山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年12月を表示

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)45

左右に竹林を見て舗装された道を下って行くと右手に「占い石」の案内板があった。うっかりすると気付かずに通過してしまいそう。

往時山陰街道を行きかう旅人はこの石に座る辻占師に旅の吉凶を問うたと言われています



傍らにあった巨樹。ケヤキだろうか。


三軒屋と記された案内板。その昔、三軒の家屋が建っていたらしい。


北東方向の眺め。位置としては前方に見える山の向こう側に唐櫃(からと)越えと呼ばれる古道がある。手前に見える河川は鵜ノ川。


船着場跡に到着。


12月31日(木)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)44

チェーンが掛かった道路は旧道だろう。暫くR9と平行して歩くがすぐにR9と離れる。この道路は舗装されているが、一般車は通行不可。入口こそ雑草が生えていたが、中は歩きやすい。


やがて前方が開け再びR9が現れる。旧道から見るとR9は右に旋回していた。
京都方向への渋滞はなおも続いていた。



渋滞しているクルマの合間を通ってR9を横断。近くに信号機はなかった。少し京都寄りに歩くと、山陰古道入口の道標がある。これよりこの類の道標を見て歩く。


左に家庭菜園らしき畑が広がっていて、作業をされている方もおられた。


暫く道なりに歩くと分岐となり道標が設置されていた。道標を設置しているのは篠野自治会・街づくり推進会。


12月31日(木)18:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)43

ここから先、舗装道路は大きく下る。


前方に京都縦貫道が現れ、高架の下を潜る。


高架下のトンネルは上下線がそれぞれ別々にあって、位置が少しずれている。なので少しの区間だけ、上下線を左右に見て、その間の車道を歩く。画像は歩いて来た方向を振り返って撮影。


二つ目のトンネルを潜ると、すぐにR9が現れる。この日は事故があったようで、京都方面は大渋滞となっていた。その後、上空にはヘリコプターが旋回していた。


山陰道はR9の手前、左側に車止めのチェーンが掛かった舗装道路を歩く。


12月30日(水)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)42

舗装された道路を下ると左手に道標らしきものがある。


これは“国分石”と呼ばれるもので「従是東山城國」と彫られていた。


“国分石”のすぐ上を見上げると、大暑山・小塩山方面を示す道標が潅木に掲げられていた。大枝の山・西山団地経由となっている。


老ノ坂峠に建つ民家。人が住まわれている気配はない。


民家の脇に建つ愛宕山と彫られた常夜燈。その右には「京都の自然二百選」老ノ坂峠(山陰道)と記された標柱が立っていた。


12月30日(水)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

長者屋敷越

2015年12月29日(火)は、N氏とHa氏の三人で、榛原駅から歩いて長谷寺の南東、嶽山(別名:笠間山又は城山とも呼ばれる)の東に位置する長者屋敷跡を訪れ、長者屋敷越と呼ばれるルートを歩いて与喜浦バス停の西約300mのR165に下山した。

この日歩いたテーマは、①長者屋敷跡から北へ下ったところにある線刻磨崖宝篋印塔を観ること。②長者屋敷越を実際に歩くことの二つだったが、どちらもクリアーできた。

但し、①の線刻磨崖宝篋印塔の脇に土に埋もれつつも十一面観世音磨崖石仏を新たに知ることが出来た。お顔以外は土に埋もれており、掘り起こそうとしたが、まだ完全には掘り起こしきれていない。

この線刻磨崖宝篋印塔は、桜井市和田字落神萱森口、天落神六社権現境内に置かれている線刻宝篋印塔(磨崖)と非常によく似ている。

但し、天落神六社権現境内のものは摸刻したもので、本物は初瀬ダム建設事業により湖底に水没しており、今となっては本物を見ることは出来ない。

②の長者屋敷越は、なんとか歩くことが出来たものの廃道同然で近鉄大阪線の線路を見てから藪コギとなり、ようやくクリアーすると、今度は吉隠川に出られず、悪戦苦闘の末に脱出することが出来た。

尚、下山後、長谷寺駅のホームで偶然にもTnさんと出会った。Tnさんはこの日お一人で巻向山の山中にある奥不動寺を訪れ、更に白河の集落を訪れたそうだ。

また、反省会は発起人が誰も現れなかったのでなかった。

コース概略
近鉄大阪線・榛原駅_青面金剛石仏(極楽寺前)_青面金剛石仏(篠楽)_白山神社_青面金剛石仏(安田)・光明真言塔_長者屋敷跡・昼食_線刻磨崖宝篋印塔・十一面観世音磨崖石仏_道迷い1_近鉄大阪線・長谷寺第1号踏切を横断_道迷い2_R165_長谷寺駅

今回の山行の参考にしたサイト
長者伝説の古道②(榛原安田~初瀬)と與喜山・初瀬ダム

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。



12月30日(水)05:55 | トラックバック(0) | コメント(4) | 山歩き | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)41

例大祭は毎月四月十五日となっている。“大例祭”は誤りだろう。


首塚大明神の由緒。

平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、京の都へ出て、金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので人々の心に大きな不安を与えていた。天子(天皇)、源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で、熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が急に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられる。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。昭和六十一年三月 宗教法人 首塚大明神社務所



社殿から作業小屋(休憩小屋だろうか)を眺める。社殿はこんもりとした高台にある。


首塚大明神を後にする。


こちら側が参道だったようだ。


12月28日(月)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)40

切り通しの道となるが、果たしてこの道が山陰道だったのだろうか。道幅が狭いし街道としては険しい気がする。また前方に見える道は石畳ではなく、道崩れ防止の砂利を詰めた袋だった。


