山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年1月を表示

酒蔵みてある記(桜井_談山)6

この日は消防のパトロールカーが巡回していた。


談山神社西入口前の祓戸社。水面には薄氷が張っていた。


西入口付近から南方向、神幸橋を眺める。


神幸橋の前に建っていた道標。向かって右側面に「左 本社」。


正面には「右 をかてら よしの / 左 はつせ / 道」と彫られている。


1月30日(土)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)5

談山神社正面入口に到着。私達は拝観しなかったが、参加者の中には拝観される方もおられた。
ちなみに義母は氏子なので、拝観料は不要。



正面入口手前、道路脇に建っていた道路元標。「多武峰村道路元標」と彫られていた。


多武峰(とうのみね)は「関西日光」との別名があるらしい。

大和国多武峰 関西日光全図



名札が目に留まったので立ち止まった。薄墨桜かと思ったがそうではなく寒緋桜。
かつて多武峰谷は鼓の筒木となる薄墨桜が多く自生していたと聞く。

皷筒之鑑定



談山神社境内案内図。


1月30日(土)21:45 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)4

排水管の先に現れた氷柱。


土産店は店を閉めていた。時間が早かったのかもしれない。


重厚な燈籠が現れる。画像右側の笠が欠損しているようだ。


重要文化財 後醍醐天皇御寄進 石燈籠
 竿に、南北朝動乱の始まった年、元徳三年(一三三一)の刻銘をもつ雄大かつ装飾性豊かな造りで、天皇の御寄進と伝えられている名品。



ご神木のスギ。


1月30日(土)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)3

談山神社東大門(たんざんじんじゃひがしだいもん)。

奈良県のHPによると、
談山神社東大門について
 談山神社東大門は多武峰谷(とうのみねたに)一の橋の西に建ち、旧妙楽寺護国院(みょうらくじごこくいん)の惣門(そうもん)として創建されました。谷の入り口を木柵塀(もくさくべい)で塞ぎ、そのやや北寄りに高麗門(こうらいもん)と潜戸(くぐりど)を備えた袖塀(そでべい)を構えます。旧妙楽寺は藤原鎌足の子定慧が鎌足の墓を摂津国阿威山より移し、その上に十三重塔を建立したのに始まると伝えられます。
 東大門の規模は高麗門の間口4.65m、棟高6.25mで木柵塀の両端の長さが19mになります。
 建立年代は不明ですが、化粧垂木に享和3年(1803)の墨書が発見されています。
 なお、昭和41年1月13日に奈良県指定文化財(建造物)に指定されています。



積雪で説明板が見えない―笑。


東大門を後にして、更に登る。


摩尼輪(まにりん)塔

説明板によると、
重要文化財 摩尼輪塔
 摩尼とは宝珠のこと。八角大石柱笠塔婆の塔身に薬研彫で、「妙覚究竟摩尼輪」と彫られ、上円部に梵字「アーク」を刻む。乾元二年(1303)の銘がある。



立派な屋敷の前を通る。


1月29日(金)18:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)2

暫くは車道に沿った歩道を歩く。


「談山神社多武峯町石」の一基。
桜井市教育委員会が談山神社大鳥居に設置した説明板によると、

談山神社多武峯町石(県指定史跡)
 談山神社の一ノ鳥居から、摩尼輪(まにりん)塔までの約五・五六kmの間に、参道に沿って五十二基の町石が建てられていた。町石の形式は板碑型で、町石の高さ約一五〇cm、幅三三cmである。江戸初期承応(じょうおう)三年(1654)十月十六日に、法眼が施主となって造立した。五十二基の町石は、因位(まよい)から仏界(さとり)に至る仏道修行をあらわし、十信、十住、十行、十回向までは、凡夫、十地は聖者の菩薩行、等覚(仏に等しいさとり)、妙覚(迷を減尽した仏界)とに分けられている。  桜井市教育委員会



