山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2021年11月を表示

ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス他

ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス他を視聴してみよう。
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス

ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス他
1.Niña de los Peines seguiriya de Manuel Molina
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Pastora Pavón)
2.manolito el de maria y diego del gastor solea de alcala. II
マノリト・デ・マリア(Manolito de María)
ディエゴ・デル・ガストール(Diego Del Gastor)
3.Fernanda de Utrera no caia nunca en cama solea
フェルナンダ・デ・ウトレーラ(Fernanda de Utrera)
4.La Niña de los Peines seguiriya de Paco la Luz
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Pastora Pavón)
5.Francisco Mairena - Soleares De Alcala, Cadiz Y Jerez
クーロ・マイレナ(フランシスコ・マイレナ)
6.Yo No te he dao motivo
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Pastora Pavón)
7.Soleá de Triana
8.Soleá. Fernanda de Utrera. 1990
フェルナンダ・デ・ウトレーラ(Fernanda de Utrera)
9.Tomas Pavón - A clavito y canela
トマス・パボン(Tomas Pavon)
10.La Niña de los Peines - Quisiera yo renegar (Petenera)
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Pastora Pavón)


【参考】
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス cante flamenco(1)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63OK60D5873D/1/
No.2ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc62nL6007E308/1/
ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc60im5E919C99/1/



11月30日(火)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.25木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

道路脇に現れた雄滝。


動画撮影した画像はこちら。



滝を観て暫く(2分程度)歩くと、東海自然歩道の案内板と簡易ベンチが置かれたコーナーに出た。


東海自然歩道の案内図は、先程見たものと変わらず。
現在地が高山ダム寄りになっているだけ。



目前には素晴らしい景観が広がっていた。


景観が観られたすぐ横に案内板が立っていた。

「弓ヶ淵の伝説 大字北大河原・南大河原 →」
この付近は大河原発電所の取水えん堤ができ景観がかわったが、太古からの大きな深淵を通称〝弓ヶ淵〟という。
天和2年(1682)に書かれた「茅栗草子」(菊岡如幻)には次のように記されている。
「昔、この地に大和守菅道臣という人がおった。
名張の大領の女を奪いとって、島ヶ原の里に近い伊賀田という所にひそかに隠し住まわせておいた。
やがて一人の童子をもうけた。
ところがこのことが明らかになり、名張の大領の徒党が討手にさしむけられた。
道臣は戦いにやぶれて、弓を引っ提げて、崖上より深淵に飛び入って自害した。
妻女もつづいて身をなげて死んだ。
以後その亡霊が、いつ時を決めず、島ヶ原の観音堂に参詣しているということだ。」

弓ヶ淵という名称の起源説話ともいえる。
.........................
「明神の滝 大字北大河原 ←」
老松やさつきの生えた巨岩が木津川の河原に有り、地元の人は白滝明神という。
この地域、滝といっても川幅が狭くなり急流をなしている所で雄滝・雌滝と古くからいわれている所である。
古く奈良朝より木材供給の水運上重要な木津川の中でも、ここから笠置浜までは筏流の最大の難所であり、南都高僧が何回も笠置寺にこもって水運をひらいたとの古文書も残っている。
又、和州神野寺の僧も何回となくこの地を訪れ、河川の祈祷をした言い伝えもある。
この付近の河原は薪炭の集荷地でもあり、江戸時代には「滝の鮎」と称された鮎の群集地であった。

南山城村教育委員会

つづく。



11月30日(火)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.24木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

道路脇に「府道82号上野南山城線」の道路標識。
現在地は京都府南山城村北大河原。



引き続きクルマに注意しながら車道を歩く。


道路脇に滝らしきが現れた。
自然の滝ではなく、コンクリートで段差を築いている。
元は自然の滝だったのだろう。



橋に「雌滝」の表示があった。


すぐに今度は「雄滝橋」と書かれた橋を渡る。

つづく。



11月30日(火)05:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.23木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