峠に出たが、道路が通じている。道路の下を潜る。説明板にあるように西部クリーンセンターの関係車両が通行する道路となっている。分岐にもなっており、ここから右に上がると「洛西散策の森」に通じているらしい。


峠からは下りとなるが、この道が街道とは思えない。


すぐに舗装道路となり、左手に作業小屋のような建物が見えた。


作業小屋の右上が小さなコブになっていて登ると、首塚大明神の扁額が掲げられた鳥居と社殿が現れる。


12月28日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

阿保越①(赤目口駅_美旗駅)

2015年12月27日(日)は、おおばこの会に参加した。題して「伊勢表街道(阿保越)パート1」。天気予報通り終日曇天で雨は降らなかったが風が冷たく感じた。尚、私の知る限り反省会は特になかったと思う。

コース概略
近鉄大阪線・赤目口駅_八幡神社_丈六寺_稲荷神社_鍛冶町橋_一の鳥居_はなびし庵_乱歩生誕地碑広場_名張藤堂家邸前_名張公民館(昼食)_春日神社_蔵持公民館_美波多神社_美旗駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。



12月27日(日)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)39

「洛西散策の森」で少し休憩し、来た道を道標があった「洛西散策の森」分岐まで戻る。左に京都霊園、右に小畑川と京都縦貫道に挟まれた舗装道路を進む。出会う人はない。


右側の京都縦貫道は「新老ノ坂トンネル」の入口となる。長さ1070mと表示。


トンネル入口を右に見送って進むと分岐。手持ちの資料を見てここは右へ。車止めのチェーンを跨ぐ。


暫く歩くと車道は行き止りとなる。


ここでも手持ちの資料を見る。フェンスの右に山に入る道があるのでこれに取り付く。


12月26日(土)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)38

「洛西散策の森」の道標を見て立ち寄ることに。


京都縦貫道のトンネルを潜る。


トイレがあったので利用した。


「京都府立大学大枝演習林」となっていた。演習林の一部が森林散策のために「洛西散策の森」として一般開放されているらしい。


「洛西散策の森」の案内板。


12月26日(土)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)37

京都成章(せいしょう)高校を左に見て歩く。


京都霊園入口の看板を見てR9を横断。京都霊園の中に入っていく。


京都縦貫道の高架下を潜る。


正面に霊園の管理事務所が現れ、管理事務所の右側の道を歩く。尚、管理事務所近辺にトイレはなかった。


この先、道に迷いやすいと事前に下調べしておいた。過去にこのルートを歩かれた方がWebサイトにアップされているものを印刷してこの日持参していた。手に持つ資料の左上の画像が正に今居るこの場所。

この資料は『街道歩き旅 山陰道・老ノ坂峠越』(京都丹波口~亀岡駅)



12月26日(土)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)36

道路の右側(東)に民家が何軒かあって地元産の柿を売っていたようだ。11月末で販売を終えたと記している。歩いた日は12月1日。


山陰道(府道142号線)沿いに建つ民家。虫籠窓が見られるが左右の形が違っている。右の曲線がある方が時代が古いと聞く。


この民家では柿の販売をされていた。「大枝特産冨有柿」の看板が掲げられている。右の籠に置かれている柿は試食用か。家の人は新聞を読んでいた。


あたりの様相が一変し、ラブホ街を歩くことになった。


やがてR9に合流するが、ラブホは左右に点在。R9のクルマの通行量はさほど多くない。


12月25日(金)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)35

手前に拝殿と奥に本殿。


拝殿前から参道を振り返って撮影。


大枝神社を後にする。すぐに桓武天皇御母御陵参道の道標が現れる。桓武天皇の御母とは、平安遷都を行った第五十代・桓武天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)


右斜面に「愛宕山」と彫られた新しい石灯篭。その上に祠が見える。後で調べると祠には関明神が祀ってあり、このあたりが「大江の関」跡。


やがて前方に京都縦貫道の高架が現れる。手前の川は小畑川。


12月25日(金)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)34

右手からの山陰道に合流する三叉路の角に愛宕山大権現と彫られた石灯籠が建っていた。石灯籠の周りはナンテンの木。


電信柱に「山陰街道沓掛」の道路標識が掲げられている。

※「沓掛」という地名についてコトバンクによると、日本各地の宿駅に残る地名。旅人が草鞋(わらじ)や馬の沓をささげて神に旅の平穏を祈ったことに由来するといわれる。



京阪京都交通沓掛バス停前を通過。少しの区間だけ(100m程度)東海自然歩道となっていた。山陰道は東海自然歩道を離れて直進。


すぐ右手に大枝(おおえ)神社の鳥居が現れる。急な階段を登る。


大枝神社の駒札。【一部割愛】

康保四年(967)施行の「延喜式」には神社の名前として『乙訓郡大井神社』と記載されている。現在の氏神は高美計神(タカミケ神)である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれている。しかし、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから千兒明神と称していた。現在、兒児神社はこれより東方、大枝塚原の地にある。境内には「享保八年(1723)と記された石灯籠があり、江戸時代にはさかえた様がうかがわれる。神紋は二葉葵である。【以下割愛】

京都寺社案内*大枝神社



12月25日(金)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)33

山陰道(府道142号線)から西、小塩山方向の眺め。


ここで突然、山陰道から離れ、マンション(ヴェルドミール桂坂)横の脇道に入る。里道か畦道だろう。すぐ右手に柿畑が現れる。


桂坂口バス停前を通り、バスが通る車道を横断。


再び、脇道へ。


やがて小さな小川に架かる「古世谷小橋」を渡って道なりに進むと古民家が現れる。入り口の引き戸は風情ある障子戸。障子の枠の右上、障子が貼っていないように見える。家の中から外を眺める窓か。


12月24日(木)18:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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