山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2019年10月を表示

No1.等彌神社_鳥見山_若櫻神社

<概要>
2019年9月28日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「神武天皇ゆかりの等彌神社・鳥見山をめぐる」。
鳥見山は同名の山が宇陀市にあるが、今回登ったのは桜井市浅古(あさご)の鳥見山。

鳥見山は直近では2017年3月5日(日)に外鎌山_鳥見山で歩いていた。
若櫻神社の境内にある井は、桜井市の名前の由緒となった井ではなく復元されたもの。
元来の井は、桜井市のサイトによると、桜の井(さくらのい)で、場所は三宝稲荷荼枳尼天の南に位置しているようだ。

<コース概略>
近鉄大阪線桜井駅9:35_櫻井町道路元標_桜井市立図書館前_等彌(とみ)神社_斎場山「霊畤拝所」_庭殿句碑_白庭山_霊畤(まつりのにわ)_鳥見(とみ)山245m・忍坂山口坐神社方面登山道様子見_<ピストン>_鳥見山稲荷神社_11:41等彌神社・昼食12:21_桜井市立図書館_若櫻(わかざくら)神社・若桜の復元井戸_祠(石仏群)_谷東(交差点)_反省会:ぶんさん_13:47近鉄桜井駅

<メモ>
・参加者: 8名。
・コース歩行 (桜井駅を起点に鳥見山を周回した所要時間と距離)
 歩行距離: 約6.3km。
 所要時間: 3時間39分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 16,471歩。
 推測距離: 約11.0km。(0.67m×16,471歩=11,035m)
 歩行時間: 2時間45分。
・反省会:
ぶんさん 桜井市桜井170-2 桜井駅から166m

画像は桜井駅を起点に鳥見山を周回したGPSログを表示。



桜井駅南口から多武峯街道へ。

何回目かとなる櫻井町道路元標。
今回は道路元標の左に新しく設置された道標に注目!?
奈良盆地周遊型ウォークルートとは?
何でも「奈良県観光局ならの観光力向上課」という部署が新設されたらしい。



10分歩いて桜井市立図書館へ。(9:42→9:52)


「内宮鳥居」の駒札がやたら目立つ等彌(とみ)神社へ。
画像は一の鳥居。
桜井市の等彌神社、伊勢神宮から内宮の鳥居譲り受ける



等彌神社御由緒

当神社の背後に位置します標高が二四五米のなだらかな山容の鳥見山は初代神武天皇が橿原宮に即位され神武四年春二月に「わが皇祖の神霊は天より降りみそなわして、私の身体をてらし助けたもうた。
いまもろもろの賊を平定してしまって海内(くにのうち)は事件とてないほどよく治まっている。
そこで天神を祭って大孝(おやにしたがうこと)の志を告げ申し、お礼を致したい。」と詔りをされ鳥見の山中に霊畤(まつりのにわ)を設け国で採れた新穀及び産物を供えられ御自ら皇祖天津神々を祭り、大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の起源我が国建国の聖地であると伝えられております。

その西の麓(ふもと)に鎮座する等彌神社は、十世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳にすでに記載があり祈年祭の幣帛に預かった古社でありますとともに、昭和十五年の紀元二千六百年当時には、旧村社から県社に列せられ爾来、地元桜井は元より、全国的な崇敬に預かる県下有数の名社であります。
ご祭神は「天照大神」を主神として下社には「八幡」「春日」の大神をお祀り申し上げております。

つづく。



10月31日(木)19:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.12角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

二塚古墳を後にし、浄願寺を右に見て北へ歩くと道標があった。
「右 たへま 竹之内 道」と彫られているようだ。(新庄当麻道)



14時18分、道の駅かつらぎに到着。
ここで農産物などを見て回ろうとしたら、一部の人がバス停へ直行した様子。
暫くして彼らが戻って来て云うには、14時27分発の葛城市コミュニティバスがあるとのこと。



