われた石仏も多いようだ。



十三峠越えに立つ道標。

「右 大坂道 / 左 信貴山 米尾山江三十六丁 た川(つ)多(た) 法里(り)遊(ゆ)右(う)じ 大和ミち 十三越 / 安政×二年九月世話人×」。
八尾市神立六丁目にて。

おしまい。



10月26日(金)17:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道37

二つ目となる送電線鉄塔下を通過。


石の階段を下る。


登山道脇に埋められた道標。
「高羽道」を示している。
コースは「鶴甲」へ。



鶴甲まで距離0.5km。

“鶴甲”とは灘区鶴甲を指す。



かなり下って来たが、下山はまだもう少し先。


10月25日(木)19:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道36

送電線鉄塔が現れる。


プラスチック階段をリズミカルに降りる。


この先分岐。
どちらを歩いても鶴亀・阪急六甲駅へ行けるが、この日は“ゆるい道”を歩いた。



分岐。
三叉路になっている。
コースは右折。



分岐に立つ道標。
左折すると、朝、歩いた渦森台(うずもりだい)方面へ繋がっている。
この道は「高羽道」と呼ばれている。

画像は分岐を振り返って撮影。



10月25日(木)19:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道35

落葉の下に階段が現れる。

先頭を歩くAさんが私に「先に行きますか」と声を掛けた。
「いえ、これくらいのペースが丁度」と応えた。



明るくて見通しのよい登山道。


伐採地を通過。


前を歩いていた男性がパチリ。
この男性は顔見知り。
山を歩く会の参加者。



前方に先頭集団が現れる。
先ほどの男性は先頭集団のラストを歩いていた。



10月25日(木)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

寒天山道_記念碑台_油コブシ道34

風通しが悪そうで埃っぽい感じ。
積極的には休憩したくない場所。



前方に眺望が得られる場所がある。


しかし、生憎霞んでおり、休憩せずに通過。


登山道に石があって少し歩き難い。


この先、急坂を下る。
落ち葉で滑りやすい。



10月24日(水)18:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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