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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年4月を表示

No.2モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番

No.2モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番を視聴してみよう。
ピアノ協奏曲第20番 (モーツァルト)
【過去にアップしたモーツァルト ピアノ協奏曲 第20番】
モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番

Concours Géza Anda 2012 | Mozart-Round Varvara Nepomnyashchaya 09.06.2012



Mozart: Piano Concerto No.20 K.466 + Encore / Argerich Arming New Japan Phil (2005 Movie Live)



Mozart Concerto D Minor K466 Freiburger Mozart-Orchester, Michael Erren,Valentina Lisitsa



4月30日(木)17:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.13岸和田城と周辺散策

八陣の庭(はちじんのにわ)の説明絵図。
残念ながらこの位置から庭園の全容は観られない。
ボランティアの人曰く、天守閣から眺めるとよく分かるとのこと。



岸和田城を後にして岸和田だんじり会館へ向う。


だんじり会館は岸和田城のすぐ近く。


会館の概要。

岸和田だんじり会館は入場料 大人600円。
この日は拝観せず待合コーナーで展示物などを観ていた。
トイレを拝借。



展示品の一つだんじりの絵画。

つづく。



4月30日(木)05:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.12岸和田城と周辺散策

天守閣の東裏側、“犬走り”を歩いてみたが、手入れが行き届いており驚くほど綺麗。


天守閣から西方向となる多聞櫓・隅櫓からの眺め。


多聞櫓・隅櫓は歴史展示や映像展示、兜試着体験などが出来る。

画像は蛸地蔵縁起絵巻をコピーした展示品。



岸和田城の変遷。


映像展示コーナーでは「蛸地蔵伝説」、歴史展示コーナーでは「岸和田城の歴史」。

つづく。



4月30日(木)05:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.11岸和田城と周辺散策

天守閣(右)と小天守(左)。
小天守が拝観の入口。大人:300円。



庭園「八陣の庭」を観る。
この庭は天守閣から眺めると構成が分かりやすいとのこと。
この日は天守閣を拝観せず。
参加者の中には拝観された人もいた。



アングルを変えて撮影。
正面は多聞櫓と隅櫓。



「八陣の庭」の説明板。

八陣の庭(はちじんのにわ)

昭和28年(1953年)、当時の庭園設計の第一人者であった重森三玲氏によって設計監督されました。
庭石材料は作者が一石一石選定した和歌山県沖の島産の緑泥片岩を用いた石組を、京都白川産の白砂で囲み、一木一草入れない枯山水としています。
テーマは諸葛孔明の八陣法を取り入れ、大将を中心に天・地・風・雲・龍・島・蛇の各陣を配しています。
本庭は城跡の保存を意識し、将来建設されるであろう天守閣から、さらに上空からの俯瞰(ふかん)を意図して作成されたこれまでにない近代感覚にあふれた独自の創作によるものです。



説明文にある京都白川産の白砂を用いた枯山水。

つづく。



4月30日(木)05:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウス

エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウスを視聴してみよう。
エルヴィン・ジョーンズ
ライヴ・アット・ザ・ライトハウス

エルヴィン・ジョーンズ ライヴ・アット・ザ・ライトハウス
1.「ファンシーフリー」(ドナルドバード)-21:06
2.「新種」(デイブ・リーブマン)-12:06
3.「サンバ」(ジーン・パーラ)-13:12
4.「私の船」(アイラ・ガーシュウィン、カート・ワイル)-8:52
5.「ハッピーバースデー」-0:50
6.「スウィートママ」(ペルラ)-15:30
7.「子供たち、子供たちを救う」(ドンガルシア)-7:58



4月29日(水)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.10岸和田城と周辺散策

岸和田城絵図に記された「岸和田城の変遷」。

建武元年(1334年)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。
その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、寛永17年(1640年)岡部宣勝が入城、以来13代続き明治を迎えました。
岸和田城の別称は「猪伏山滕城(いぶせやまきりじょう)。「滕」(きり)」とは、機のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を連ねた形が「滕」に似ているところから由来するといわれています。
また、城は「千亀利(ちきり)城」「蟄亀利城」とも書かれます。
文政10年(1827年)、雷火により五層の天守閣が焼失し、昭和29年(1854年)、その後に三層の天守閣が復興されました。
城跡は、昭和18年(1943年)に、大阪府の史跡として指定されました。



