上ノ太子_近つ飛鳥博物館24 |
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上ノ太子駅にて、古市方面行きの電車を待つ。
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古市で下車し、大阪王将古市店にて反省会、参加6名。
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くつろいでおられる皆さん。
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店を出る頃は、激しい雨となったが、駅まではアーケードが利用できたのでほとんど雨に濡れず。
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近鉄阿部野橋駅にて。おしまい。
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Nov.26(Tue)21:35 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館23 |
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聖徳太子御廟を左(西)に見送る。画像は振り返って撮影。
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再び、振り返って撮影。この急坂を歩いて来た。
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フユザクラ。ピンボケになってしまった。
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やがて、南阪奈道路の高架が見えてきた。上ノ太子駅は近い。一人、先行されるSさん。ほとんど走っているような。
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近鉄上ノ太子駅に到着。
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Nov.26(Tue)21:28 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館22 |
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博物館を出て20分くらい歩き、15時23分に葉室バス停に到着した。しかし、バスの発車時間が違っていた。
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15時25分発の富田林駅行がない。喜志行しか表示されておらず、次のバスは16時6分の喜志行だった。どうも、おかしいということになり、K氏がバス停の前の人家に入って、家の人に尋ねたが、イマイチ要領を得なかった。
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このバス停で40分近く待つのは退屈なので、私は地図を見て、最寄りの駅まで歩くことにした。携帯電話の地図サービスで地図を見ながら、現在地点から最寄りの上ノ太子駅まで歩く。画像は仏眼寺橋付近に設置されていた地図。この地図では聖徳太子御廟の東に見える道路を北へ一直線に歩くと、上ノ太子駅に到着する。
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聖徳太子御墓所 叡福寺の看板を見る。次の交差点を左折だ。
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叡福寺東の交差点にて。このあたり住宅が建ち並んでいる。聖和台というらしい。
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Nov.26(Tue)21:17 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館21 |
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T氏によると、この日、近つ飛鳥博物館は無料で拝観できるということだったが、どうやら勘違いをされていたようで、一週間先だったみたい。
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入館料は600円で、どうせ拝観料を払って観るなら、もっとゆっくりと時間をかけて観たいと思い、この日は入らなかった。しかし、一部の人は拝観されたので、T氏はこの人達を待つことになり、帰宅を急ぐグループと2つに分かれた。
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この時、T氏に最寄りのバス停の場所を詳しく聞かなかったので、バス停を間違えることになってしまう。画像は博物館を出たところ。
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博物館から車道を歩いて、北西方向に歩いたがこれが間違い。先頭を歩かれていた人に、そのままついて行ったのが失敗だった。正しくは博物館から西方向にある、阪南ネオポリスバス停が正解。
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散策マップがあったが、この地図は上が南で、よくわからない。それにバス停は記載されていなかった。
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Nov.26(Tue)21:09 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館20 |
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すぐに分岐となる。「近つ飛鳥博物館」へは右折だが、もしかすると、ここを左折すれば、平石城址へのルートがあったのかもしれない。
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一須賀古墳群の説明板。説明板によると、一須賀古墳群は大陸からもたらされた新しい技術力を携えた渡来系氏族の集団墓と考えられているようだ。
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駐車場の裏側から「近つ飛鳥博物館」へ入る。
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画像は後続の皆さんたち。
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「近つ飛鳥博物館」へ入って、すぐにバスの出発時間をチェックした。現在時間は14時52分。バス停まで15分くらいかかるそうなので。もし、このまま博物館に入らずに、バス停に向うなら、15時25分発の富田林駅行に乗れそうだった。この時、バス乗り場をよく見ていなかった。バス乗り場は「阪南ネオポリス」だった。これが、この後、バス停を間違えることになってしまう。
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Nov.25(Mon)22:49 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館19 |
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T氏と、一緒に先頭まで来られたSさんが斥候として、様子を見に行かれたが、暫くして戻って来られ、方向が違うので、東方向へ伸びる尾根道を歩くことに。
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ここからは、I氏とK氏が先頭を歩かれた。画像のような赤テープが、あちこちに取り付けられており、かつては、ルートだったのだろう。
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倒木の隙間を潜るようにして進むI氏。今、この画像を見ると、もう何年も歩かれた形跡がない踏み跡であることがわかる。そして、ついにI氏が、「藪が酷くこれ以上前へ進めない」の一言で、引き返すことになった。
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引き返すのは、カラスウリの実が生る、近つ飛鳥博物館分岐までだ。時間にして約45分、ロスしたことになるが、今となれば、楽しい思い出だ。ただ、あのような藪コギは、出来ることなら、もう歩きたくないものだ。理由は山ダニが気になるから。画像はカラスウリの実が生っていた分岐の手前。
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一列縦隊で歩く。
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Nov.25(Mon)22:16 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館18 |
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この先、山道は分岐となる。T氏の話では、右は「近つ飛鳥博物館」へ直行(希望者のみ)。左は平石城址を経由して、「近つ飛鳥博物館」へ向うという。T氏が予定されていたコースは、平石城址を経由する方だったので、全員がこちらを歩いた。画像は右方向を撮影。
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分岐地点に生っていたカラスウリの実。お土産に持ち帰った人もいたようだ。
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暫く歩くと、舗装が途切れ、地道となり、下草が目立つようになった。これまで歩いてきた道の状態とは明らかに違っていた。私はこの日、山靴ではなく、スニーカーを履いていたので、道の状態には敏感だった。この時、先頭を歩いていたのは、N氏で、私は二番手だった。
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クモの巣が行く手を阻むようになる。今から思えば、舗装が途切れたところから先は、歩く道ではなかったと思う。T氏が歩かれた時とは、状況が変わっていたということだ。この道は、今となれば、廃道同然だ。しかし、その時は、誰もそうは思わなかったのだろう。私はGPSを使って現在地点をウォッチしていたが、当日にもらった地図には、歩くルートが実線で表示されていなかったので、向かうべき場所へのルートがわかりにくかった。画像は棒切れで、クモの巣を払い落としながら進むN氏。
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しかし、東へ向かうはずが、北の方向へずれているので、T氏にそのことを告げた。画像は先頭まで追いついてこられたT氏。
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Nov.25(Mon)21:40 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館17 |
