山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年7月を表示

三重県石仏巡り7

このあたりの水田では、もう稲穂が実っていた。


近くのコンビニでコーヒーブレイク。自販機のコーヒーより美味しい。確か100円。3人ともコーヒー好き。


クルマで走っている途中、N氏がハスの花畑を見つけ、急遽、撮影タイムとなった。


ハスが植えられていた近くのお寺の前で撮影。瓦で作られた灯籠。この地方独自のものか。奈良では見かけないようだが。


大正四年 乙卯 と彫られた石仏。新しい。同じく近くのお寺の前で撮影。


7月31日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(5) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り6

祠の左側に壁面を覆うようにして、新しい覆屋が作られており、覆屋の中に入って磨崖仏を見ることになる。画像は、覆屋の中に設けられた格子の窓を開けたところ。


これが磨崖仏だが、磨耗が激しく、私には分かりづらかった。


こちらは、先程の壁面をくり貫いた祠の中に祀られていた石仏三体。中央は役行者、左は蔵王権現?右は不動明王?激しく磨耗しており三体とも顔の形が崩れている。


役行者の光背?が2つ重なっていて、あまり見かけないかたち。


右の不動明王らしき石仏のアップ。


7月31日(水)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り5

クルマで、津市白山町山田野へ移動。雲出川の支流沿いに「前薬師磨崖仏」と呼ばれている磨崖仏がある。画像は雲出川の支流と支流に架かる橋。磨崖仏を見るにはこの橋を渡る。クルマはこの橋の手前まで来られる。


この橋は、おそらく磨崖仏を見るために設けられたものだろう。


手摺りが設置されていたが、新しいものだ。


磨崖仏を見る前に目に入った壁面。この壁面が神秘的で、奇観と呼ぶにふさわしく、一見の価値はあると思う。N氏によると、このような奇観が、三重県内には少なくともあと二ヶ所あるらしい。


壁面をくり貫いて作られた祠と灯籠が見えるが、目当ての磨崖仏はこの祠の中ではない。


7月31日(水)21:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り4

クルマで津市榊原町へ移動。谷杣(たにそま)川沿いの道幅の広くなったところに駐車し旧道を歩く。画像の左上へ登る道が旧道。右側は後から出来た車道でガードレールの右下には谷杣川が流れていた。


暫く急坂を歩く。この時、T氏は体調不良を訴えていた。寝冷えが原因らしい。普通に歩くのにはなんともないが、坂道を登ると体が重く、前に進めないらしい。T氏にはマイペースで歩いていただいた。


すると右側に磨崖仏らしきものが見えてくる。


「谷杣の地蔵磨崖仏」と呼ばれる石仏で、周りの景色に完全に同化していた。


残念だが、長い歳月によってお顔が磨耗していた。まぁ、これも石仏の味わいの一つかもしれない。


7月30日(火)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り3

岩は画像のように割れている。


丁度、光がさしてきて、石仏たちをよく見ることが出来た。手前のお二人と比べて岩の大きさがわかるだろう。


N氏によると、画像中央の六体が最初に彫られたようだ。


「千度坊の十五体地蔵」を後にして、クルマに戻る時、墓地の入口付近で撮影。こちらは造花ではなく生花だった。


石仏をアップで撮影。素朴な良さがある。


7月30日(火)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り2

やがて分岐となり、右へと進むが、分岐に「小野平 千度坊の石仏」の案内板があった。ここまで案内板は一切ないようで、初めて訪れる人にはわかりにくいだろう。


付近は植林されていて、やや薄暗い。N氏によると、このあたりには、お寺(仙幢寺)があったらしい。


やがて右側に大きな岩が見えてくる。磨崖仏はこの岩に彫られていた。地元の人が、お参りされており、造花ながら、仏花が供えてあった。


全部で十五体の石仏が見られる。


一体の石仏をアップで撮影。なかなか味わい深いものがある。


7月30日(火)20:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

三重県石仏巡り1

2013年7月21日(日)、午前中、亀山市関町にある観音山公園へ、丹波の佐吉作、三十三体の観音石仏を見に行った。午後からは、同じメンバーのN氏とT氏、私の三人で、三重県内に点在する石仏を、帰路、ドライブがてら見て回ることになった。案内役はN氏。ゲストはT氏と私。まずは津市芸濃町小野平(つしげいのうちょうおのひら)、摺鉢山(すりばちやま)の登山口から少し山中に入ったところにある磨崖仏、「千度坊の十五体地蔵」を見に行く。摺鉢山は、経が峰から北東に位置する山で登ったことはないが、山の存在自体は知っていた。N氏によると、経が峰の麓には、石仏が多く見られるという。経が峰には何回か登ったことがあるが、登山道で石仏を見た記憶はない。登山ルートが違うのかもしれない。画像は小野平の墓地の入口付近から田園風景を撮影。


