千早峠から紀見峠4 |
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歩いて来た“千早街道”を振り返って撮影。車両は一方通行。
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旧家の佇まい。白壁が多少落ちているところも。
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町内のいたるところに「菊水紋」が見える。
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“辻堂”と呼ばれているお堂の扉が開いていた。中を覗くと、地蔵盆の準備がされているように見受けられた。左の道標は「金剛山道」。その右は「右 五条 左 金剛山 道」。
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そして、「左 千早城址金剛山登り口」。
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Aug.31(Sun)21:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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千早峠から紀見峠3 |
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車道を歩かず、一旦、集落のある旧道へ下る。「多聞尚学館」の看板矢印の方向。
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学校法人浪速学院のHPによると、「多聞尚学館」は浪速学院が、旧千早赤阪村立多聞小学校を買収改装し、宿泊学習施設としてリニューアルしたもの。
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南朝ゆかりの「菊水紋」。
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そして千早城址の石碑が現れる。大正十年の記銘。今、歩いて来た旧道は、“千早街道”で、同時に金剛登山道の“千早本道”だったことが、後でわかった。
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旧道を降り立ったところで分岐(千早交差点)となる。分岐の角にお堂が見えるが、“辻堂”と呼ばれている。お堂の扉が開いていた。この日、何か行事がある様子。
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Aug.31(Sun)21:58 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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千早峠から紀見峠2 |
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金剛登山口バス停に到着。乗車時間は29分。
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この日歩くコースの説明をするT氏。
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バス停のすぐ前が金剛山・千早城跡経由の登山道の取り付き。“登山本道”と呼ばれている。石の階段が長く続く。私はこの登山道を歩いて金剛山に登ったかどうか、記憶がはっきりしない。それだけ、金剛山には何回も登っているのだが、この道は二回と歩いていないと思う。画像はその場に居合わせた知らない登山者。左の男性が一寸K氏に似ている。
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石の階段。彼らはこの登山道を登るのだろう。尚、千早城跡までの所要時間は20分程度らしい
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千早城跡の説明板。私たちはこの道は歩かない。
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Aug.30(Sat)22:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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千早峠から紀見峠1 |
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| 2014年8月17日(日)、この日は夏休み(9連休)の最後日だったが、「おおばこ」に参加した。サブタイトルは「金剛山への道」で、金剛山の山頂は踏まず。コースは千早赤阪村から大和五条へ抜ける古道(林道五条線)を千早峠(五条峠)まで歩き、千早峠からダイトレを紀見峠まで歩いて、南海高野線・紀見峠駅に下山した。山歩きが大半で、「おおばこ」では久しぶりに距離の長い山道を歩いた。予報では天気は曇りだったが、予報通りで、小雨がぱらついたがすぐに止んだ。予想以上に涼しく快適な山歩きとなった。参加者は10人程度。尚、私はこのコースを歩くのはこれが初めてだった。
コース・タイム 9:10近鉄長野線・富田林駅南口バス停前9:35_<バス>_10:04金剛登山口バス停10:17_10:23道標・千早交差点10:27_10:33ジェイフーズ前_10:43鱒釣場_10:51鱒釣場レストラン前_11:01金剛湧水_11:02林道五条線出合い・休憩11:05_11:50千早峠(五条峠)12:00_12:15神福山(じんぷくやま)792m_12:21登山道・昼食13:00_13:06谷尻峠(金剛トンネル分岐)_13:18行者杉13:29_13:48杉尾峠(鳥地獄分岐)_13:53横手八幡宮分岐_14:06タンボ山_14:13十字峠分岐_14:22西ノ行者堂14:30_14:37展望地・送電線鉄塔_15:17山ノ神15:21_15:30旧R371出合・トイレ15:43_15:46紀見峠(紀伊見峠)・旧西高野街道_15:47石碑(岡潔生誕の地)_15:51丹波屋(峠の茶屋)前_16:13紀伊見荘前_16:17南海高野線・紀見峠駅16:30 ★反省会 天王寺駅前 17:22アサヒビアケラーアベノ(アベノセンタービルB1)
画像は当日歩いたコースマップ。出発地点は金剛登山口バス停、ゴールは紀見峠駅。
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こちらは断面図を表している。
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当日、自宅から最寄り駅までの道路脇(民家の庭に植栽)で撮影した。ナツメの木だと思う。子供の頃食べた記憶がよみがえってきた。生で食べるとあまり美味しいものではない。
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早朝の蛙股池。どんよりとした空。
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近鉄長野線・富田林駅南口バス停前にて。金剛登山口まで利用するバスは金剛バスで、ICOCAなどカードが使えない。タバコを吸っているのはN氏。
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Aug.30(Sat)21:31 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床35 |
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間違って一つ手前の道を北へ入ってしまった。先斗町の狭い路地。西方向へ左折しょうとするが道がない。
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ようやくお目当てのビヤホール・ミュンヘンに到着。
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少し贅沢な気分を味わえた。
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この後、京阪電車から近鉄電車に乗り継ぎ帰宅した。おしまい。
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Aug.26(Tue)21:17 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床34 |
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白川の澄んだ流れ。
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少し寄り道したい気分だったが、山歩きの格好ではどうにも。先を急ぐことに。
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風情があってよい感じ。
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これは何の実だろうか、初めて見た。 ※実が熟す前のトウネズミモチの実らしい。
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鴨川名物納涼床。河原にせり出した特設の座敷で、川の流れと川風に涼みながら味わうというもの。この時は、時間が早かったので、まだやっていなかった。
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Aug.26(Tue)21:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床33 |
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大豊神社の鳥居を左に見送り、丸太町通に出て泉屋博古館を右に見て歩く。
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岡崎神社、岡崎別院を通過。丸太町通から左折(南)し細い道を歩くと、「メトロポリタン福寿創」が現れた。町屋風の宿泊施設らしい
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こちらは「権太呂岡崎店」。うどんすきの店か。
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やがて平安神宮の大鳥居前を通過。