大手櫓門(やぐらもん)から入城する。
城内は自由。天守閣拝観料:300円。



大手櫓門を潜ると、いきなりだが大釜が置かれている。


説明書きによると、酒造用に使われていた「甑(こしき)用大釜」。
城内で使われていたものではなさそう。
何故ここに置いてあるのか不明。



国指定名勝 岸和田城庭園(八陣の庭)。

つづく。



4月29日(水)05:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.9岸和田城と周辺散策

野面積の石垣をズームアップ。


岸和田藩薬園跡の説明板。

かつてこの場所には岸和田岡部家第9代藩主岡部長慎が命じて作らせた薬園があった。
【以下割愛】

現在、この場所には説明板が立つのみで駐車場になっていた。



岸和田城、大手櫓門(やぐらもん)へ向う。


画像中央が大手櫓門。
右手に多聞櫓・隅櫓が建つ。



岸和田城絵図。

つづく。



4月29日(水)05:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.8岸和田城と周辺散策

岸和田城天守閣を別のアングルから撮影。
北東→南東。



市指定文化財 五風荘。
現在は回遊式日本庭園を持つ予約制の日本料理レストランとなっている。
五風荘

以前、がんこ寿司が運営している時に利用したことがある。
現在は、グランドホールが運営しているようだ。



五風荘の説明板。

寺田財閥の寺田利吉が旧岸和田藩主の新御茶屋跡などに、昭和12年から3年の歳月をかけて造営した大邸宅である。
【以下割愛】



南正面から撮影。


お城の石垣は野面積(のづらづみ)と呼ばれるもので、使用されている石は形も大きさもバラバラ。
大阪城の石垣などと違って精巧に造られていない。
しかし、この光景に素朴で親しみを感じる。

つづく。



4月29日(水)05:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

インガ・フィオリア

インガ・フィオリアを視聴してみよう。
インガ・フィオリア

Chopin Piano Concerto No.1 (Trinitatis Church) - INGA FIOLIA



Inga Fiolia- Haydn Piano Sonata, C major no.60 (London Recital)



4月28日(火)18:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.7岸和田城と周辺散策

岸城神社を後にして道なりに南へ歩くと、突然展望が開け岸和田城が現れる。
岸和田城天守閣(中央)と小天守(右奥)をズーム撮影。

後でわかったが、岸和田城のパンフレットには、この場所から撮影した画像も掲載されていた。



ご近所の人だろう堀の水鳥にエサを与えていた。


エサを求めて鯉や水鳥が集まっている。


近づいても逃げようとしないハト。

つづく。



4月28日(火)05:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.6岸和田城と周辺散策

伊勢神宮遥拝所。
樹木が生い茂り伊勢神宮の方向が望めない。



府立和泉高校美術部が作製した大絵馬。
令和元年(2019年)の干支は亥。
毎年奉納しているようだ。



お百度参りの百度石。


慶應二 丙寅年 十一月吉祥日の銘。


發起××。

つづく。



4月28日(火)05:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.5岸和田城と周辺散策

神馬。


参拝記念の撮影用だろう。
だんじりと岸和田城をデザイン。

日付が昨日(6日)のままになっている。



岸城(きしき)神社御由緒

御祭神
天照皇大神 アマテラスオオミカミ 元岸和田村産土神
素盞嗚尊  スサノオノミコト   牛頭天王
品陀別命  ホンダワケノミコト  八幡厄神

天照皇大神は、往古より当地の産土神としてお祀りされ、寛文六年(1661)には、岸和田城の城郭拡大に伴って城内「神明社」付近に取り込まれ、 天照大神小社(通称・神明社)と称された。
その後も岸和田村民の崇敬は厚く、明治初年には境内末社として境内地に遷座され、平成二十年には、御社殿改築を期に主祭神として 増祀された。

素盞嗚尊は、慶長三年(1598)小出秀政が岸和田城の普請を完成。
この頃、初代城主・小出秀政が隣村より分祀。
岸和田郷の総社として、江戸期は牛頭 天王社の名称で崇敬された。
社伝によると、牛頭天王は、正平十七年(1362)、隣村の長が老親の病平癒を願って京都・感神院(現・八坂神社)より勧請したものである。

品陀別命は、慶長三年(1598)頃、牛頭天王社の城内遷座を期に、岸和田郷内にあったと思われる八幡神を併祀。
岸和田城の鎮守として、江戸期は八幡社の名称で崇敬された。