急いでバス停へ向う。
ルートを確認すると、バス停に当麻寺駅南があったので、これに乗ることにした。

当初はここからバスに乗ることは考えていなかったが、残暑厳しい折、アスファルトの路上歩きには、流石にうんざりしていた。
また、ここからゴールまでのコースは何回か歩いたことがある。

バスに乗るのは一部の人達だけかと思っていたら、なんとリーダーを除く全員だったので驚いた。

まぁ、この日はササユリの会の催しで、その割には歩く距離が長いと思っていた。
私は別に長くても構わないのだが、ここからゴールまでのコースを考えると歩く気持ちが失せた。



葛城市コミュニティバス「けはや号」に乗って当麻寺駅南バス停で下車したところ。
寄り道したので時間は掛かったが運賃は100円。
別に急いで帰宅する必要もない。



当麻寺駅前、どっこいまんじゅうで反省会。
この店、どっこいまんじゅうが、名物のようだけど、野菜ラーメン750円やら、温玉と牛肉の冷やしうどん550円、冷麺850円、ソフトクリーム、枝豆280円、チャーシュー400円、かき氷350円まであって、我々はビール500円と餃子6個380円を注文した。
因みに、“どっこいまんじゅう”というのは、ここが相撲の発祥地で、なので、“どっこい”らしい。一個150~170円。
中身はこだわりサツマイモの和風スイートポテトとのこと。

おしまい



10月30日(水)19:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.11角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

蓮の実。
はっきり云って“気持ち悪い”。
穴が開いているのがグロテスク。
しかし、中国では生薬として利用されてきたそうだ。



国指定史跡 二塚古墳 (昭和五三年十二月二十七日文部省指定)

葛城山の東麓、奈良盆地を一望のもとにおさめる地に築造された北向きの前方後円墳である。
葛城山系から東にのびる比較的幅の広い尾根筋を切断し、自然地形をうまくとりこんでいる。
墳丘は全長六〇メートル、後円部径三六メートル、高さは後円部・前方部ともに一0メートルを計り、周囲に周濠に相当する幅約一五メートルの平坦部が設けられている。
埴輪は検出されていないが、墳丘表面には扁平な石材を用いた貼石が認められる。
昭和三三年、奈良県立橿原考古学研究所によって発掘調査が実施され、横穴式石室が後円部の他、前方部と西側造り出し部にも構築されていることが確認された。
中でも、後円部の石室は全長十六・七メートル、玄室長六・七メートル、同幅二・九八メートルの大型のものである。
後円部石室から金銅花形座金具をはじめ、馬具、鉄製武器、農工具、玉類、前方部石室から馬具、農工具、金・銀製中空玉、造り出し部石室から琥珀製棗玉、鉄製武器、農工具の他、多量の須恵器、土師器が出土した。
墳丘の形態や石室の構造、出土品から六世紀中ごろの築造と考えられ、古墳時代後期の前方後円墳の基準となる貴重なものである。

新庄町教育委員会



周濠を歩いてみる。


後円部横穴式石室。
柵が設けられ、石室の内部に入ることは出来ない。



説明板の前で私達が戻るのを待機されている参加者の人達。

つづく。



10月29日(火)17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.10角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

葛城山麓公園の正面入口に到着。
置恩寺を目指して歩く。



近畿自然歩道を歩く。
前方から軽トラが現れると、すれ違うのに苦労する。
一旦、引き返して道路幅の広い道を歩くことに。



ブロックで囲われた石仏。

容器入れを上手に利用している。
見栄えは悪いが。
花立て、線香立て、蝋燭立て、湯のみも上手く収まっている。



置恩寺に到着。
無住職のお寺。
区長はじめ寺口地区の住民で管理されている様子。



置恩寺(ちおんじ)

正式には医王山・布施山安養院置恩寺と号し、高野山真言宗。
本尊は本堂に安置する薬師如来坐像です。
寺伝には神亀年間(七二四~二九)に行基の開基とありますが、奈良時代末~平安時代初めに置始氏(おきぞめし)の氏寺として建立され、中世には「布施寺」とも称されたように、布施氏の氏寺として栄枯盛衰を共にしました。
庫裏の南に建つ石燈籠は「文亀二年(一五〇二)仲夏天 願主置始行國」とあり、戦乱で焼失した寺の再建の際、布施行國が寄進したものです。