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祇園新橋付近。このあたりは伝統的建造物群保存地区となっている。
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Aug.26(Tue)20:58 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床32 |
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若王子神社へ向って歩いている。
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新緑のカエデ。
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こちらはユキヤナギだろうと、思っていたが、自信はなかった。再度調べると、黄梅に違いない。
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道標。「左 あんらく寺 ほうねん寺 ぎんかく寺 道」。
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「大豊神社」の前、「日本の道100選」のモニュメントのあるところから、哲学の道を離れ、四条河原町の“反省会場”を目指して、京都の町中を歩く。
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Aug.25(Mon)21:47 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床31 |
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「哲学の道」の説明板。春の桜、初夏のホタル、秋の紅葉と続くが、流石に盛夏は“出し物”がないようだ。
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「哲学の道」の石碑の右に見えるのは、京都一周トレイルの道標で、ここから法然寺までの短い区間だけ、京都一周トレイルに指定されている。ポイントで云うと“51~50”。
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川沿いとは云え、暑いので歩いている人をほとんど見かけない。
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木蔭で風があると涼しい。
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前を歩くお二人は、先ほど、大文字山から大文字火床へ向う途中、支尾根に入って登山道を探していたお二人だ。夫婦連れだろう。同じザックの色違いを持っておられる。
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Aug.25(Mon)21:43 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床30 |
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銀閣寺前から見た大文字火床。
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趣のある灯籠。「町内安全」というのが、意外にもあまり見かけないように思うが、あるいは違っているかもしれない。
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白川疎水通のベンチに座って少し休憩。
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これらの石仏群もかなり古そうに見える。
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疎水に沿って「哲学の道」を歩く。
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Aug.25(Mon)21:42 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床29 |
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正面に稲荷社(樹下稲荷大明神)が祀ってある。「八神」とは別の境内社。
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右が舞殿、正面が拝殿。
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八神社を後にして銀閣寺前へやって来た。観光客で賑わっている。
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この日、銀閣寺には拝観せず。
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甘党の店。外観はかなり古い感じで、老舗の雰囲気がする。中には入らず。
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Aug.25(Mon)21:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床28 |
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やがて三叉路となる。右に「八神社」が見えたので立ち寄ることにした。銀閣寺のすぐ近くだというのに、この静けさは何だろう。
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八神社のご由緒。宮中八神を祀っているので八神社と称したようだ。創建は大同年間(806~810年)若しくは延喜年間(901~923年)とも伝えられるが、喜永六年(1853年)の浄土寺村一村全焼により、当社古文書又近在に所蔵されていた古文書等が焼亡してしまい為に由緒は明らかではない。銀閣寺よりずっと古い神社であることには違いないようだ。
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明和元年の記銘がある石灯籠。
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狛犬の台座に彫られていた動物。
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石工の名前が彫られていた。白川村とは現在の左京区北白川だろうか。
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Aug.24(Sun)22:12 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床27 |
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石祠に祀られている。三体の中では、一番重厚なイメージがするが。
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祀られていたのは小さな不動明王。立派な石祠に比べると、少し調子抜けした。元は違う石仏が祀られていたかも。
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そして神変大菩薩。
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左脇に祀られていた石仏群。
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「行者の森」を後にする。
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Aug.24(Sun)22:11 | Trackback(0) | Comment(2) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床26 |
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水場。石仏は流されなかったようだ。
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上部は崩れやすくなっている。少しの雨でも流れ落ちてきそう。
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柵の左向こうは銀閣寺の境内。
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「行者の森」に到着。今までこの場所にこのような石仏があること自体知らなかった。
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「大日如来」。大きくて立派だが、磨耗も激しい。古い時代のものなのだろう。
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Aug.24(Sun)22:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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山科から大文字火床25 |
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このあたりの森は「銀閣寺山国有林」となっていた。
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谷筋に下る。
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谷筋との出合い。小さな橋を渡る。これ以後は谷に沿って下る。
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こちらの登山道も、昨年の台風で崩壊があって、まだ工事中だった。
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この様子だと、また大雨が降ると、斜面が崩れ土砂災害が起きそうだ。
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Aug.23(Sat)21:46 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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