この先、舗装道路は墓地までで、すぐに地道となる。


墓地専用駐車場にクルマを駐車させていただいた。


ここは墓地兼火葬場のようだ。


道中にお地蔵さんがあった。


7月30日(火)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏17

関ロッジ。国民宿舎なので、格安で宿泊出来そう。


近くのコンビニで簡単な昼食を買ってきて、関ロッジ第二駐車場のベンチに座って食べた。駐車場にはカラオケ小屋があって、真昼間から演歌が流れていた。おそらく防音装置がないのだろう、唄がよく聞こえた。


第二駐車場に展示されていた蒸気機関車。


蒸気機関車のアップ。おしまい。


7月29日(月)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏16

関ロッジの正面玄関の方へ出てきた。手前は実際に宿泊可能なブルートレイン。


布引山地のギザギザ尾根。


関ロッジ前の駐車場にあった五重石塔。木々の後方の建物は関ロッジ。


その近くにあった常夜燈。一部修理されていた。


嘉永二年巳酉 五月吉祥日と彫られていた。


7月29日(月)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏15

これら2体の観音様も、岩盤をくり貫いた石の祠の中に納められていた。


岩盤の中の観音様よりも、傍らのネジバナの方を撮影してしまった。この観音様2体も佐吉の作品でないことは、一目瞭然だった。


花崗岩で彫ってあるとのこと。今まで見てきた佐吉の作品は和泉砂岩と聞く。


こちらも花崗岩。今日見てきた中で、一番大きかったと思う。


これにて三十三体、すべての観音様を見たが、先に書いた通り、6番が重複していた。そして、16番が欠けていた。16番は清水寺・千手観音。重複している6番の観音様のどちらか1体だろう。


7月29日(月)21:51 | トラックバック(0) | コメント(7) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏14

このエリアの残りの2体の観音様のうちの1体。十一面観音。やや左から撮影。


同じ十一面観音を正面から撮影。佐吉の作品の特徴の一つとして、顔つきが面長なのは違いないだろう。


千手観音なので、行願寺なのだろう。この画像では舟形光背の先が撮影出来なかったが、そり立っていた。


照信と花押が彫られている。


次に最後のエリアの2体を見て回る。1番は青岸渡寺・如意輪観音、2番は金剛宝寺・十一面観音。


7月29日(月)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏13

こちらは、上醍醐寺の准胝観音だ。生野区の舎利尊勝寺でも、佐吉作のこれとよく似た観音様を見た。


観音様を右手で支えている男性のアップ。


この画像は、舎利尊勝寺で撮影した准胝観音。


こちらの観音様は大きくて立派だが、今まで見てきた佐吉の作品とは明らかに違う。


この観音様も佐吉の作品ではないだろう。先の観音様の作者と同じかもしれない。


7月29日(月)19:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏12

同じく真ん中の観音様を右から撮影。佐吉の理想の女性像なのかもしれない。手は四本(四臂)なのか、もう一つの右手には宝珠をお持ちだ。


更に真ん中の観音様をアップで撮影。口元が可愛らしい。


こちらは、聖観音だろう。花瓶をお持ちだ。


次のエリアの五体を見て回る。


案内板にある5体、11番は上醍醐寺・准胝観音、17番は六波羅蜜寺・十一面観音、18番は頂法寺・如意輪観音、19番は行願寺・千手観音、そして24番は中山寺・十一面観音。


7月29日(月)19:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏11

次の石仏を見て回る。画像は観音山の山中。


案内板にあった5体、7番は龍蓋寺・如意輪観音、21番は穴太寺・聖観音、31番は長命寺・千手観音他、32番は観音正寺・千手観音、そして33番は華巌寺・十一面観音。


これらの観音様も、岩盤をくり貫いた岩の祠の中に納められていた。


ちなみに、案内板の番号では、聖観音は穴太寺の一体のみとなっている。この画像の中で、聖観音は右から二つ目のように見える。もしそうなら、木の札は場所が違っていることになる。右から二つ目と三つ目の木の札が入れ替わったのが正しいと思う。残りの三体は千手観音か十一面観音だ。この中で、真ん中の観音様が、私には特別に素晴らしく感じられた。


真ん中の観音様を正面から撮影。


7月29日(月)19:34 | トラックバック(0) | コメント(2) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏10

こちらの岩盤をくり貫いた石の祠に入れられていた石仏5体は、保存状態が悪く、また、暗くて上手く撮影できなかったので割愛する。N氏には懐中電灯で照らしていただいたのだが。


尚、案内板にあった5体は、5番は葛井寺・千手観音、9番は興福寺(南円堂)・不空羂索観音、13番は石山寺・如意輪観音、28番は成相寺・聖観音、30番は宝巌寺・千手観音。


そして、8番、長谷寺・十一面観音。この観音様は、一番最初に見た12番岩間山正法寺の千手観音と同じく、1体だけ祠に納められていた。しかし、こちらは石の祠で、正法寺の千手観音はコンクリートだった。元はこの長谷寺のように、すべての観音様は、1体ずつ石の祠に納められていたのだろう。


手前の灯籠は、まだ、新しいように見える。


そして、鉄格子の他に金網でも保護されていた。


7月27日(土)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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