つづく。



10月29日(火)17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.9角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

昼食後、葛城山麓公園の中を通り抜け、公園の正面入口から置恩寺へ大回りする。

画像は当時の新庄町(現在は葛城市)が立てた「寺口忍海古墳群」の説明板。

葛城山の東麓一帯は、古墳時代中後期の前方後円墳とともに一定の地域に大きさが10メートル前後の小さな古墳が密集してつくられた群集墳が数多く見られることでも注目されています。
新庄町には寺口千塚古墳群・笛吹古墳群・山口千塚古墳群など古くからよく知られた群集墳があり、寺口忍海古墳群もその1つです。
寺口忍海古墳群は古墳の分布状況から北・中央・南の三群に分けられ150基以上の古墳がつくられていたものと推定されます。
数次にわたる発掘調査の結果、埋葬施設は横穴式石室がほとんどで南に開口しているものが多く、死者は額を北にして埋葬されていたことがわかります。
また、石室の中には九州北部に共通する竪穴系横口式石室が含まれており、多くの石室が羨道の開塞部分で床面が傾斜するという特色を持っています。
出土した遺物から、古墳は5世紀後半から末葉(西暦四七〇~四九〇年ころ)までにつくられはじめ【以下割愛】



先程、墓地で見たのと同じような小山(一定の地域に大きさが10メートル前後の小さな古墳が密集してつくられた群集墳)がここでも見られた。


石室の開口部。南向き。


葛城山麓公園の中を通り抜け公園の正面入口へ向う。
ここから急坂。



何を掲示しているのかと思ったら、芝生の上を滑る子供たちがいるようだ。

つづく。



10月28日(月)19:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.8角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

付近の丘陵地を開発して新しく墓地を建設したようだ。
古い墓石はまったく見られず。



古墳のように見えたが、確信はないが当っていたみたい。


墓地を通り抜けようとしたが通行止になっている。
厳重に金網が張り巡らされ、金網の向こう側に行くことが出来ない。

時間は正午過ぎ。
予定ではこの先の置恩寺で昼食だったが、通行止の迂回路を歩くと大回りとなることから、この近辺で昼食することに。



この墓地は葛城市火葬場に併設していた。
付近は公園にもなっており、トイレもあって昼食には適していた。
ベンチに座って昼食。



蝶々の交尾。
少し珍しいかも。
ツマグロヒョウモンと観られる。左が雄。
蝶の図鑑 蝶たちの交尾

つづく。



10月28日(月)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.7角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

ここからは眺望も良く中々の景色。


バーベキューを楽しんでいたグループ。
美味しそうな匂いが漂う。



ラッテたかまつを後にして、葛城山麓公園方面へ向う。
この道、地図上では表示されているが、最近、人が歩いた形跡がまったくない。
舗装されているが、クルマも通った形跡なし。



下草を掻き分け進むと、通行止めの金網が現れる。
画像は歩いて来た方向を振り返って撮影。

人は金網の隅から通行出来た。



金網の先は急に視界が開ける。
前方には新しい墓地が広がっていた。

つづく。



10月27日(日)17:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.6角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

「山の喫茶店 夢ラッテ」の看板が掛かっているが、ラッテたかまつの施設内にある喫茶店。


お店の人に何がお勧めかと聞いて、アイスクリーム(カップ)小 を注文。
支払いはセルフ方式。税込290円。



特段に美味しいとは思わず。
普通に美味しい。
どちらかと云えばソフトクリームっぽい。



室内から屋外を眺める。
入口からは想像出来ないくらい広い。



木製のテーブルやイスが心地良く感じる。

つづく。



10月27日(日)17:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.5角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

古墳入口手前の柵から石室の入口付近を撮影。
神域なので禁足地?
Tリーダーによると、以前は石室の入口まで入ることが出来たとのこと。



日露戦争記念の大砲。

この大砲は日露戦役の記念として明治四十二年六月に政府より当神社へ奉献された露国製加農攻守城砲で昭和五十一年春に今上陛下御在位五十年を記念して有志の寄進により車輪を修復した。



