山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年6月を表示

No.2辻井伸行

No.2辻井伸行を視聴してみよう。
辻井伸行
【過去にアップした辻井伸行】
辻井伸行

辻井伸行 in ルーマニア [ラフマニノフ第2番] Nobuyuki Tsujii in Romania
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00:23 | 第1楽章
11:36 | 第2楽章
23:30 | 第3楽章
37:57 | 月の光(ドビュッシー)
45:05 | 革命のエチュード(ショパン)
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曲目:ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
指揮:ミヒャエル・ザンデルリンク
ピアノ:辻井伸行
オーケストラ:ルーマニア国立ユースオーケストラ



6月30日(火)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

NO.30天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

ムラを守る環濠

ムラの周りには、環濠が幾重にも掘られていました。
その中でも内側の最も大きい環濠を大環濠と呼んでいます。
幅7~8m、深さ1.5~2mの溝が、南北530m、東西400mの周囲を巡っていました。
この環濠は、洪水からムラを守り、また、運河としても利用されていました。



遺構展示情報館に入ってみる。


館内には弥生時代の大型建物跡が展示されている。


国史跡 唐古・鍵遺跡史跡公園を後にする。


R24を横断し、向かいにある「道の駅 レスティ 唐古・鍵」に立ち寄った。

つづく。



6月30日(火)04:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.29天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

唐古池と復元楼閣。
逆光での撮影となったので重苦しい雰囲気になった。



唐古池の発掘

唐古・鍵遺跡は古くから知られた遺跡である。
昭和のはじめには、唐古の飯田松治郎・恒男親子や桜井市大泉の森本六爾(もりもと ろくじ)らが、唐戸池周辺で採集した遺物を学界に紹介している。
昭和11年、国道24号線敷設工事に伴い、唐古池の土砂が採取された。
これにあわせて末永雅雄博士らが発掘を行い、調査では大量の土器や石器、木製農具などが出土した。
この成果によって弥生時代の文化が総合的に認識され、農耕の時代であることを位置づけた。
さらに、このとき出土した土器を分類し、その変遷から時代のものさしとなる編年を確立したことも大きな成果であった。



唐古池

奈良盆地には、数多くの潅漑用溜め池があり、「大和の皿池」として有名である。
唐古池もその中の一つで、江戸時代に潅漑用としてつくられた。
日本書紀にみられる「韓人池」に比定する説もあったが、昭和58年に発見された唐古池と鍵池の絵図により、元禄16年(1703年)に普請されたことが明らかになった。
その後、唐古池の堤防付近の発掘により、唐古池が方1町の池として造られた後、2回にわたって北側に拡張されたことが判明した。
溜め池は、周囲の水田に給水するため、平地の中でも高い部分に造られている。
唐古池も微高地を中心に営まれた弥生集落に重複する形で造られている。

※方1町=一町四方 109m×109m=11,881㎡



唐古・鍵ムラの弥生人

昭和60年12月、唐古池の東側堤防の改修に伴い唐古・鍵遺跡第23次発掘調査が行われた。
この調査において、弥生時代前期の木棺墓2基が検出された。
この木棺は、放射性炭素年代法から約2100年前と測定された。
埋葬されていた人骨は、分析の結果、1号墓が20代後半~30代前半で160cmの男性、2号墓が20代前半の男性と推定されている。
また、頭骨の左半分が残存していた1号墓の人物は渡来系弥生人の特徴が強く、復顔でよみがえった顔は細面の現代風の顔立ちであった。



唐古・鍵遺跡

唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央に位置する、弥生時代(BC3世紀~AD3世紀)の集落遺跡である。
昭和52年以降、継続的な調査が行われ、遺跡範囲が30haに及ぶ巨大環濠集落であることが判明した。
ムラの周囲には幅5~10mの環濠が幾重にも巡り、敵からの防御や運河の機能を担っていた。
集落の内部では石器・木器の生産や青銅器の鋳造も行い、物資の流通の中心となっていた。
また、岡山から静岡までの広い地域の人々と交流しており、近畿の中心的な集落と目されている。
また、絵画土器の点数は百数十を数え、これは全国の1/3を占める。
中でも、楼閣の描かれた土器は有名である。