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やがて、付近には小さな古墳が見られるようになる。この古墳、全体を見ようと試みたが、下草が生い茂っており、踏み込めなかった。
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周りの景色。雑木林だが、植林と違って、季節の変化が見られる。
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蝦夷(えみし)塚と呼ばれる古墳に到着。
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祠が見えるが、雨乞いの神様として信仰されていたそうだ。
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石標には、「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」の字が見える。雨乞いの対象である龍王のうちの一尊とされる。 Wikipediaより、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E5%A5%B3%E7%AB%9C%E7%8E%8B
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Nov.25(Mon)21:07 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館16 |
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祠。手入れが行き届いているように見える。中を覗いてみると・・。
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お地蔵さん。真新しい涎掛けが掛けられていた。
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山道に取り付く。
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二上山が、もっこりと姿を見せていた。山道はこの先、右手に墓地を見て歩く。
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車道の上に架かる陸橋を渡る。後の時代になって車道が出来たので、古道に橋を架けることになったのだろう。というか、車道を造る為に、山を切り崩したのかもしれない。
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Nov.25(Mon)20:48 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館15 |
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画像がフウの仲間で、モミジバフウと呼ばれている木と実。
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こちらは畑で栽培されていた。フルーツだが、名前は不明。
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古道らしき趣のある道を歩く。
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道標があった。やはり古道。「右 いせ はせ 道」か。
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集落の中を歩く。
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Nov.25(Mon)20:03 | Trackback(0) | Comment(2) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館14 |
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今日のコースは歩く距離が10kmと比較的短いので、ここでの休憩時間はたっぷり1時間あり、ゆっくり出来た。
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最初、公園は私たちだけで、貸切状態だったが、2台のクルマで家族連れがやってこられ、バーベキューをはじめられた。
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画像が2組の家族連れの方たち。
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公園からは東方向(岩橋山)の眺めが良く、なかなか良い公園だ。
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昼食後、出発することになったが、黄葉している木に実が生っていて、なんと云う名前の木か、という話になった。この木は、カエデでフウの仲間だ。正式な名前は失念していた。自宅近くには街路樹として植えられている。
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Nov.24(Sun)21:22 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館13 |
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敏達天皇陵前から、葉室公園に向って歩く。
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仏眼寺橋バス停前を通り過ぎ、葉室バス停前を通る。この時、私はT氏と一緒に先頭を歩いていた。
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葉室バス停前を通り過ぎてすぐ、右手の集落の中に続く道へ入ると、道の左に石がある。(画像)
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この石、ネット検索すると、「石川五右衛門の腰掛石」というらしい。 「太子町葉室 石川五右衛門の腰掛石を探して」 http://blogs.yahoo.co.jp/abusanno12/7512910.html
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やがて、車道に出合うと、前方右手にこんもりとした公園が見えてくる。葉室公園で、ここで昼食となった。
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Nov.23(Sat)20:08 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館12 |
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太井川橋を経て、敏達(びだつ)天皇陵を目指すが、道が複雑でわかりにくいので、後を歩いている人たちを少し待つ。画像のIさん、ザックをラッコ背負いされていたようだ。
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再び歩き始める。このあたりは、みかん畑が多い。美味しそうなみかんが鈴なり。
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二上山が見えた。この角度から二上山を眺めることは、めったにない。奈良側から眺めるばかりだ。
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やがて、画像に見える車道(府道32号)に架かる陸橋を渡る。
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そのまま道なりに歩くと、敏達天皇陵が見えてきた。天皇陵の手前、駐車場で昼食にするか、もう少し先の公園で昼食にするか、という話になり、公園では、ベンチもトイレもあるとのことだったので、あと15分ほど歩いて公園で昼食となった。画像は天皇陵の前の駐車場。
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Nov.22(Fri)22:28 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館11 |
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こちらが源義家墓。Wikipediaによると、 源義家(みなもとのよしいえ)は、平安時代後期の武将。伊予守源頼義の長男。八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。後に武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府の足利尊氏などの祖先に当たること等から後世に英雄視され、様々な逸話が生み出される。
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更に源頼信墓へ。
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来た道を少し戻って、墓地の中を歩く。
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車道に出て、三叉路の交差点・通法寺を通過。画像は交差点・通法寺に設置された案内板。案内板にある敏達(びだつ)天皇陵を目指して歩く。
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太井川(たいがわ)に沿って歩く。
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Nov.22(Fri)22:08 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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上ノ太子_近つ飛鳥博物館10 |
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源義家墓と源頼信墓は小高い丘陵地にある。
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源氏三代の墓の説明板。
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この急斜面を登る。
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登り詰めると上部は平坦になっており、源義家墓と歴代通法寺の院主と見られるお墓が並んでいた。
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首のない石仏。明治時代の廃仏毀釈の影響か。
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Nov.22(Fri)20:29 | Trackback(0) | Comment(0) | 山歩き | Admin
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