高槻初詣と摂津峡43 |
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| 歩いて来た参道を仁王門まで戻る。 説明書きがなかったが、陰陽石に見えなくもない。
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| 陰陽石だとすると、こちらは陰石ということになるのだが、どうも違うようだ。
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| 車道まで戻ってきた。川の向こう岸に東海自然歩道の取り付きがあったが、通行止めの看板とロープが張られている。
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| リーダーによると、ここから本山寺を経てポンポン山へと東海自然歩道は続くが、今は一部、通行止めとなっており、舗装道路歩きとなる。クルマに注意しながら、歩くことになり、舗装道路歩きはイマイチとの話だった。
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| こちらが本山寺へと続く舗装道路。この日はここから先を歩かず。 尚、神峯山寺、本山寺、安岡寺は、「北摂三山寺」と称される、いずれも天台宗の寺院。
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1月25日(月)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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高槻初詣と摂津峡42 |
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| 本堂。
※Wikipediaによると、日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれており、本堂に祀られている本尊、毘沙門天、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。
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| 境内にはカリンが植えられており、その実が落ちてくるので頭上注意の看板が掲げられていた。
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| カリンの木。落葉高木だけあって樹姿は相当大きくなる。自宅の近所にもカリンの木を庭に植栽されている家があるが、二階建ての屋根の高さを越えるほど大きくなっている。
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| 落ちたカリンの実。
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| このお寺では、境内での弁当など食事を禁止しているが、その代わりに食事をしてよい場所を案内している。とても親切。
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1月25日(月)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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高槻初詣と摂津峡41 |
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| 神峰山寺のご由緒。
神峰山寺は、根本山と号して天台宗に属し、毘沙門天を本尊とする。寺伝によれば、役行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成皇子が創建したという。 当時は仏教の聖地として、比叡山(京都府)や葛城山(奈良県)と並ぶ※7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1,300石に及んだ。皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。秀頼も諸堂を造営したと伝えられる。 しかし、江戸時代中期の明和2年(1756)に火災で焼失し、安永6年(1777)に再建された。現在は、宝塔院(本坊)と寂定院、龍光院の3院となっている。 本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、寄木造りで平安時代後期、また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、国の重要文化財に指定されている。 境内には、本堂のほか開山堂や観音堂、光仁天皇の分骨を納めた十三重塔、開成皇子の埋髪塔という五重塔、九頭龍滝などがある。また当寺は、新西国観音霊場の第14番札所であり、紅葉の美しさでも広く知られている。 昭和62年3月 高槻市教育委員会
※7高山とは、①伊吹山、②比良山、③比叡山、④愛宕山、⑤神峰山、⑥金峰山(吉野山から山上ヶ岳までの総称)、⑦葛城山を云う。
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| 自然石を利用した手水舎。「お浄水」となっている。
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| 本堂に向かってまっすぐに参道が続く。
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| 石段を登ると本堂。
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| こちらも「お浄水」となっていた。湧き水だろう。 後方の住宅の屋根に見える白いものは雪ではなく、光が反射して白く見えている。
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1月25日(月)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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