積雪は多くない。雪を踏みしめると、キュキュと音がした。粉雪の状態。


やがて東大門に到着。この先、クルマは一方通行になっており、こちらからは通行出来ない。


左は「女人堂」と彫られているのだろうか。「女人」の下の文字が読みにくい。右は先程の説明にあった町石と見られる。

※桜井市のHPによると、石碑には、「女人堂道」と彫られている。



1月29日(金)18:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)1

2016年1月26日(火)は、近鉄の「酒蔵みてある記 西内酒造 談山」にSさんと参加した。
桜井駅でバスに乗る時、スタッフの人から、現地の多武峰・談山神社は積雪があると知らされ少し驚いた。
そして多武峰バス停に到着して二度びっくり!積雪が予想以上に多くあった。

防水ではないスニーカーでストックは持たず、少し慌てたが、幸いにも粉雪だったので靴に水は染み込まず。棒切れを拾ってストック代わりにした。

この日歩いたコースの中で、(談山神社・西大門跡から先の)万葉展望台分岐から、今井谷の辻堂橋の区間は初めて歩いた。参加者は476人。

西内酒造では、「しぼりたて 談山」(720ml 1,340円)と「純米 生原酒」(720ml 1,500円)そして、「にごり酒 大名庄屋酒」(720ml 1,380円)の試飲と、更に甘酒を2杯頂いた。この酒蔵は満足度が高い―笑。

この日は積雪と凍結で足場が非常に悪く、凍結した林道で滑って転倒した方もおられた。
北山から今井谷に下る林道では、同じ場所で何人かの転倒者があったそうで、私達がその場所に到着する直前にも転倒者が出た模様。

参加者の方が、スタッフに転倒者が出たことを携帯電話で話しているのを聞いた。その内容は、転倒して頭を打ち、一時的に意識不明となったが、その後、意識が回復し、そのまま歩いて行かれたとのこと。

その場所には、他の参加者が提供したであろう、派手なピクニックシートで覆い、遠くからでも目立っていたので、後続の皆さんは注意して歩かれていた。

また、西内酒造の少し手前、桜井市下(しも)で、1月23日に出火した住宅火災の現場前を通った。住宅は全焼で死者が出ている。お亡くなりになられた方のご冥福を祈ると共に、火気の取り扱いには十分注意したい。

コース・タイム
10:15近鉄大阪線桜井駅10:31_<臨時バス>_10:53多武峰バス停_10:56尾形橋横_11:00談山神社東大門(たんざんじんじゃひがしだいもん)_11:06摩尼輪(まにりん)塔_11:09後醍醐天皇御寄進石燈籠_11:10談山神社正面入口前_11:10多武峰村道路元標_11:12西入口前・神幸橋_11:20増賀(そうが)堂跡_11:23西大門跡石仏_11:24女人禁制石柱_11:27明日香・石舞台分岐_11:30三社神社_11:36石仏_11:38※念誦崛不動尊コノ下(道標)_11:42念誦崛不動尊(ねずきふどうそん)11:45_11:51井戸_12:01念誦崛・増賀上人墓・昼食12:20_12:37万葉展望台(1.0km)分岐_12:54手力雄神社(たぢからおじんじゃ)_12:58興隆寺_13:26磨崖仏_13:35高家(たいえ)・明日香分岐_13:36石仏_13:37今井谷川に架かる辻堂橋を渡る_13:42寺川に架かる今井谷橋を渡る_13:43九頭龍神社前_13:43九頭神社前_13:44常夜燈・石仏_13:49火の見やぐら_13:50道標_13:51道標_13:55聖林寺前石仏_14:01聖林寺山門前_14:06法華塔_14:06寺川に架かる聖林寺橋を渡る_14:07住宅火災現場(1月23日出火_桜井市下)_14:08聖林寺寺標_14:09西内酒造(酒蔵見学)14:20_14:22石仏_14:27談山神社大鳥居_14:41等弥神社分岐_14:43寺川に架かる河西中の橋を渡る_14:43常夜燈_14:46東光橋前_14:48愛宕地蔵菩薩前_14:51舊跡 櫻井魚市場(石碑)_14:52櫻井町道路元標_15:00近鉄大阪線桜井駅 歩行距離約11km。

※“ねずき”の漢字表示について、“念誦窟”と表示しているところもあるが、ここでは談山神社公式サイト及び現地の案内板に従い“念誦崛”とした。“念誦崛”は地名とされる。

画像は当日歩いたGPSログを表示している。多武峯バス停から近鉄・桜井駅。
尚、当日配布されたmapでは、西内酒造で酒蔵見学後、聖林寺バス停から桜井駅までバスに乗るようになっているが、私たちはバスに乗らず桜井駅まで(距離2.3km)歩いた。



