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社寺仏閣

江包・大西の御綱祭り14

豊作を祈る農耕神事
 綱 掛 祭


場所 奈良県桜井市大字
   江包 牛頭神社
   大西 市杵島神社
日時 毎年二月十一日 午前九時頃より正午まで

『八雲立つ出雲八重垣妻ごめに 八重垣つくるその八重垣を』

祭りの概要

素盞嗚尊と稲田姫命の結婚の儀式である。
江包村から素盞嗚尊の雄綱、大西村から稲田姫命の雌綱を運び寄り牛頭神社の神前で夫婦の契りを結ぶ神事である。
両村人が四〇〇〇把(たば)の新藁を持ち寄り円錐形(えんすいけい)の雄綱は前々日に円輪形(えんりんけい)の雄綱は前日に作る。
各、六〇〇キロの重量と一〇〇メートルの長さをもつ大注連縄を当日神前で結合し「入船の式」を行い、神主の子孫繁栄、五穀豊穣の祝詞による祈願を行う。
その間泥田で相撲をとり豊作を祝う等の行事などがある。
この綱は五月の中頃までそのままお祭りして置く。

素盞嗚神社の由来記

要旨
大同三年戌子の年極月(西暦八〇八年十二月、約一一七〇年前)二十五日の朝より二十九日の夜にかけて大雪が降り八、九尺も積もった。
年が明けて天気が良く雪が解け大水となりその上七日大雨が降って水は益々増加し三輪山の峯より螺(てつ砲水)が出て山谷を崩す洪水となった。
三輪明神大巳貴命の元に家内安全五穀成就のお祓をする牛頭天皇の小宮があったがこの大水で流され給うた。
水防のため堤を守っていた村の老若男子が光明を照して流れくる御幣を発見し何とか救い奉ろうとしたけれども何分大水で何とも致し方がなかった。
大西村に善光院という山伏がいてこの大水を除こうと川辺でお祈りしていた。
彼が敬拝したところ江包村の辰巳の方にある阿難子大権現の宮の南にある大柳の株に打寄せ給うた。
あまりにも霊神なので誰も近付く者がなかった。
そこで庄屋天野源左衛門と古川重兵衛両人が観音寺の大光院にお願いして村内に勧請し奉つたならば永く末代まで悪病除の古跡となるのではないかと申した。
村人は早速大光院に頼み村内に守護し奉ることになった。
大光院の申すのには大同巳丑の年に流れ来給うたから丑寅の方に祭るのがよいが丑寅は表鬼門であるから裏鬼門に勧請してはどうかと申した。
村人はそれに従い未申の方に小宮を作って祭祀することになった。
このことを三輪の神主が伝え聞いて我々氏子の疫病除の霊神は取り戻さなければならないと神文書面をもって申し込んで来たけれどもこの天皇様は動くことを希望されなかった。
そこで三輪の神主は禄供御前料として十二石下されることとなった。
そのための神輿があったが平清盛兵乱のときなくなったので今はない。
両村立合の綱掛の因縁については、大西村の本光院と江包村の大光院両人で開眼されたとき大西村の庄屋山野藤右衛門が村人と相談して大きい七五三縄を奉納し村の災難除を祈願することになり、若男が女綱を作った。
そこで江包村でも男綱を作り奉納することになった。
そこでこの夫婦の契りを嬉ぶ行事となった。
二十五年後綱があまり大儀なので小綱にして奉納したところ両村に疫病が流行し医者が薬を盛っても死者が多く出た。
このとき占者がこの悪病は神罰だと申したので早速綱を元の如く打直し懸けたところその日より疫病は静まりおだやかになった。
本朝に双び無き古今の名僧空海上人がこの村を訪れ給つたとき申されるには牛頭天皇は本地垂迹(ほんじすいじゃく)では薬師如来の化身であるから●の梵字をあてるべきでこれから永く正月にこの行事を行いなさいと申された。
尚これから後代末世に至る迄相違なく相勤めたならば世上に悪病が流行しても両村には悪鬼神が来ることがない。
疑いの心を起こさずこの神事祭礼は相勤めるべきである。
もし背く者が末世にあれば直ちに七福が滅亡し七難がやってくるであろう。
牛頭天皇の御詑宣(ごたくせん)は恐るべし、秘すべしと書きおかれた。
(この文は田村金蔵翁の遺書中より田村久通氏が写書いたものである。)

神事の意味

綱掛神事の文献はない。
素盞嗚神社の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話は川の氾濫を大蛇に喩え、退治したことはそれを防ぎ守ったことを意味するという民俗学者の説がある。
前記の由来記は非常に関係深いと言える。
江包とは河に包まれた部落という意味の名称で昔は水災に苦しめられた土地であって、それ故にこの行事が生まれたのであろう。
仲人役は世襲の喜田家であり、両村の間には古くから姻戚関係が全く無いこと等、其の素朴な点から考えて古い時代から伝えられた農民の誇るべき芸術とも言える。
素盞嗚尊と稲田姫命は「八雲立つ・・・」の古歌にある如く夫婦仲最も睦まじい神であった。
この祭は豊作を祈ると共に良き子宝に恵まれることを祈願する儀式でもある。
更にそのすばらしき相手恋人があらはれることを御願してもよいことになる。
霊験あらたかなのか最近綱の下でその意味の祈祷を願い出る方々が多くなった。