小出秀政が城内に社殿を築造した後も、元和五年(1619)岸和田城主となった松平康重が寛永年間(1624~43)に新たな社殿を建立し、春日大明神・愛宕大権現・天満 天神の三社を勧請。
岡部氏初代・宣勝は、廃壊した社殿を万治四年(1661)に修復、彫物などで美しく飾り立てている。
このように古くより歴代藩主の崇敬が厚く、氏子も宮 座を組み祭祀を務めた。
また、宮寺である日光寺(明治初年廃寺・現本殿地にあった)では「三郷(村・町・浜)の寄合」が開かれる等、当社は岸和田城下民の拠り所であった。

「御宮」の名称で親しまれた牛頭天王社と八幡社を、明治初年に合祀し、岸城神社と改称。
城内「神明門」付近にあった「神明社(神照太小社)の社殿を現境内に移す。
明治六年(1872)郷社に列し、明治二十九年(1896)には、旧藩民・氏子の奉賛により現在の広大な境内が整備された。
明治四十年(1907)神餞幣帛料供進社に指定され、大正四年(1915)大工町「蛭子神社」、大北町「琴平社」を合祀。
これより、現 在の二十ヶ町を氏地とする産土神社となる。
【以下割愛】



左は白馬舎、真ん中の石鳥居は伊勢神宮遥拝所、右の赤鳥居は稲荷大明神。


白馬舎の中には御神馬の人形が奉納されていた。

つづく。



4月28日(火)05:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

安聖民

安聖民(アン・ソンミン Ahn Sung-min)を視聴してみよう。
あんそんみんの音‐安聖民のおと
安聖民 안성민

安聖民 路上ライブvol.1-vol.3
安聖民コリアタウン路上ライブvol.1-2017.9.24
安聖民コリアタウン路上ライブvol.2-2017.10.14
安聖民コリアタウン路上ライブvol.3-2017.11.26



4月27日(月)17:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.4岸和田城と周辺散策

撮影した画像では分かりにくいが、肉眼では僅かに「別寅かまぼこ」と読めた。


Google マップを見ると「別寅かまぼこ 城内寮」と表示されていた。
この豪邸の中に従業員の寮があるらしい。



岸和田高校運動場の手前で左折。
左手に岸城(きしき)神社が現れる。

岸城神社

岸和田城・三ノ丸に鎮座し、御祭神は天照皇大神・素戔嗚尊・品陀別命の三柱。
村・町・浜方三郷を氏地とする岸和田総鎮守。
旧・郷社。岸和田祭発祥の宮。
天照皇大神は往古より当地の産土神で、現・境内地は慶長2年(1597)の小出秀政による岸和田城天守竣工の頃に整備され、疫病退散に神威を発揮する素戔嗚尊(牛頭天王)が祀られると共に、品陀別命(八幡神)も併祀された。
宮寺・日光寺(廃寺)の文書には、素戔嗚尊は正平17年(1362)に京都・感神院(八坂神社)より勧請され、当初は隣邑地域に祀られたとある。
御宮の名称で崇敬された当社は、明治初年に岸城神社と改称。
宮座が現存し、旧暦では6月、8月、11月の13日に、新暦では月遅れで祭祀が営まれる。
例祭は9月15日。神賑行事として各町から曳き出された地車は、旧・北大手門から城入りし当社に宮入りする。

岸和田市



岸城神社にお参りする。


手水舎。

つづく。



4月27日(月)05:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.3岸和田城と周辺散策

武家屋敷「佐々木家住宅」の説明板。

岸城町一帯は、江戸時代の岸和田城本丸・二の丸・三の丸にあたる城内地区で、藩の役所や上級藩士の屋敷が建ち並んでいました。
佐々木家は岸和田へ移る以前から藩主岡部氏に仕えた譜代家臣で、代々側用人(そばようにん)や町奉行(まちぶぎょう)などの要職を勤めた藩士の一家です。
主屋の一部は明治時代に町家を移築したものですが、本瓦葺・入母屋造で左右二箇所の与力窓を備えた長屋門や、土塀はほぼ往時の姿を伝え、今では数少なくなった武家屋敷の面影を残す貴重な遺構です。
(建物は非公開)

岸和田市



現在地「佐々木家住宅」近辺の地図。


武家屋敷「佐々木家住宅」の長屋門。


この辺りは豪邸が建ち並ぶ。


豪邸の正面玄関。
通常この門は閉めているようだ。

つづく。



4月27日(月)05:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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