12時51分、昼食を終え、再び歩き出す。
画像は東海自然歩道の案内図で、押原~柳生までの区間を示している。
現在地は戀志谷神社。
この日、我々の出発地点は笠置橋付近(笠置駅)で、ゴールは高山ダムを経て今山付近(月ヶ瀬口駅)。



真輪院前を通過。
このお寺をネット検索すると下記に詳しく紹介されていた。
[南大河原/寺社]真輪院(Shinrinin Temple)
上記のサイトによると、
『明治43(1910)年に、北大河原の真蔵院と南大河原の十輪寺とが合併し、それぞれから1字ずつとって新しい寺院名となって誕生した寺院。
真蔵院は、江戸時代初期に開かれた真言宗の寺院。
十輪寺は、柳生友矩の菩提を弔うために、柳生宗冬が正保4(1647)年に創建した。
剣豪・柳生宗矩は、柳生藩初代藩主にして将軍家兵法指南をつとめた。
息子には、十兵衛、友矩、宗冬らがいます。
友矩は、将軍家光から大名になるよう再三すすめられましたが、若くして亡くなりました。
弟の宗冬は友矩の死を悲しんで、十輪寺を建てたとのことです。
隣の天満宮社とあわせ、柳生家と深いかかわりがあります。』



祠の向こう側に十三重石塔が見える。

「十輪寺寺跡の十三重塔 大字南大河原」の説明板によると、

花崗岩製十三重塔で基礎の側面四方は素面である。
塔身は高さ28センチメートル、幅は29.8センチメートル、下端は29センチメートルで月輪内に種字でウーン(阿閦)、タラーク(宝生)、キリーク(弥陀)、アク(不空成就)の金剛界四仏種子を配している。
この塔は軒反の萎縮等から考えて室町時代中期の造立と考えられる。

南山城村教育委員会



車道を歩く。歩道はない。
時折、クルマが猛スピードで走ってくる。
この先分岐。



正面に見える木津川に架かる大河原大橋を渡らずに手前で右折。

つづく。



11月30日(火)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

アラベラ・美歩・シュタインバッハー ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

アラベラ・美歩・シュタインバッハー ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲を視聴してみよう。
アラベラ・シュタインバッハー
ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)
ネヴィル・マリナー

アラベラ・美歩・シュタインバッハー ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
指揮:ネヴィル・マリナー
管弦楽:NHK交響楽団
2007年10月24日
サントリーホール 大ホール


【参考:アラベラ・美歩・シュタインバッハー】
アラベラ・美歩・シュタインバッハー
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5fBH5E05EB81/1/

【参考:ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲】
マキシム・ヴェンゲーロフ ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲他
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63JM60BDD169/1/
No.3ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63Q66045DC22/1/
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5fh75E3934A1/1/



11月29日(月)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.22木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

戀志谷神社 例大祭の案内。


境内に植栽されていたタラヨウ(多羅葉)の木。


ハガキ(葉書)の木として知られる。
タラヨウ



境内に見られたケヤキ?の巨樹。


人と較べると幹周りや木の大きさがわかりやすい。

つづく。



11月29日(月)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.21木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