江包 素盞嗚神社

.....................
おしまい。



3月7日(木)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り13

男綱も二人掛りで木に登り綱を通す。


左が男綱、右が女綱。


“入舟の儀式(男綱と女綱の合体)”が始まる。


合体した男綱と女綱をわら縄で固定している。


終了。
お疲れ様でした。



3月7日(木)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り12

男綱の方が担ぐ距離が短い。
休憩はなかった。



素盞鳴神社の境内へ男綱を担ぎ込む。


女綱に向かって、男綱を鳥居の後の木に取り付ける。


吊り上げる。


木の二股に男綱を掛けて通す。


3月6日(水)19:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り11

女綱をわら縄で縛っている!?


一方、男綱が宮司に先導されてやって来た。


こちらも皆さん全身泥だらけ。


「よーいとせ、よーいとせ」の掛け声がこだまする。
気迫が凄い!



男綱の“尾”も長~い。


3月6日(水)19:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り8

画像の真ん中の男性も逆方向へ力を入れて、女綱が進行するのを阻止している。
前の方から「あんまり (うしろへ)強くひっぱるな」の声も聞かれた。



またしても休憩。100mも進んでいない。
なかなか前に進まない。
お酒が入って足がふらつく人も。



ようやく宮司が先導して動き出す。
休憩時間、10分程度。



大和川に架かる橋を渡るところ。


江包(えっつみ)の素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)に女綱を担ぎこんできた。


3月4日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り7

泥を顔に塗ったくっているのは、仮面を被っているように見えなくもない。


左のグリーンの服を着た男性は、女綱が進む方向と逆方向に引いている。
女綱が右方向に進もうとしているのにストップを掛けている。



女綱の“尾”に縄で括りつけられた部分を握って、女綱がスムーズに進むのを阻止している。
前後の男性は、単に“尾”を持っているだけ。



右手に缶チューハイ、左手にお酒を持つ人。


わざと女性の方へ、くねっているのかも


3月4日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り6

休憩となった。
女綱の先頭に宮司の姿が見える。(右)



休憩中。


観客の人達に、女綱の“尾”を跨いではいけない、と注意されていた。


まだ暫くお休み中。
お酒を飲んだりしていた。



女綱を担ぎ出し、宮司がこれを先導して、いざ出発。


3月3日(日)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り5

三組目の取り組み。
三組目ともなれば、土俵の泥が拡散され、“出来上がっている”。
白いシャツのお兄さんは長靴の大半が泥に埋まっている。
土俵はベストコンディション



三者入り乱れての“乱闘戦”となる。


その後、更にもう二人が加わり大混戦となる。
観客からは拍手!!



男綱に腰を降ろして休憩している人達。


江包相撲場を後にして、一方の大西区へ向かうが、大和川に架かる橋を越えなければならない。
少し時間がかかった。

大西では女綱を担ぎ出しているところに出くわす。



3月3日(日)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り4

赤シャツのお兄さんが、青シャツのお兄さんの顔に、いきなり泥を塗った。


悪乗りして、行司も青シャツのお兄さんに泥を塗ったくっている。


赤シャツのお兄さんがハチマキを取って、いざ勝負!!


がつぷり四つ。


引き分けかな。
この行司さん、軍配を差し上げて、勝負の決定を示さない。
当然、勝ち力士の勝ち名乗りもなし。
黙っていると盛り上がりに欠ける。歓声もなし。



3月2日(土)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り3

「はっけよい」「のこった!のこった!」。
ちなみに「はっけよい」は、“発気揚揚”が詰まった言い方で、全力で勝負しょうというほどの意味。
「のこった」は、両力士とも、土俵に残っている、まだ勝負はついていないと、知らせている。
がっぷり組んで硬直状態の時は、“発気揚揚”。
技をかけている時は、まだ勝負はついていない“のこった”となる。



「のこった!のこった!」。


「廻し」がないので、白シャツのお兄さん、技をかけにくいが・・・。


おっと、茶色ズボンのお兄さんが、まさかのうっちゃり!?
茶色ズボンのお兄さんの勝ち~。



次の取り組み。
赤シャツのお兄さんは泥を顔に塗ってお茶目。



3月2日(土)19:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り2

取り組みがまだ始まらないので、江包の春日神社へ行ってみる。


春日神社境内。
ここでこの祭りのパンフレットを頂戴した。



境内に祀られていた金毘羅大権現(右)と、左の石造物には梵字が彫られている。


土俵へ戻る。
これから取り組みが行われる。
右のグリーンのズボンを着た男性が行司。
左の二人が取り組みを行う。



見合って、見合って・・・。
軍配の代わりに団扇を持っているが、軍配は正式には軍配団扇と呼ぶそうだ。
軍配



3月1日(金)18:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

江包・大西の御綱祭り1

2019年2月11日(月)は、毎年、桜井市内で行われている伝統行事「江包・大西の御綱祭り」(国指定無形民俗文化財)を初めて見物した。
場所は桜井市の西部、田原本町との市町村境、大和川沿い。

