山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年12月3日を表示

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)3

付近の住所表示板。現在は「下京区中堂寺鍵田町」で、以前は「丹波口通坊城東入」だったのだろう。
“旧丹波口通”という表記は、この場所が昔の丹波口に通ずる道であったことを意味する。



御伺地蔵尊、鍵が掛けられており、厳重に警戒されている。悲しいことに、お地蔵さんが牢屋に入れられたように見えてしまう。


趣のある町屋。二軒長屋だろう。


この先、道は更に狭くなる。


やがて「島原の大門」が現れる。


12月3日(木)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)2

丹波口駅の周辺は京都市中央卸売市場となっている。「モートラ車」と呼ばれる荷物の運搬用に使われる車が面白い。立ったままクルマを運転する。


大銀杏の案内板。
島原住吉神社の旧境内地北端に植わっていたこの大銀杏は、明治維新後の廃仏毀釈により、社格株のない住吉神社が廃社になるも、神木として遺された。その後明治三十六年(1903)に神社は再興されたが、境内はこの大銀杏のところまで拡大されるには至らなかった。昭和五年(1930)にこの樹の根元に弁財天が祀られることにより、さらに神木として崇められ、今では樹高(二十米)、幹周り(三.五m)ともに樹齢三百年相応の島原一の巨木となっている。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



こちらがその大銀杏。


細い旧道。


歌舞練場跡(かぶれんじょうあと)記念碑。
島原歌舞練場は、明治六年(1873)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同十四年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その後景気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果たしていた。しかし、当初の歌舞練場は、狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であったため、昭和二年(1927)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築された。それ以来、この新歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催された。戦後の同二十二年以降は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成八年(1996)同組合の解散に伴い、歌舞練場を解体し、歌舞練場百二十余年の歴史を閉じることとなった。また、天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この大榎には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。約二百年の樹齢を誇るがごとく、樹高は十五米、幹周も二米となり、今なお神木としての威厳を留めている。ここに、記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するものである。平成十三年十一月吉日 島原伝統保存会



12月3日(木)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)1

2015年12月1日(火)は、京の古道②として山陰道を丹波口駅から亀岡駅まで歩いた。距離およそ20km。
この企画の提案者及び世話人はN氏。参加者はT氏と私の計3人。

コース・タイム
9:20JR山陰本線・丹波口駅9:28_9:34大銀杏(島原)_9:37歌舞練場跡(かぶれんじょうあと)記念碑_9:42島原大門_9:46輪違屋(わちがいや)前_9:50角屋もてなしの文化美術館前_9:59七条通商店街_10:02松尾神社朱雀旅所前(松尾大社氏子總代)_10:04清光山権現寺・源為義公墓_10:15北向山不動明王_10:25西高瀬川に架かる月読橋を渡る_10:31石仏群_10:35松尾七社之一 松尾三宮社石灯籠前_10:38葛野七条(交差点)_10:41出在家阿弥陀堂_10:44天神川に架かる七条大橋を渡る_10:48延命地蔵菩薩_10:50愛宕山常夜燈(天保六年)_10:52愛宕山大権現(常夜燈_嘉永五年)_10:55八条通と合流_10:56桂大橋バス停前_10:57桂川に架かる桂橋(桂大橋)を渡る11:01_11:02中村軒・麦代餅を食べて店で休憩11:17_11:19桂離宮バス停前_11:23桂川街道を横断_11:24桂地蔵寺11:27_11:33道標(西京区川島北裏町)_11:35西山御坊(本願寺西山別院)11:38_11:40阪急京都線桂駅の大阪寄りの踏切を横断_11:41松尾七社之一 大宮社・常楽寺前_11:51樫原(かたぎはら)バス停前_11:53樫原交差点で物集女(もずめ)街道を横断_11:54郷倉(ごうぐら)_11:57「揚げ素戸ばったり床机」の人家_11:59樫原陣屋跡(本陣)前_12:06三ノ宮神社御旅所・三ノ宮バス停前_12:08三宮神社石碑_12:12墓地_12:14樫原札の辻 三士殉難の地_12:17樫原秤谷(交差点)_12:31地福寺_12:37三ノ宮神社前_12:39下狩(しもかり)川に架かる下狩橋を渡る_12:40京都市立大枝(おおえ)小学校前_12:41茅葺民家_12:43称念寺前_12:47兒子神社(ちごじんじゃ)・昼食13:25_13:29桂坂口バス停前_13:34愛宕山大権現(常夜燈・西京区大枝沓掛町)_13:36沓掛バス停前_13:37大枝(おおえ)神社13:41_ 13:43桓武天皇御母御陵参道道標_13:44関明神・大江の関跡・愛宕山石灯籠_13:53京都成章(せいしょう)高校前_13:55京都霊園入口_13:58管理事務所前_14:04京都縦貫道のトンネルを潜る_14:05洛西散策の森(京都府立大学大枝演習林)・休憩14:22_14:30分岐を右(左ゲート・右チェーンを跨ぐ)_14:33林道終点(舗装→地道)_14:38京都市西部クリーンセンターへ通じる道路の下を潜る_14:40首塚大明神14:44_14:45道標(従是東山城國)_14:46大暑山・小塩山方面分岐_14:51「京都の自然二百選 老ノ坂峠(山陰道)道標・愛宕山石灯籠_14:57京都縦貫道(上り・下り)のトンネルを潜る15:00_15:01R9合流手前を左折(旧街道)_15:06R9を横断_15:08山陰古道入口(道標)_15:15占い石(道標)_15:18三軒屋(道標)_15:21船着場跡(道標)_15:25府道402号線出合・京つけもの もり_15:25王子神社(篠町王子)15:28_15:42篠村八幡宮15:51_16:11西川にかかる西川橋を渡る_16:14愛宕山石灯籠(亀岡市篠町柏原町頭)_16:16愛宕山石灯籠(柏原公民館前)_16:19愛宕山石灯籠(年谷橋東)_16:19年谷川に架かる年谷橋(としたにばし)を渡る_16:21千本松(野橋立)跡_16:22愛宕山石灯籠(亀岡市三宅町野々神)_16:23亀岡市三宅町住民センター前_16:26府道402号線(山陰道)を右折しクニッテルフェルト通り_16:30光忠寺前_16:30丹波亀山城雷門跡(道標)_16:38内堀(南郷公園のお堀)前_16:41JR山陰本線・亀岡駅16:44 ★反省会 17:20京都駅構内塩小路カフェ18:11

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。

下記は参考とした書籍及びWebサイト
・増田 潔『京の古道を歩く』光村推古書院 2006年。
『街道歩き旅 山陰道・老ノ坂峠越』(京都丹波口~亀岡駅)



早朝の蛙股池。手入れの為、池の水位は低下している。


京都駅山陰線32番ホーム乗り場。9時17分発の亀岡行に乗車。


乗車時間3分で丹波口駅に到着。画像は付近の観光案内図。


丹波口駅を後にする。


12月3日(木)11:05 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


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