神社の境内へは前方に見える急な石段を登る。


自然石の石碑。
「千年祭記念 天満宮 村内安全」と刻まれていた。



常夜灯が一列に並んでいる。
元は別の場所に設けられたものが、何らかの事情でこの場所に集約されたのでは。



古びた石碑が立っている。
とても読めたものではない。



すると、幸いにもその下に説明板があった。

「戀志谷神社口碑傳説 大字南大河原」
この碑にはこのように文字が彫られている。
「當社内二奉鎮座戀志谷姫神ハ人皇九六代後醍醐天皇ノ寵妃ニ座々セシト伝フ 天皇元弘元年笠置山ニ拠テ北条高時ヲ討チ給フ官軍利アラズ翌貳年参月隠岐ニ移リ給エリ時ニ姫神病アリテ伊勢海邊ニ御療養セラレ御平癒アリテ笠置行在所ニ御皈途當區今ノ古森迄テ御着キ給ヒシニ帝既ニ御出行ノ後ナリシ由ヲ聞シ給ヒ悲憤無極遂ニ御持病再發御自刃御崩御セラレシトカヤ 姫神御辞世ニ陛下ノ御身上ヲ愛慕セラレ亦身ノ病苦ヲ歎カセ給ヒ後世ノ人々ノ病苦厄難ヲ恵受セシムト宣工シト口碑ニ遺レリ以信者一同告ケ之ヲ千古ニ傳フ」

現代語訳すると、このようになる。
「当社に祀られている恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったといわれています。
後醍醐天皇は元弘元年(1331年)に笠置山で北条高時を討ち破りましたが、天皇の軍勢は旗色も悪く敗れてしまい、翌元弘2年3月に隠岐へ配流されました。
一方その時、姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。そして病気が治った後に後醍醐天皇がいた笠置へと向う途中で、ここ南大河原の古森に着きました。
姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けますとあったと言い伝えられています。そのためその言葉を人々に伝え、これを永遠に伝えます。」

南山城村教育委員会

つづく。



11月29日(月)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.20木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

「大河原カヌーハウス→」の看板が掲げられていた。
係りの人が何やら作業をしている。
この時期(11月)でもカヌー遊びをするらしい。



集落が現れる。
南大河原のエリアに入った。
南大河原の行政区は京都府相楽郡南山城村。(京都府唯一の村)
南山城村



昔ながらの旧家ばかり。
大河原周辺には新興住宅地がないようだ。
隣の駅、月ヶ瀬口駅の近くには月ヶ瀬ニュータウンがある。



12時12分、社標が二基建つ天満宮社・恋志谷神社(こいしだにじんじゃ)に到着。
ここで昼食。



「天満宮 石鳥居 大字南大河原」の説明板。

柳生宗冬公が父宗矩や2人の兄(長兄十兵衛・二兄友矩)の愛したこの土地の神社(正保4年に合社。恋志谷神社・天満宮社)改築に伴いこの鳥居を建立寄進したものである。
鳥居には銘文が刻まれている。
 正保四年
奉建立天神御寶前石鳥居柳生主膳宗冬敬白
 亥丁六月二十五日
父や兄が柳生の主人公として深いかかわりのしるしに寄進したものであり、歴代の藩主がこの地を重要視したあらわれである。
奈良県柳生の八坂神社の鳥居も同じく柳生宗冬が建てている。

南山城村教育委員会

つづく。



11月29日(月)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ハンク・ジョーンズ The Oracle

ハンク・ジョーンズ The Oracleを視聴してみよう。
ハンク・ジョーンズ
The Oracle (Hank Jones album)

Hank Jones Trio The Oracle
1.Interface 00:00
2.Beautiful Love 06:44
3.The Oracle 13:30
4.Blues For CM 20:18
5.Yesterdays 27:41
6.Blood Count 34:08
7.Maya's Dance 42:45
8.Jacob's Ladder 48:40
9.Trane Connections 56:10
...........
Bass – Dave Holland
Drums – Billy Higgins
Piano – Hank Jones
Recorded and mixed in March/April 1989 in New York City.



11月28日(日)16:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.19木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

十一面観音磨崖仏。


説明文にある「右手に錫杖を持つ十一面観音」ということで、長谷形十一面観音(観音さんと地蔵さんの合体相)と呼ばれている。
天文3年(1534年)で、先程の地蔵菩薩、文亀二年(1502年)から32年後に彫られている。
観音様らしい穏やかな表情をされている。



脇の阿弥陀石仏は説明文によると、室町時代よりわずかに降ったであろう作風とのこと。


東海自然歩道の道標。
「←笠置橋5.1km / 高山ダム5.0km 恋志谷神社0.9km→」。
時間は丁度正午で、昼食地の恋志谷神社まであと1km弱。



林道を歩く。

つづく。



11月28日(日)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.18木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