つづく。



6月30日(火)04:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.28天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

ここまで南方向へ歩いていたが、水門が設けられた辻で右折。(西)


唐古・鍵遺跡史跡公園付近の案内図。
クルマでの通行を案内している。

この地図は上が南を表示しているようだ。
現在地がわかりにくい。



唐古・鍵遺跡史跡公園内に入る。
左は唐古池。



東方向を眺める展望デッキ。


ムラの東側の展望

遺跡から眺める東方の山並みは、弥生時代から変わりません。
遺跡の真東には龍王山があり、その南には三角錐の形をした三輪山が望めます。
春分・秋分には龍王山北岳から、冬至には三輪山から日の出を見ることができます。
弥生時代の人は、日の出の位置から一年の暦を管理していたかもしれません。

つづく。



6月30日(火)04:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ジョン・エリオット・ガーディナー

ジョン・エリオット・ガーディナーを視聴してみよう。
ジョン・エリオット・ガーディナー

Beethoven Symphony No 5 C minor John Eliot Gardiner Orchestre Revolutionnaire et Romantique 2016



Schubert Symphony No 9 C major The Great John Eliot Gardiner Wiener Philarmoniker



6月29日(月)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

NO.27天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

八田の集落を後にし唐古へ向う。


ここにも道標。
記念碑を兼ねている。

「大峯三十三度× 右 法里× 左 者(は)×」。
“法里×”は“法隆寺”。
“者×”は“はせ”だろう。



裏面。
「當村?×」。



唐古・鍵遺跡史跡公園に向かって畦道を歩く。


ロウバイ。
まだ1月5日だがほぼ満開。

つづく。



6月29日(月)04:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.26天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

山門から西方寺の境内を撮影。


山門前に常夜燈が二基。
右の竿には「愛宕山」。
左は「太神宮」と彫られている。



西方寺からすぐ、道標が辻に立つ。
「右 み王(わ) 者(は)せ」。



こちらの面は「左 たつ多(た) 法里うじ」。


更に「安政五午年 施主 勘兵衛 桶吉」の銘。

つづく。



6月29日(月)04:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.25天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

やがて大和川に出合う。
布留川と大和川の合流地点付近。



大和川に架かる橋を南へ渡る。


この先、田原本町八田(はつた)の集落。


西方寺に到着。


説明書きによると、室町時代後期の本尊 阿弥陀如来三尊佛と、室町時代前期の阿弥陀三尊来迎図があると記されている。

つづく。



6月29日(月)04:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.2カティア・ブニアティシヴィリ

No.2カティア・ブニアティシヴィリを視聴してみよう。
カティア・ブニアティシヴィリ
【過去にアップした カティア・ブニアティシヴィリ】
カティア・ブニアティシヴィリ

IPO celebrating Maestro Mehta's 80th birthday - Khatia Buniatishvili - 11/4/16



Khatia Buniatishvili & Mr Richter Haydn Concerto for piano and strings



Khatia Buniatishvili plays Piano Concerto No. 2 by S. Rachmaninov
]



6月28日(日)18:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

NO.24天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

刈り取った藁の一部を並べて置いてある。
農作業に利用するのだろう。



左右にビニールハウスを見ながら西方向へ歩く。


このような道はクルマが通らないのでノンビリと歩ける。
しかし、時々、道がなくなることがある。
直進は行き止まり。



水門に取り付けられている鉄板を利用して水路を跨ぐ。


田んぼの畦道を歩く。

つづく。



6月28日(日)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.23天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

社標と鳥居。


山邊御縣坐神社の社標。(標柱)


“井戸堂”は“いどんど”と読む。


山邊御縣神社・妙観寺を後にする。

田んぼの隅に立てられていた。
山の神、田の神を祀っているのかもしれない。



左右に水田地帯を見ながら西へ歩く。
水路の右側の池は南池。

つづく。



6月28日(日)05:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.22天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

