山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年9月を表示

森林公園から小塩山29

南春日町バス停から阪急バスに乗る。


阪急東向日駅前、「餃子の王将」で反省会となった。


JR向日町駅まで歩き、京都駅から近鉄線に乗り換え帰宅した。おしまい。


9月27日(土)20:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山28

この日は時間の関係で大原野神社へお参りせずに、帰宅を急がれた参加者も多数おられたので、一団の数は半数以下になっていた。


樫本神社。大原野神社の境外摂社で、祭神として仁徳天皇が祀られている。


柿の実がもう熟しているようだ。早い。


道標。「東 向日町 光明寺 長岡道」。「西 大原野神社 花の寺善峯 道」。大正時代に建立されたもの。


南春日町バス停に到着。右の男性は「高槻を歩こう会」のU氏。


9月27日(土)20:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山27

本殿。一間社春日造の本殿が4棟並んで建立されている。


ご神木。推定樹齢450年のモミの木。神社とモミの木は意外。


神相撲の奉納。ナイトコンサートも開催される。


大原野神社を後にする。


正法寺、極楽橋を右に見送る。


9月27日(土)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山26

瀬和井(せがい)。清和天皇の産湯に使った清水と伝えられている。


こちらがその清水。


大原野神社、三の鳥居と拝殿。


京都市指定有形文化財となっている。


狛犬ならぬ“狛鹿”。どこまでも奈良を意識している。


9月27日(土)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山25

東海自然歩道(花ノ寺~金蔵寺)の案内板。かなり色あせている。小塩山山頂から現在地へ来るには、花ノ寺へと続く車道歩きが一番近い。この車道は一般車通行禁止なのでクルマに注意せずに歩ける。この日のコースは花ノ寺へ寄らず金蔵寺へお参りした。


大原野神社へお参りする。春日乃茶屋の看板が見えるが工事中だった。


“春日”は奈良市の春日大社を意味する。因みに住所は京都市西京区大原野南春日町。


大原野神社の説明板。
※ネット情報によると、奈良春日大社の勧請を受けた神社で、京春日とも呼ばれている。 延暦三年(784年)に桓武天皇が奈良から長岡京に遷都の際、藤原氏出身の皇后が、氏神である奈良 春日大社まで参拝するのが不便であるため、奈良春日社の分霊を勧請してここ大原野の地に祀ったのが始まりとされる。祭神は建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)以下4柱。



“猿沢”の池ならぬ“鯉沢”の池。


9月27日(土)20:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山24

正法寺、山門。
※Wikipediaによると、754年(天平勝宝6年)唐から日本へ渡来した智威大徳が修行した坊に始まるとされ、その後延暦年間(782年~806年)最澄がこの地に寺を建立したと伝えられ、弘仁年間(810年~824年)空海が入寺したという。慶長年間(1596年~1615年)戒律の僧志徹が復興し、大原野の出身で江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の帰依を得た。



「不許酒肉五辛入家内」の結界石。お酒、五辛等を寺の中には持ち込んではいけないの意味。


階段を降りる。


「春日不動尊」。お堂の石段右上には立派な枝垂桜があった。


やがて朱塗りの橋を渡ると左手に大原野神社の鳥居が見えた。


9月26日(金)22:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山23

大原野“水土塁”に見えたが、そうではなく、よく見ると大原野“水土里”で“みどり”と読ませる。大原野土地改良区の呼び名だとか。
(参考) http://www.nouchimizu-kyoto.jp/pdf/ooharano.pdf
大原野の美しい農と環境を地域協働で守るために,土地改良区やJA,自治連合会などが構成員 となって,平成 19 年 8 月に結成した活動組織が“大原野「水土里リフレッシュ」”



