山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年2月を表示

白内障

昨日(2月27日)、白内障の手術をした。(右目)
その為、当面は静養が必要。

白内障 - Wikipedia



2月28日(水)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 日常 | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷41

奥の院にはベンチが置かれているが、眺望はない。


奥の院を後にする。

左右に分岐した道を右に進む。



分岐に立つ道標。
掬星台へ向かう。距離0.3km。



天狗岩に到着。


天狗岩
奥之院の北の山頂にあるこの天狗岩という巨石は、広さ八畳ともいわれ、伝説によると摩耶山の僧が山中に出没する天狗を封じ込めたところだという。
行者岩とも称され、今日でも修験道者が信仰の対象としているが、古い山岳信仰の岩坐(神が降臨するといわれる巨石)だったのであろう。
この岩の名も、その北方から布引市ヶ原に至る山道、天狗道の名も、ともにそこで修行する山伏の姿を見た山麓の農民が山伏たちを天狗と思って名づけた呼び名であろう。



2月27日(火)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷40

旧八十八ヶ所窟巡りのなごり、石造りの小堂。
今はどの窟にも石仏は祀られていない。
後で気づいたが、新しく建造された天上寺の山門付近に、ここに祀られていた石仏群が安置されているとみられる。



今はお参りされなくなった旧八十八ヶ所窟巡りの石段を登る。


平坦なところに出る。


奥之院跡に到着。
奥之院跡
本堂の背後330mのこの地にあった奥之院は、法道仙人によって建立されたと伝えられ、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。
内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていた。
なお、この奥之院を囲んで、山中に石造の八十八ヶ所の小堂が設置されたのは、明治38年のことであった。

法道 - Wikipedia



奥の院跡
六甲山地の中でも貴重な原生林が広がっている旧天上寺の奥の院跡はミヤコザサの群生や、ツガ、アカガシの古木、雄大な大杉に囲まれた荘厳な空気があたりを包む。
また奥の院は修験道の行場でもあり神聖な場所とされた。
摩耶遺跡



2月27日(火)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ブルーノ・マーズ

気分転換にブルーノ・マーズの音楽を聴いてみよう!?


2018年 第60回グラミー賞 7部門受賞

◆「24K Magic」

1.最優秀レコード賞 2.最優秀アルバム賞 3.最優秀R&Bアルバム賞 4.最優秀英語アルバム賞(ノンクラシック)

◆「That’s What I Like」

5.最優秀楽曲賞  6.最優秀R&Bパフォーマンス賞  7.最優秀R&B楽曲賞



Bruno Mars - 24K Magic [Official Video]
視聴回数 9.5億回






Bruno Mars - Finesse (Remix) [Feat. Cardi B] [Official Video]
視聴回数 2.8億回




2月26日(月)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

滝坂の道_首切地蔵_柳生_笠置山寺

2018年2月25日(日)は、山を登る会の例会に参加した。
近鉄奈良駅からスタート。滝坂の道を歩いて円成寺で昼食。
食後は阪原峠(かえりばさとうげ)を経て柳生の里へ。
笠置山寺本坊前からJR笠置駅に下山した。

参加者88名。リーダーはN氏。

コース
8:48近鉄奈良駅9:14_春日大社萬葉植物園前_旧柳生街道(滝坂の道)出合_飛鳥中学前_妙見宮五丁分岐_寝仏_夕日観音_朝日観音_首切地蔵_春日山周遊道路を横断_石切峠_峠茶屋_八柱神社_大慈仙バス停方面分岐_墓地_11:20円成寺・昼食11:43_大柳生幼稚園前_白砂川に架かる橋を渡る_夜支布(やぎゅう)山口神社_水木古墳_南明寺_おふじの井戸_阪原峠(かえりばさとうげ)_疱瘡地蔵・正長元年柳生徳政碑_磨崖仏_六地蔵磨崖仏_柳生公民館前_八坂神社前_旧柳生藩家老屋敷前_十兵衛杉_打滝川に架かるやぐり橋を渡る_阿対(あたや)の石仏_かさぎゴルフ倶楽部_打滝川に架かる鹿鷺(かさぎ)橋を渡る_笠置山寺本坊前_庚申堂(青面金剛石仏 宝永二年)_石仏群_笠置山登山口(交差点)_白砂川に架かる橋を渡る_14:00JR関西本線笠置駅14:28