こちらは当日配布されたmap。mapの左下に記載のある距離は間違っているので訂正した。正)万葉展望台1kmの道標。


談山神社方面へのバス停は桜井駅南口にあるが、この日は臨時バスで、桜井駅北口からバスが出発した。


多武峰バス停で下車。八井内の交差点を横断するとこの状態。


尾形橋を右に見て歩く。


1月29日(金)18:28 | トラックバック(0) | コメント(6) | ウォーキング・散策 | 管理

シクラメン

昨年、知り合いから頂戴したシクラメンだが、花が鮮やかなピンクから、薄いピンク色に変色し、元気がなくなってきた。

それで、昨年、液体肥料を買った。税抜100円。
シクラメン専用とのことで、普段よくみる液体肥料は緑色だが、こちらはピンク色。
使用方法には、冬は3~4週間おきに一本注入するのが最適と記載されていたので、その通りにしたが、まったく効果がない。
画像は購入当時に撮影したもの。

そこで、一か八か、増量して与えることにした。
今年の正月から、一週間毎に二本与えた。
一般的には花が咲いている時季は、肥料を多く必要としている。
シクラメンの場合、冬に多く開花するので、今の時季に肥料が必要で、夏の間は、暑さに弱いから、休眠させる状態となる。当然、この時季には肥料を与えない。



するとどうだろう。ほぼ一ヶ月経ったが、一か八か丁か半かは、結果として成功したように見える。

説明書きを鵜呑みにするより、経験則で行動したい。



1月28日(木)18:16 | トラックバック(0) | コメント(4) | 園芸 | 管理

イオンの自転車“無料”点検

イオンのバイクショップでは、毎月、「9のつく日は、一斉サイクル検診」として、10項目の検診を行っている。
これは“無料”だが、どういう訳か案内には“無料”と明確に表示していない。

明日は29日で、その日に該当するので、近くのイオンバイクショップに持ち込み検診をしてもらう予定。

昨年11月19日に、ブレーキのパッドが減って、ブレーキの制御が効かなくなった。
同店でみてもらい、後輪のパッドは取替え、前輪のパッドは調整してもらった。
まだ2ヶ月しか経っていないが、両方のブレーキの効きが悪い。
これは毎日、自転車に40分程度乗っていることと、住んでいるところが丘陵地なので、ブレーキを頻繁に使うからだろう。

おそらく前輪のパッドを取り替えることになると思う。
ただ、明日の天気予報は雨なので、雨が降るとパスしたい。



1月28日(木)18:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

高槻初詣と摂津峡46

バスの時刻表を見て驚いた。15時台は1時間に8本もある。


当然、バスは待つことなく、すぐにやってきた。15時42分発のバスに乗る。「上の口」が始発の高槻市営バス。ところで、市営バスというのは、全国的にみても少ないのではないか。


この日はスタートの受付で、帰路のバス代200円も一緒に支払った。通常バス代は220円(昼間乗車のサービス料金)だが、高槻を歩こう会が事前に回数券を購入していたので200円の支払い。結果的としてバスに乗車したのは、昼間乗車の時間帯午後3時30分を過ぎていた。差額料金は高槻を歩こう会が支払った。
暫くしてバスはJR高槻駅前に到着。



バスが到着したのは駅の北側だった。南側へ回る。松坂屋を左に見て南へ歩く。


高槻市役所前の餃子の王将で反省会となった。おしまい。


1月27日(水)19:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡45

やがて府道6号線と出合いこれを横断。画像は府道6号線を振り返って撮影。


目の前に「原立石」のバス停があったが、バスはここから乗らず、もう一つ先の「上の口停」バス停へ向かう。こちらの方が本数が多いとのこと。


途中、東海自然歩道の道標を右に見遣る。


東海自然歩道、摂津峡へはこの道を行くようだ。往路、帰路ともこの道は歩かず。


車道を暫く歩くと信号機の向こうに「上の口停」バス停が現れる。


1月27日(水)19:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡44

神峯山寺を後にする。来た道を戻るが、途中、階段を歩いて来た山道分岐を右に見送り、車道をそのまま進む。
行きはクルマが大変渋滞していたが、帰りは渋滞は解消されていた。