正法寺(しょうぼうじ)にやって来た。


「新西国第九番札所 真言宗 正法寺」と記された石標。


画像右の旗を持った男性が今回もお世話になったU氏。


別称「石の寺」と呼ばれる。観光寺ではないのでほとんど知られていない。


9月26日(金)22:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山22

小塩山を振り返って撮影。


東海自然歩道の道標を見て歩く。


狭い旧道。オレンジの旗を持っている男性は「高槻を歩こう会」のスタッフの人。


やがて京都縦貫自動車道が現れ、高架下を潜る。左に見える山は大暑山(だいしょやま)567.9m。


道標。左の道標は「→ 大原野神社 花乃寺 近道 左 善峯 岩倉道」だろう。


9月25日(木)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山21

人家が現れる。この先、ガードレールの間から右に下る。


道標を見て右折。


道標が完備されているので、迷うことはない。


民家の玄関先にいけられていた。コリウスだろう。


トタンに覆われた茅葺屋根。出灰で見たものとよく似ていた。


9月25日(木)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山20

一団となって東海自然歩道を下って行く。


倒木もあって、手入れが行き届いているとは云えない。


花ノ寺方向へと進む。


一願不動堂に到着。金蔵寺開創の隆豊禅師によって彫られたと言われる一願不動明王が祀ってあったが、お参りせず。このことは後で知った。


「西岩倉山 金蔵寺 」と彫られていた。こちらが旧道らしい。右に見える車道を下ってきた。


9月25日(木)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山19

金蔵寺は紅葉で有名と聞く。しかし私はまだ紅葉の時季に訪れたことはない。


仁王門へ降りる。スタッフの方の話では、このあたりの紅葉が特に素晴らしいとのこと。


京都府が設置した案内板。


金蔵寺を後にする。画像は仁王門。


ここから東海自然歩道となる。道標に見える「花ノ寺」方向へ歩く。花ノ寺とは勝持寺(しょうじじ)のことだが、この日はコースに組み込まれていなかった。


9月24日(水)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山18

金蔵寺(こんぞうじ)は小塩山の中腹に位置し標高は350m程度。画像は愛宕大権現御本殿。明治時代の神仏分離令により、愛宕山上より金蔵寺に“愛宕大権現”が遷された。


本堂。
案内板によると、金蔵寺は、奈良時代初期の養老二年(718年)隆豊禅師により開創された寺院で、平安京造営の際、新都の平安を祈念し経文が納められたため、西の岩倉と呼ばれた。



急な階段を降りる。雨は完全に止んだ。


護摩堂。


境内で暫く休憩。


9月24日(水)19:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山17

ようやく登山道は平坦になり、同時に雨も小降りになってきた。


分岐。直進すると南春日町バス停。右折すると金蔵寺。ここは右折する。画像は右折してから分岐を振り返って撮影。


この道は「自然散策路」と呼ばれている。


分岐からは、暫く穏やかな道が続いたが、金蔵寺近くになると、また急坂となる。


金蔵寺の境内に降り立つ。画像は小塩山登山道の登山口を示す道標。


9月23日(火)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山16

「南春日バス停 金蔵寺」の道標を見て下る。


やがて登山道は舗装道路に出て、暫く車道を歩く。


急坂で、おまけに雨が降って傘をさしての山行なので、滑りやすく転倒者を何人も見た。


車道を歩くが、ガードレールの切れ目から、再び登山道に入る。尚、車道を道なりに下ると、花の寺、勝持寺へ出る。車道歩きでは、この日の訪れるコースとなっている金蔵寺へは行くことが出来ない。


この日、私はストックを持たなかったので、いつもより慎重に下った。


9月23日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

森林公園から小塩山15

西山自然保護ネットワークは、カタクリとギフチョウの生育環境を守るための活動をすすめていると紹介されている。


小塩山登山路階略図。これによるとカタクリ自生地は5ヶ所となっているが、これ以外にも小塩山山麓に自生地があったと記憶している。


淳和天皇陵の参道入口付近で、雨が降り出し、止む様子もなかったので、雨具の用意をする参加者の皆さん。ここは舗装道路の終点となっているが、一般車の通行不可。
尚、Wikipediaによると、淳和天皇は自身の意向により火葬され、その遺骨は近臣藤原吉野の手によって大原野の西山(京都市西京区大原野南春日町の小塩山)山頂付近で散骨されたと言われている。山陵を築く事を禁じられていたため「延喜諸陵式」に陵墓が記されておらず、当地には長らく小石で築かれた円塚のみであったが、幕末の陵墓修復の際、小塩山山頂付近に大原野西嶺上陵と称する陵が築かれた。又、山陵がある小塩山の東方のふもとに「灰方町(はいがたちょう)」という町名が存在するが、これは淳和天皇の散骨の際、遺灰が飛んで行った方向に由来している。



淳和天皇陵を出発する。すぐに左手に小塩山無線中継所を見る。


雨が降る中、傘をさしての山行となる。登山道は舗装道路を串刺すように続いており、かなり急なので、転倒する人が続出した。


9月21日(日)07:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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