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六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐41

コースには含まれないが、五大堂を訪れるのは、久しぶりなので、立ち寄ることにした。
参加者の中にも、立ち寄る人が多かった。
尚、この場所に再び戻ってくる。(緑矢印)



聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)を真ん中に、向かって右に役行者、左に第一世座主・観賢僧正。
以前は像の前まで歩み寄れたが、鎖が張られ立入禁止となっていた。

ところで、理源大師と奈良市の商店街「もちいどのセンター街」に伝わる「餅飯殿」の名前の由来について。
【AI による概要】
「餅飯殿」の由来には、主に二つの説があります。
一つは、理源大師が大蛇退治の際に、供として従った箱屋勘兵衛ら若者7人に対し、餅と飯を分け与えたことから「餅飯殿」と称したという伝説です。
もう一つは、理源大師に箱屋勘兵衛が餅と飯を持参したため、「餅飯殿」と呼ばれるようになったという話です。
・大蛇退治伝説
理源大師が大蛇退治に出かけた際、箱屋勘兵衛と7人の供が一行に加わりました。
一行は、大蛇に苦しむ人々に餅と飯を配りながら大峰山へ向かい、見事に大蛇を退治しました。
その功績を称え、理源大師が若者たちに「餅飯の殿」の称号を与えたことが、地名の由来となりました。
・貢物伝説
箱屋勘兵衛が、理源大師のもとへ参拝する際に、いつも大師の好物である餅と飯を持参していました。
そのため、理源大師が冗談で勘兵衛を「餅飯殿」と呼んだことが、その住んでいた町の名前になったという説です。



五大堂
【AI による概要】
・五大堂は、醍醐天皇の勅願により延喜7年(907年)に建立されました。
・現在の建物は、昭和15年(1940年)に再建されたものです。
・堂内には不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、烏枢沙摩明王の五大明王が祀られており、「五大力さん」の通称で親しまれています。
・毎年2月23日には「仁王会大祭」が厳修され、災難身代わりの霊符が授与されます。



五大堂を後にし、横嶺峠へ降りる。


参道にはロープが張られている。

つづく。



12月10日(水)04:36 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

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コメント

 1: ブログ再開!感謝!

超早朝のアップですね
懐かしい、五大力尊!
西国三十三箇所巡礼でお参りしたのは40年近く前
岩間寺へ巡拝するのも、もう無理ですので
貴兄のブログで楽しみます
ありがとうございました


 by Yonchan | 12月10日(水)08:08

 2: ありがとうございます。

いつもお越し下さりありがとうございます。
今回歩いた、鴨長明方丈石、供水峠、ユウレイ峠から醍醐寺奥之院の行場は初めて歩きました。
また、上醍醐から下醍醐への行程ですが、通常の参拝コース(正規の参道)ではありません。
“裏道”と云った感じですね。
このコースもお初で、なかなか面白かったです。


 by oka-nara | 12月10日(水)09:32


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