石橋を渡る。


この先、車道に合流。


合流地点に立つ東海自然歩道の道標。
「←高山ダム5.6km / 笠置橋4.5km→」。



合流地点では左折する。
画像は反対方向を撮影。
「レイクフォレストリゾート↑直進」の看板が見える。



「十一面観音磨崖仏 大字南大河原」

この十一面観音は、高さ111センチメートルの舟形光背を彫り、像高94センチメートルの観音さんを半肉彫りしている。
特徴は通常の姿と異なって、右手に錫杖を持つことから、長谷形十一面観音(観音さんと地蔵さんの合体相)と呼ばれている。
銘文は光背後に右「天文3年甲牛(1534年)」左「3月18日慶春」の刻銘があり室町時代の造立。
この脇の阿弥陀石仏は作風から見て、室町時代よりわずかに降るであろう。

南山城村教育委員会

つづく。



11月28日(日)06:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.17木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

比較的大きな谷を越える、と云うより暗渠になっているのでコンクリートの上を歩く。


谷の上流。
大きな石がゴロゴロしていて水量も多い。



左側に石仏が見え、その前にカラーコーンが置いてある。


地蔵菩薩立像。

微笑んでおられるように見える。
彫が深く古い時代のものだと思われた。
少なくとも江戸時代以前。
説明板によると「文亀二年壬戌(1502年」の銘があるので室町時代後期。(戦国時代)



「木津川辺り地蔵石仏 大字南大河原」

この石仏は花崗岩製。総高132センチメートル。舟形光背と蓮華座、仏体を彫りだす。
蓮華座上に立つ地蔵立像は右手に錫杖、左手には宝珠を持つ厚肉彫り石仏である。
像の左右に各一行の銘文が刻まれているが、一部は磨耗のため判読できない。
 文亀二年壬戌(1502年) ※壬戌=みずのえいぬ
地蔵立像
 三月二□日□
村はずれのお地蔵さんとして、塞(さい)の神的な役割もしていたであろう。

南山城村教育委員会

つづく。



11月28日(日)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

シューベルト アルペジョーネソナタ ミッシャ・マイスキー

シューベルト アルペジョーネソナタ ミッシャ・マイスキーを視聴してみよう。
アルペジョーネソナタ
ミッシャ・マイスキー
GáborTakács-Nagy

Schubert: Arpeggione Sonata -- Mischa Maisky, Gábor Takács-Nagy, Weinberger
ワインバーガー室内管弦楽団、ガーボル・タカーチ=ナジー:指揮、ミッシャ・マイスキー:チェロ
2016年1月31日チューリッヒ・トンハレにてライブ。
D.タバコワによるチェロと弦楽のためのバージョン


【参考】
No.2シューベルト アルペジョーネソナタ
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc626A600934B0/1/
シューベルト アルペジョーネソナタ
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5d9q5BACB362/1/



11月27日(土)16:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.16木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

水を貯えた木津川。
先程のダムとの関係でダム湖になっているようだ。
また、この辺りは川幅が広い。



バランスを崩さないようにして歩く。


これはサルトリイバラの花だろう。
この時期に花が見られるのは珍しいのでは。
通常は実が生る季節。
サルトリイバラ



足場が悪いので、引き続き注意しながら進む。


軽トラなら走れそう。
よく観ると轍が見られた。

つづく。



11月27日(土)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.15木津川源流4(笠置から月ヶ瀬口へ)

木津川の対岸に見えたのは相楽発電所。
画像に段差が見えるが、落差3.30mという超低落差の発電所。
関西電力株式会社 相楽発電所



コースは一面に落葉が積もる道を歩く。


木津川に流れ落ちる小さな谷を跨ぐ。


晩秋なので葉っぱが落ちて見通しがよいが、夏場だと鬱蒼としていることだろう。


この辺り、左右に植林が見られた。

つづく。



11月27日(土)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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