葛木火雷神社御由緒略記

當神社ハ元火雷神社ト笛吹神社ノニ社ナリシヲ延喜帝以前ニ合祀セラレタリ上古来朝廷大事ヲト定セラル毎ニ笛吹神社ヨリ波波迦木ヲ進献スルヲ倒トセリ
火雷神ハ火産霊神トモ火之迦具神トモ奉申リ火ヲ主宰シ給フ神ニシテ此大神ハ宮中大膳職及伊勢神宮ノ菓餅所ニテ奉斉セラル御同神ニシテ菓祖ノ大御神ナリ。天香久山命ハ石凝姥命トモ奉申リ
天照皇大神天岩屋戸ニ籠リ坐セル時天香久山ノ天波波迦木又竹ヲ切リ取リ笛ヲ造リ吹鳴シ亦金ヲ堀リ八咫鏡ヲ鋳造シ皇祖ニ奉リ大御心ヲ慰メ奉リシ神ニ坐シテ音楽及鐵工業ノ祖神ニシテ此ノ御鏡ヲ伊勢神宮ノ御神体ト奉仰ルモノナリ  高皇産霊神 大日孁貴尊 瓊々杵尊ハ皆皇祖ノ大神ニ坐シ伊古比都幣命ハ御食都神ニテ所謂衣食住ノ神ナリ
御鎮座ハ神代ト云ヒ神武天皇ノ御代ト謂ト誰モ詳ナラズ社家持田家ノ家譜ニ崇神天皇ノ御代ノ十年建埴安彦兵ヲ挙ゲテ帝都ヲ襲ハントス仍テ大彦命ハ笛吹連櫂子等ヲ率ヒ奈良山ニ於テ安彦ニ軍ト戦ヒテ和韓川ノ南ニ於テ櫂子ノ射放チタル矢ハ安彦ノ胸ヲ射貫キ之ヲ斃ス故ニ賊軍降テ平定ス依テ櫂子ノ戦功ヲ賞シテ天磐笛及笛吹連姓ヲ給フ其ノ夜天皇ノ御夢ニ此ノ磐笛ヲ以テ瓊々杵尊ノ神霊ヲ祭レバ国家安寧ナランコトニヨリ當社ノ相殿ニ奉祀セラルタルト有レバ崇神天皇御宇以前ノ古社ニシテ地誌其ノ他ノ古書 笛吹神社トアルハ所謂是也
皇室ノ御尊崇最モ厚カリシ官幣大社ニシテ延喜式ニ名神大月次相嘗新嘗ト載セラレ毎年数度ノ案上官幣ニ預リ給ヒシ神社ニテト事ニ用フル波波迦木ヲ奉ル等皇室トノ関係モ亦深カリシ事ヲ拝察シ奉リ得ルナリ

大正二年拾月 奈良縣



笛吹神社を後にしてラッテたかまつへ向う。
当初は訪問する予定ではなかったが、Koさんの同級生が、ここへ嫁入りされていて休憩を兼ねて訪れることになった。
近辺にはこのような旧家が建ち並ぶ。
ラッテたかまつは画像の左端、薄緑色の建物。



団体さんが来られていた。
何かイベントが催されていたのかもしれない。

つづく。



10月26日(土)18:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.4角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