玉垣には「郷内安全」と彫られている。


山邊御縣神社、拝殿。
唐破風付入母屋造、瓦葺。



手水鉢。


盃状穴が幾つも見られる。


こんなところにも盃状穴。

つづく。



6月28日(日)05:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.4The Rolling Stones Let It Bleed

No.4The Rolling Stones Let It Bleedを視聴してみよう。
ローリング・ストーンズ
レット・イット・ブリード

【過去にアップしたThe Rolling Stones】
No.3The Rolling Stones 12 x 5
No.2The Rolling Stones
The Rolling Stones

No.4The Rolling Stones Let It Bleed
1.ギミー・シェルター - Gimme Shelter - 4:31
2.むなしき愛 - Love in Vain (Robert Johnson) - 4:19
3.カントリー・ホンク - Country Honk - 3:07
4.リヴ・ウィズ・ミー - Live With Me - 3:33
5.レット・イット・ブリード - Let It Bleed - 5:28
6.ミッドナイト・ランブラー - Midnight Rambler - 6:53
7.ユー・ガット・ザ・シルヴァー - You Got the Silver - 2:50
8.モンキー・マン - Monkey Man - 4:11
9.無情の世界 - You Can't Always Get What You Want - 7:29



6月27日(土)18:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

NO.21天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

二基の石碑は共に「般若」と彫られているようだ。
その上の文字は不明。梵字かもしれない。
また「般若」以下は地面に埋もれている。

左上は“般若心経”を一字で表す梵字。
右上は“般若菩薩”の梵字とのことです。
有難うございました。



よく観ると素人ぽく感じた。
特にお顔の辺りの彫り。
比較的新しい時代に製作されたように思える。
像は大日如来かもしれないと思ったが、上の部分にお日様とお月様が彫られている。
これは一体!?・・・やはり素人が彫ったのでは。



万葉歌碑。

傍らに立つ案内板によると、

飛ぶ鳥の明日香の 里を置きて去なば
君が辺りは見えずかもあらむ



御案内。

万葉歌碑とこの案内板、お寺の境内にこのようなものがあることに少し違和感を覚えた。



その横には山邊御縣神社の案内板が立っていた。
これは神仏和合の名残りだろう。
妙観寺と山邊御縣神社は一つの境内の中に祀られている。
境はなかったように感じた。

つづく。



6月27日(土)04:56 | トラックバック(0) | コメント(4) | ウォーキング・散策 | 管理

NO.20天理教お節会_塚穴山古墳_鍵唐古遺蹟_今里蛇巻

大釜。

昔、お寺の行事で煮炊きなどに使われていたのだろう。
今は観音堂に降る雨水を蓄えておく為の器として有効利用されている。



井戸堂の十一面観音像 西井戸堂町観音堂【国指定重要文化財】

西井戸堂町の妙観寺は、長谷寺小池坊の末寺でしたが、明治に廃寺となり、今は観音堂が残っています。
本尊の十一面観音像は、檜材を用いた寄木造りで像高二四四.八センチにもなります。
天平時代に造られた塑像の心木を用いて造られているのが特徴です。
【以下割愛】
制作は、平安時代後期頃と推定され、この地域に残る菩薩像としては優れた仏像です。



観音堂の内部。
厨子の扉は閉ざされている。

【参考】本尊の十一面観音像を撮影したブログ。
天理・井戸堂の十一面観音像



こちらにも同じような内容の英語表記を兼ねた説明板が立つ。

ところで、この観音堂は井戸の上に建てられており、井戸堂と称したという。
井戸堂校区
西井戸堂(にしいどうどう、にしいどんど)・東井戸堂(ひがしいどうどう、ひがしいどんど)
井戸の上に観音堂を作り、井戸堂と称したという。
観音堂ができる前からこの井戸は霊井であったのであろう。
付近の垣内がこの井戸堂を中心にして一つの村をなしたのが井戸堂村であった。
橘街道は喜殿から杉本を経て、この井戸堂の観音堂の東を通っていた。
※橘街道=中ツ道。



一見した時は板碑に見えたが、二丁、六丁の文字が見えるので丁石だったのかもしれない。

つづく。



6月27日(土)04:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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