石鳥居を過ぎると、すぐ左に「牛地蔵」が現れた。残念ながら、立ち止まることなく進まれたので、よく観なかった。

高槻市のHPによると、神峯山寺への参道入口にある牛の姿をした地蔵。京坂越えで荷物を運んだ牛の苦労をねぎらうため、天保4年(1833年)に地元有志が建立。また牛は草を喰うことから、子どもの吹出物=クサを治してもらう、牛は足が強いから足痛の治してもらう、などのご利益を授かろうと多くのお参りがあった。



傍らに祀ってあった石仏たち。


「上の口停」バス停へ向かう。石の道標が二つ見える。左は先の説明にあった「史蹟 京坂越」を示している。右は「梵字(ベイ) 左 神峯山寺」と彫られているようだ。


新名神高速道路の工事現場を横断する。高速道路そのものではなく工事運搬用の道路。


1月27日(水)19:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡43

歩いて来た参道を仁王門まで戻る。
説明書きがなかったが、陰陽石に見えなくもない。



陰陽石だとすると、こちらは陰石ということになるのだが、どうも違うようだ。


車道まで戻ってきた。川の向こう岸に東海自然歩道の取り付きがあったが、通行止めの看板とロープが張られている。


リーダーによると、ここから本山寺を経てポンポン山へと東海自然歩道は続くが、今は一部、通行止めとなっており、舗装道路歩きとなる。クルマに注意しながら、歩くことになり、舗装道路歩きはイマイチとの話だった。


こちらが本山寺へと続く舗装道路。この日はここから先を歩かず。
尚、神峯山寺、本山寺、安岡寺は、「北摂三山寺」と称される、いずれも天台宗の寺院。



1月25日(月)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡42

本堂。

※Wikipediaによると、日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれており、本堂に祀られている本尊、毘沙門天、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。



境内にはカリンが植えられており、その実が落ちてくるので頭上注意の看板が掲げられていた。


カリンの木。落葉高木だけあって樹姿は相当大きくなる。自宅の近所にもカリンの木を庭に植栽されている家があるが、二階建ての屋根の高さを越えるほど大きくなっている。


落ちたカリンの実。


このお寺では、境内での弁当など食事を禁止しているが、その代わりに食事をしてよい場所を案内している。とても親切。


1月25日(月)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡41

神峰山寺のご由緒。

 神峰山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。
 当時は仏教の聖地として、比叡山(京都府)や葛城山(奈良県)と並ぶ※7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1,300石に及んだ。皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。秀頼も諸堂を造営したと伝えられる。
 しかし、江戸時代中期の明和2年(1756)に火災で焼失し、安永6年(1777)に再建された。現在は、宝塔院(本坊)と寂定院、龍光院の3院となっている。
 本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、寄木造りで平安時代後期、また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、国の重要文化財に指定されている。
 境内には、本堂のほか開山堂や観音堂、光仁天皇の分骨を納めた十三重塔、開成皇子の埋髪塔という五重塔、九頭龍滝などがある。また当寺は、新西国観音霊場の第14番札所であり、紅葉の美しさでも広く知られている。 
 昭和62年3月  高槻市教育委員会


※7高山とは、①伊吹山、②比良山、③比叡山、④愛宕山、⑤神峰山、⑥金峰山(吉野山から山上ヶ岳までの総称)、⑦葛城山を云う。



自然石を利用した手水舎。「お浄水」となっている。


本堂に向かってまっすぐに参道が続く。


石段を登ると本堂。


こちらも「お浄水」となっていた。湧き水だろう。
後方の住宅の屋根に見える白いものは雪ではなく、光が反射して白く見えている。



1月25日(月)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

高槻初詣と摂津峡40

少しだけ階段を登る。


すぐに車道に出合い、これを歩く。


勧請掛(かんじょうかけ)。
傍らの説明書きによると、「縄に樒(しきみ)を結びつけたもので、聖地との境界を意味しますが、大阪商人らは、その長短などで米価や株価を占ったといわれています。」



宝篋印塔が見えたが立ち寄らず。車道はクルマが大渋滞していた。


やがて神峯山寺(かぶさんじ)の仁王門前に到着。


1月24日(日)18:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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