信行寺石段下の石仏。


近畿自然歩道を歩いて笛吹神社(ふえふきじんじゃ)へ向う。


笛吹神社社務所前で小休止。
その時にSaさんより頂いたメープルカステラ。
甘くて美味しい。



笛吹神社へお参りする。


今回、初めて古墳を見ることが出来た。
境内の後方に位置している。

県指定史跡 笛吹神社古墳

葛城山系から東へ派生した低い丘陵上に総数約80基からなる笛吹古墳群があり、笛吹神社古墳はその古墳群の東端に築かれた円墳である。
墳丘規模は、東西約25m、南北約20m、高さ約4mである。
埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、玄室の中央に石棺が1基ある。
石室は全長約12.5mであり、玄室は長さ約6.0m・幅約2.4m、羨道は長さ約6.5m・幅約1.7mを測る。
玄室の壁には1.0〜1.5mの花崗岩の巨石を3〜4段積み上げ、5枚の天井石が架けられている。
石棺は凝灰岩製の刳抜式家形石棺であり、蓋の長辺にそれぞれ2箇所の突起がある。
石棺蓋は長さ約2.1m、幅約1.25m、高さ0.6mを測る。
6世紀に築造された笛吹神社古墳は、大型の石室に家形石棺をおく葛城地域屈指の後期古墳である。

指定年月日:平成10年3月20日
平成30年3月 奈良県教育委員会

つづく。



10月26日(土)18:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.3角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

アメジストセージ
繁殖力が強く野生化している姿も見られる。
最近はこの花を見ると秋を実感する。
他にはヒガンバナ、コスモス、ハギ、ススキなども。



信行寺石段下の地蔵菩薩像。


道標。
磨耗して読めない。
大和の古道(香芝 當麻 高田 新庄)によると「左 こんかう山 / 右 たえま寺」らしい。
ここに来てようやく古道・新庄当麻道に出合った。



信行寺前の交差点に建つ太神宮常夜灯。
弘化三年の銘。(一八四六)



こちらにもかなり磨耗した石仏が見られた。

つづく。



10月25日(金)17:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.2角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

ホシアサガオとみられる。
マメアサガオに似ている。
どちらも外来種。



ハブランサスとみられる。
花数か多く圧倒的な美しさ。



コスモスとツマグロヒョウモンだろう。


こちらはマルバルコウ


絵に描いたような秋景色。
ヒガンバナと金色に輝く稲穂。
そして青空と白い雲。
後方は金剛山地。

つづく。



10月25日(金)17:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.1角刺神社_笛吹神社_置恩寺_二塚古墳

<概要>
2019年9月26日(木)は、ササユリの会に参加した。
タイトルは「葛城山麓の道~忍海から笛吹神社、平林古墳へ~」。

スタートは近鉄御所線忍海(おしみ)駅。
ゴール予定は近鉄南大阪線磐城(いわき)駅だったが、残暑厳しく炎天下のアスファルト道歩きに辟易し、道の駅かつらぎで切り上げた。
タイミング良く、道の駅かつらぎへの到着時間と葛城市のコミュニティバスの発車時刻が、たまたま一致していたのでバスに乗れた。
リーダー以外、全員がこのバスに乗車。
リーダーは自宅迄徒歩で帰宅すると聞いた。

角刺(つぬさし)神社は以前訪問したことがあるが、御神木のイチイガシを見たのは初めて。
以前は境内を通り過ぎただけで、御神木に気付かなかった。
また、笛吹(ふえふき)神社の古墳と、葛城山麓公園内の寺口忍海の古墳群もお初。

昼食前にラッテたかまつで休憩。
暑いのでアイスクリームを食べた。
この店にはKoさんの同級生が嫁入りされていた。
この日は生憎留守で再会は出来なかった。

二塚古墳は久しぶりに訪問したが、以前は遠方から眺めていただけ。
今回は古墳の周りを歩いた。

ゴールの当麻寺駅前、どっこいまんじゅうで生ビールの反省会。

<コース・概略>
近鉄御所線忍海(おしみ)駅10:04_角刺(つぬさし)神社・御神木(イチイガシ)_忍海郵便局前_浄信寺前_県道30号線_信行寺・地蔵菩薩他石仏・道標?・常夜燈(太神宮)_<近畿自然歩道>_笛吹神社/ふえふきじんじゃ(葛木坐火雷神社/かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)・古墳_新庄乗馬クラブ前_ラッテたかまつ・休憩_寺院跡・山口コミュニティセンター前_獣避け金網_葛城市火葬場_<歩行者通行止>_12:15葛城山麓公園・昼食12:50_寺口忍海古墳群_葛城山麓公園正面入口_<近畿自然歩道>_石仏_置恩(ちおん)寺_二塚古墳_道標(左 たへま 竹之内 道)_県道254号線_14:18道の駅かつらぎ(バス停)14:27_<葛城市コミュニティバス>_当麻寺駅南(バス停)_近鉄南大阪線当麻寺駅