<概要>
下記、桜井市のサイト お綱まつり によると、
朝、各地区の神社から、江包は男性の象徴を示す男綱を、大西は女綱を担ぎ出す。
どちらも700キロ程もある大綱で、100メートル程度の尾綱がついている。
途中慶事のあった家を祝ったり、田んぼで泥相撲を取ったりしながら綱の行列は昼前にやっと素盞鳴神社までたどりつき、入舟の儀式(男綱と女綱の合体)がとりおこなわれる。

最寄り駅はJR桜井線巻向駅だが、私は近鉄沿線に住んでいるので、橿原線笠縫駅から徒歩で向かった。
祭りのクライマックスは、上記“入舟の儀式(男綱と女綱の合体)”で、概ね午前中に終わる見込みなので、現地には10時半頃に到着する予定で自宅を出た。
付近には飲食店やコンビニがないことから、軽食を持参。
結果、座るところがないので、立ち食いとなったが、軽食持参が正解。
尚、現地にはトイレがなかったように思う。

<メモ>
・当日歩行 (自宅~自宅までの正味歩いた時間と推測距離)
 推測距離: 約11.0km。(0.67m×16,480歩=11,041m)
 歩行時間: 2時間27分。
 歩数: 1万6千歩。

<参考>
お綱まつり(江包・大西)(おつなまつり(えっつみ・おおにし))
江包・大西のお綱祭り

画像はお綱祭りの幟が立つ江包(えっつみ)区の素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)の境内。



素盞鳴神社。
拝殿には地元の有志の方が、良縁、子宝等のご祈祷の受付をされていた。
右の板には奉献された方の御芳名と供物(清酒三本等)が貼り出されている。



田んぼで土俵作りが行われている。
江包相撲場にて。
これとは別に大西地区にも同じく、にわか相撲場がある。



土俵の横に置かれていた男綱。


男綱を別のアングルから撮影。
長い“尾”を持つ。全長三、四十メートル。
重さは約600kgとのこと。



3月1日(金)18:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

御出現!春日大社の神獣2

景雲殿の入口に置かれた案内板。
他の場所では、このような案内板は見かけなかったように思う。



左の画像は第一殿 狛犬。


第二殿の狛犬(左)と獅子(右)。


尚、館内の写真撮影は不可。
絵葉書を一枚100円だったか、販売していた。
あと、クリアケースなどのグッズも。
おしまい。



6月15日(水)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

御出現!春日大社の神獣1

奈良公園の春日大社境内、景雲殿(けいうんでん)で「御出現!春日大社の神獣」として、狛犬と獅子が特別公開されている。

サブタイトルは、-800年を経て御本殿獅子・狛犬初公開-。
拝観料:300円。
期間は6月1日から30日まで。(期間中無休)

パンフレットによると、
御造替にともない撤下された
獅子・狛犬4対8体は
その内6体が鎌倉時代の製作で、
800年もの間御本尊を鎮護してきたことが判明。
残る2体も他に類例を見ないユニークで愛らしい姿で
大変注目されます。
本展示は、初公開の8体の獅子・狛犬に加え、
春日権現験記(春日本)などの絵画や史料を展示。
獅子・神鹿、神鳥の絵図や彫刻など
神獣にスポットを当てるものです。


御出現!春日大社の神獣展 : 春日大社第六十次式年造替奉祝行事実行委員会



出品目録ほか。
ここでは、獅子と狛犬という表現をしているが、現在では両方併せて狛犬と呼んでいる。
尚、今回展示される8体はすべて木製。

狛犬 - Wikipedia によると、
狛犬(こまいぬ)とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。



自宅から自転車で出かけた。
今、宝物殿が工事中で、景雲殿の場所が若干わかりにくい。
この案内に従って進もうとしたら、その先に「関係者以外立入禁止」の看板が立ってあったので引き返す。



一旦、本殿に向かい、西へ下ると社務所の手前に景雲殿があった。
画像は本殿を西側(景雲殿前)から撮影。



景雲殿の入口。
見学者は少ない。
境内は外国人で溢れていたが、この中は日本人のみ。



6月15日(水)18:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理

吉水神社8

祭神に楠正成公、吉水宗信法印公が合祀されている。


吉水神社、“一目千本”。


“一目千本”からの眺望。


吉水神社を後にする。尚、吉野山を訪れたのは2015年11月5日(木)。おしまい。


11月26日(木)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社寺仏閣 | 管理


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