コース歩行距離約24km。

実歩行距離約26.2km。(自宅~最寄り駅等を含む)
歩数3万7千歩

画像はこの日歩いた近鉄奈良駅から笠置駅までの内、昼食場所の円成寺までのGPSログを表示している。



続き、円成寺から笠置駅までを表示。


多宝塔。円成寺境内にて。


阿対(あたや)の石仏。


庚申堂の青面金剛石仏。宝永二年(1705)。
笠置山寺参詣道、下の道にて。



2月26日(月)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

大和川流域の道6(久宝寺_大阪城)

2018年2月24日(土)は、土曜会に参加した。
大和川の流域を歩くシリーズの第6回目(最終)で、旧大和川(現:長瀬川及び第二寝屋川)沿いに、近鉄久宝寺口駅からJR大阪城公園駅まで歩いた。
参加人員6名。

コース歩行距離約10km。

実歩行距離約19.0km。(自宅~最寄り駅等を含む)
歩数2万7千歩

コース
近鉄久宝寺口駅_久宝寺口商店街_<長瀬川沿いに歩く>_旭橋_大阪中央環状線の高架下を潜る_藤美橋_樋の間橋_サンコー(スーパーマーケット 昼食弁当購入)_金引地蔵尊_金岡橋_金大橋_金岡中学前_金岡公園_長瀬神社_吉松新橋_近鉄長瀬駅前_長瀬橋_柳橋_説明板(帝国キネマ長瀬撮影所跡)_説明板(樟徳館)_菱屋橋_延命寺(延命地蔵尊)_大阪樟蔭女子大学_近鉄奈良線の高架下を潜る_説明板(新喜多新田と暗越奈良街道)_新喜多中学前_阪神高速13号東大阪線の高架下を潜る_川俣スカイランド(川俣水みらいセンター)・昼食_JRおおさか東線の高架下を潜る_放出南商店会_八幡神社_第二寝屋川に架かる放出駅東橋を渡る_長瀬川と第二寝屋川の合流付近_JR放出駅前_第二寝屋川にかかる阪東小橋を渡る_大阪内環状線の高架下を潜る_諏訪小学校前_大阪市放出下水処理場前_平野川分水路に架かる天王田大橋を渡る_天王田公園_大阪市建設局 中浜下水処理場_第二寝屋川に架かる上城見橋を渡る_道迷い_クレオ大阪東前_大阪環状線の高架下を潜る_PRONTO(ツイン21(CAFFE & BAR)_第二寝屋川に架かる大阪城新橋を渡る_水上バスのりば(大阪城港)前_JR大阪環状線大阪城公園駅

画像はこの日歩いた近鉄久宝寺口駅から大阪城公園駅までのGPSログを表示している。



長瀬川沿いに桜の木が植えられており、花が開花する頃は見事だろう。


長瀬川が第二寝屋川に合流する付近。


この日の歩く行程を終え、ツイン21の1階 PRONTO(CAFFE & BAR)で、ティータイム。


花魁風髪型で大阪城公園を闊歩する台湾の方とみられる女性達。


2月25日(日)17:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷39

三権現社跡に到着。


ここは分岐になっており、通常は右折し森林浴コースを歩く。
この日は初めて左折し尾根コースを歩いて奥の院から摩耶山頂へと向かった。



壊れた石造物。

正面の石に「九番」と彫られている。
後でわかったが、尾根コースは「八十八ヶ所窟巡り」となっていた。



自然石を積み上げた階段を登る。
かなりの急坂。



踏み跡は薄く、「森林浴コース」と比べ、あまり歩かれていない様子。


2月24日(土)18:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷38

「摩耶夫人堂跡」。釈迦の生母である摩耶夫人を本堂とするお堂。

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)には、かつて堂宇が建っていたところに、このような案内板が設置されている。



在りし頃の摩耶夫人堂。


本堂跡地。

説明書きによると、約13m四方の荘厳なお堂 本尊である 十一面観音像が安置されていた。



摩耶山周辺ハイキング道マップと上野道・青谷道の地図。

この後、三権現社跡前から分岐を右に見送り、奥の院跡、天狗岩大神、摩耶山頂、掬星台へと向かう。



摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)を後にする。


2月24日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷37

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)への最後の石段。
参道にも立派な杉が立っている。

石段をよく見ると、途中から左の方へずれている。
ずれているところに大きな杉が立っている。
石段を造る時に、この杉に配慮したのだろう。
現代だとどうだろう。
このような配慮なしに、杉を伐採するのだろうか。



日差しを浴びて眩しい。
青谷道の入口から、ほとんど木蔭の中を歩いて来た。
これほど天気が良かったとは!?



摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)に到着。

ここは何回か訪れている。



ここにも説明板が掲げられている。
先程の説明板とほぼ同じ内容なので割愛。

興味深いのは焼失前の天上寺の写真。昭和48年頃。



こちらの説明板は旧天上寺の建造物群について。
(旧摩耶山天上寺境内略図)



2月24日(土)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

水の街おおさか 水辺を歩く

2018年2月22日(木)は、ササユリの会に参加した。
題して「まち歩き 水の街おおさかを訪ねて~水辺を歩く~」。
スタートは地下鉄千日前線西長堀駅。
ゴールは淀屋橋駅だったが、歩き足りなかった人?は難波駅まで歩いた。

コース
地下鉄千日前線西長堀駅_大阪市立中央図書館前_木村蒹葭堂(けんかどう)邸跡・石柱_和光寺・阿弥陀池_土佐稲荷神社_木津川に架かる伯楽橋(はくらくばし)を渡る_大正時代の松島橋親柱・説明板・絵図_木津川に架かる松島橋を渡る_トコトコダンダン(水辺エリア)_木津川に架かる大渉橋(おおわたりばし)を渡る_阪神高速16号大阪港線の高架下を潜る_川口居留地跡_日本聖公会川口基督教会前_木津川に架かる木津川橋を渡る_舊大阪府庁跡地・石柱・案内板_大阪府立江之子島文化芸術創造センター_大阪府西大阪治水事務所_地下鉄阿波座駅地下入口8_靭公園(西園)・昼食_靭海産物市場跡(石柱)_ITCうつぼテニスセンター前_楠永大神・楠玉大神_靭公園(東園)_オブジェ_西船場小学校前_日本高等学校野球連名前_日本キリスト教団大阪教会前_土佐堀川に架かる筑前橋を渡る_大阪市立科学館前_国立国際美術館前_錦橋北詰_中之島緑道_土佐堀川に架かる淀屋橋を渡る_京阪本線淀屋橋駅地下入口7_<御堂筋を歩く>_近鉄大阪難波駅
参加人員12名。

画像はこの日歩いた地下鉄千日前線西長堀駅から近鉄大阪難波駅までのGPSログを表示している。



大正時代の松島橋の親柱(左)と、説明板、絵図に見入る参加者の人たち。


トコトコダンダン(水辺エリア)。

かつての立売堀川の入掘りを埋め立てて水辺エリアとして整備。

この後、偶然にもトコトコダンダンを設計した女性と大阪府西大阪治水事務所の人に出会い、お話を聞くことが出来た。

~DESIGNで人・まち・水辺をつなぐ~



靭公園(東園)のオブジェ。
皆さん、本物だと思って近づいた。私もその中の一人。



錦橋北詰に掲示された古い絵図を眺める参加者の人たち。


2月23日(金)17:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

箕面温泉スパーガーデン

2018年2月21日(水)は、かつて勤めていた職場の仲間と箕面温泉スパーガーデンに行った。

参加した4人の内、私を含め2人は午前中、箕面大滝までハイキングに出かけた。
遊歩道では猿の集団に出会った。
ここ数年、箕面滝付近では猿を見かけなかったので少し驚いた。
これは猿を野生に戻す為、猿に餌を与えないよう箕面市が条例を制定し、観光客に働きかけをしているからと聞いていた。
また、箕面大滝までの遊歩道は災害復旧工事中で通行止めとなっており迂回路を歩いた。

残りの2人とは箕面温泉スパーガーデンで待ち合わせて合流した。

実歩行距離約15.4km。(自宅から最寄り駅等を含む)
歩数2万2千歩

画像は遊歩道で出会った猿。
昔のように、人間に餌を求めることもなく、少なくとも私達には無関心だった。



箕面大滝までの遊歩道は災害復旧工事中の為、一部通行止めとなっていた。
(修業古場~戻岩橋の区間)
迂回路は山道となっておりハイキングシューズ以上の靴が必要。
自転車・ベビーカーでは通行不可能。



冬枯れした木々と箕面大滝。
こういう類の写真はあまり見かけないように思う。



箕面温泉スパーガーデン利用料金表。

日帰りプランの「スパガーデン入浴+ランチバイキングセット」を利用。
料金は3,077円。(料金明細:平日ランチS大人2,980円 シルバー割引(60才以上 免許証提示) -200円 消費税222円 入湯税75円)
利用時間制限75分。※飲酒代は別途。

この日は平日ながら比較的混雑していて、2部制となっていた。
利用時間は13時から14時15分までの75分。
オーダーストップは14時。その後の15分は席を利用出来た。