<メモ>
・参加者: 10名。
・コース歩行 (忍海駅~道の駅かつらぎバス停までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約9.6km。
 所要時間: 4時間19分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 21,053歩。
 推測距離: 約14.1km。(0.67m×21,053歩=14,105m)
 歩行時間: 3時間31分。
・休憩所: ラッテたかまつ 葛城市山口278-3
・反省会: どっこいまんじゅう 葛城市當麻54-2 当麻寺駅より徒歩10秒 (参加:5名)

この日歩いた忍海駅から道の駅かつらぎバス停までのGPSログを表示。



忍海駅から西方向へ歩くと、ほどなく角刺(つぬさし)神社に到着。

角 刺 神 社

「第二十二代清寧天皇が崩御された時、皇太子億計王(仁賢天皇)と皇子弘計王(顕宗天皇)の兄弟は互いに皇位を譲り合い、なかなか御位に就かれないので姉君である飯豊青命が代わって、この地で朝政を執られました。
日本書紀には、『倭辺に見が欲しものは 忍海のこの高城なる角刺の宮』とあり、大層立派な建物であったようです。
飯豊青命の執政期間は短く、わずか十ヶ月余りで崩御され葛城埴口丘陵に葬られました。
北西約九百メートル先にある飯豊天皇陵がそれです。
飯豊青命は記紀では天皇として認められていませんが、天皇扱いになっている歴史書も古来より数冊残されており、史上初の女性天皇としてその歴史に注目が集まるところです」



境内に二本ある御神木の内の一つ、L字形に曲がったイチイガシ。
画像は正面から撮影。



こちらは側面から撮影。
L字形に曲がっている様子がよくわかる。



角刺神社を後にして引き続き西へ向う。
画像はシオン
この時季、あちこちで見れる。

つづく。



10月24日(木)18:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

シューマン ピアノ協奏曲

シューマン ピアノ協奏曲イ短調作品54を視聴してみよう。

下記は前回。
シューマンピアノ協奏曲 マルタ・アルゲリッチ

Schumann Piano Concerto Helene Grimaud



Schumanns Klavierkonzert: Grimaud und Hengelbrock | NDR



シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54 九響 アンドリュー・フォン・オーエン



Robert Schumann - Piano Concerto in A minor, Op. 54



シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 ルービンシュタイン/ジュリーニ Schumann piano concerto A-moll op.54



10月23日(水)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.14金剛山(高畑道_千早本道)

さばみりん干し 300円。


最後は日本酒で。
ワイングラスは見た目、お洒落だけど容量が少ない。



二次会は前から気になっていた立ち食いの“南海そば”へ。
店は南海電車の駅構内以外にもあって、丁度、JR天王寺駅店は帰り道なので立ち寄った。
大阪は“そば”より“うどん”でしょう。
なのに“南海そば”とはこれ如何に!



その謎?を解くべく、券売機で迷わず、そば(山菜そば 300円)をセレクト。


300円なので価格相応の味。
今、気がついたが、南海そばの他にも、関西では阪急そばがあった。
現在、“阪急そば”はなくなって“若菜そば”となっているが。どちらが老舗なのだろう。
南海そばは1966年になんば駅2階に第1号店が開店。
阪急そばは1967年に阪急電鉄十三駅構内に近畿私鉄で初めての立ち食いそば・うどん店として十三店を開店。

それで肝心の“うどん”ではなく“そば”の理由だが、私みたいにどんな味なんって、食べてみたくなる動機付けとしてつけられたのかも。
大阪でうどんだと、ありきたりでわざわざ食べる気がしない。
そばだと、関東風で少しお洒落っぽくも感じる。

以上、どうでもいい話でした。

おしまい。



10月23日(水)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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