山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年12月25日を表示

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)36

道路の右側(東)に民家が何軒かあって地元産の柿を売っていたようだ。11月末で販売を終えたと記している。歩いた日は12月1日。


山陰道(府道142号線)沿いに建つ民家。虫籠窓が見られるが左右の形が違っている。右の曲線がある方が時代が古いと聞く。


この民家では柿の販売をされていた。「大枝特産冨有柿」の看板が掲げられている。右の籠に置かれている柿は試食用か。家の人は新聞を読んでいた。


あたりの様相が一変し、ラブホ街を歩くことになった。


やがてR9に合流するが、ラブホは左右に点在。R9のクルマの通行量はさほど多くない。


12月25日(金)18:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)35

手前に拝殿と奥に本殿。


拝殿前から参道を振り返って撮影。


大枝神社を後にする。すぐに桓武天皇御母御陵参道の道標が現れる。桓武天皇の御母とは、平安遷都を行った第五十代・桓武天皇の生母・高野新笠(たかののにいがさ)


右斜面に「愛宕山」と彫られた新しい石灯篭。その上に祠が見える。後で調べると祠には関明神が祀ってあり、このあたりが「大江の関」跡。


やがて前方に京都縦貫道の高架が現れる。手前の川は小畑川。


12月25日(金)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山陰道(丹波口駅_亀岡駅)34

右手からの山陰道に合流する三叉路の角に愛宕山大権現と彫られた石灯籠が建っていた。石灯籠の周りはナンテンの木。


電信柱に「山陰街道沓掛」の道路標識が掲げられている。

※「沓掛」という地名についてコトバンクによると、日本各地の宿駅に残る地名。旅人が草鞋(わらじ)や馬の沓をささげて神に旅の平穏を祈ったことに由来するといわれる。



京阪京都交通沓掛バス停前を通過。少しの区間だけ(100m程度)東海自然歩道となっていた。山陰道は東海自然歩道を離れて直進。


すぐ右手に大枝(おおえ)神社の鳥居が現れる。急な階段を登る。


大枝神社の駒札。【一部割愛】

康保四年(967)施行の「延喜式」には神社の名前として『乙訓郡大井神社』と記載されている。現在の氏神は高美計神(タカミケ神)である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれている。しかし、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから千兒明神と称していた。現在、兒児神社はこれより東方、大枝塚原の地にある。境内には「享保八年(1723)と記された石灯籠があり、江戸時代にはさかえた様がうかがわれる。神紋は二葉葵である。【以下割愛】

京都寺社案内*大枝神社



12月25日(金)18:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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