箕面温泉スパーガーデン ★★ランチバイキングのご案内



箕面温泉スパーガーデンに通じるエレベーター。

このエレベーター、かつては有料(100円)だったらしい。



2月22日(木)16:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷36

旧摩耶の大杉分岐。
H氏は初めてとのことなので立ち寄ることにした。
約50m。



訪れる人が多いのだろう。
踏み跡は明確。



旧摩耶の大杉

市街地から眺めると摩耶山の中腹に一際目立つ大木があるのに気付きます。
旧摩耶天上寺の塔頭のひとつであった蓮華院の西側に位置し、幹周り8mもある六甲山随一の大木であったと思われます。
昭和40年に発刊された「神戸の名木(神戸市公園緑化協会編 兵庫新聞社発行)」によると、約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた人々は、神霊が宿っているに違いないと「大杉大明神」としてあがめたと記載されています。
また同書によると樹令は千年とも記されており、その威風堂々とした姿に圧倒された様子が伺われます。
この「摩耶の大杉」は残念ながら、昭和51年の|日摩耶天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で、徐々に樹勢が衰え枯死してしまいました。
幾星霜の時を生き続け、移り変わる歴史の変遷を見続けてきたこの大杉の姿は、枯死してもなおその存在感を人々に印象づけています。



枯死しているが、倒れることなく立ち続けているのに驚く。


大杉を見上げる。
まだ生命が宿っているように見える。



2月21日(水)19:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷35

アメヤ跡。ここで飴を売っていたらしい。


仁王門。但し仁王様の姿はない。

仁王門を守護していた仁王様はどこに行かれたのだろう。
旧天上寺の火災の原因は、賽銭泥棒の放火によると聞いたことがある。
その中で唯一残った建物がこの仁王門。



仁王門を潜り抜け、更にその先の石段を登る。


お寺に寄付したお金の額面と寄進者の名前を記した石柱がズラリと並ぶ。


兵庫県立神戸高等学校と彫られた石造物があった。
静哩園と彫られている。
詳細は不明。



2月21日(水)19:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷34

上野道と青谷道の分岐を表す道標。


合流地点に立つ道標。

「→摩耶ケーブル下駅2.2km ←青谷道を経て西灘2.2km →旧天上寺跡を経て摩耶山上0.7km」。

Y氏らの到着をここで待つことにした。

分岐では朝、青谷道の入口で見た女性の二人連れが、ベンチに座って昼食中。
この後の歩くコースを聞けば、掬星台には向かわず、ここから上野道を歩いて下山するという。
推測するに掬星台のゴチャゴチャした喧騒が嫌なのだろう。
しかし、地元の人だから、このようなコース設定が出来る。
我々の様に遠方から来た者は、もったいない気がする。

やがてH氏が現れ、その後にY氏とTu氏が続いた。

Y氏がここで大休止をするといい、Tu氏が彼に付き合うことになった。
Y氏の勧めもあって、H氏と私は先に出発することにした。



上野道を右下に見送って旧天上寺へ登る。


説明板が設置されており、上野道から登ってきたとみられる単独行らしき女性がそれを見ていた。


旧天上寺跡は「摩耶山史跡公園」として整備されている。

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)
摩耶山(702m)は、古来山岳信仰の場であり、大化2年(646年)、孝徳天皇の勅願を受け、インドの高僧法道仙人により仏教寺院が開創されました。
その後大同年間、弘法大師空海によって、摩耶夫人像が奉安され、伽藍が造営されました。
これが、摩耶山忉利天(とうりてん)上寺です。
長い歴史の中で観音霊場や安産祈願の寺として信仰され、最盛期には多くの塔頭、僧侶を抱えた摂津地方第一の大寺だったと伝えられています。表参道である上野道や青谷道、また兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。
昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物のほとんどを焼失しました。
その後、寺は、開創の地と伝えられる元摩耶(ここより北へ約1.2km)へ移転し再建されました。
神戸市では、旧境内地を歴史・伝説を有する史跡公園として整備を行っています。【以下割愛】



2月21日(水)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青谷道_摩耶山_穂高湖_杣谷33

上野道合流地点への最後の急登。


道標。
これがあるので、急登ながらも気を紛らわせることが出来る。

この道標は登山道の左に位置していた。
あと僅かに100m。



急登は相変わらずだが、登山道は明るい日差しを浴びるようになる。


常夜灯の残骸。


平坦なところに出る。
ここが上野道への合流地点。



2月20日(火)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


(1/2ページ)
>1< 2 最後