山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年12月を表示

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園37

礎石かと思ったが、自然石の踏み石。


葉が落ちた樹形が美しい木がある。
その後に石段が続き、石段の取り付きに石仏らしきが見えたので立ち寄る。(画像の右端)



石仏ではないようだ。
着物を召している様に見える。
右手に団扇のようなものをお持ち。



葉が落ちた樹形が美しい木はリョウブかもしれない。


石段を登り詰めると、平坦なところに石仏が祀ってあったので立ち寄る。


12月31日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園36

画像の右、手摺のあるところから入る。


宝珠山 福成寺

福成寺は、桓武天皇による長岡京遷都に伴い、延暦三年(七八四)、鎮護道場として創建されたと伝えられ、千二百三十余年の長い歴史を有する古刹である。
当時は、広大な敷地に多くの塔頭を擁する大寺院であったが、平安時代には衰退して、真言宗の寺院となった。
南北朝時代に建仁寺第二十六世・高山慈照(広済禅師)の手により、臨済宗の寺院として再興された。
その当時は、多くの修業僧を抱える大道場であったが、建武五年(一三三八)に、そこで守られるべき規則として定められたのが、「福成寺規式」である。
この文書は、平成十九年(二〇〇七)、国の重要文化財に指定されたが、現在は、建仁寺の塔頭、霊洞院が保管している。
その後、寺は応仁の乱で焼失し、江戸時代の文政十年(一八二七)に本堂が再建された。
本尊は十一面観音菩薩立像で、絡西三十三所観音霊場の第三十一番札所である。
脇侍の大日如来像は、定朝様(じょうちょうよう)式を備えた藤原時代中期の作で、中興の祖、広済禅師像とあわせ祀られている。
寺内にある権現堂では、毎年二月十一日、五穀豊穣を祈る伝統行事、「行講」(おこないこう)が、地域の草分けによって今日まで伝承されている。
現在、福成寺は、臨済宗建仁寺派の末寺である。
京都市



切り株。
後でわかったが、台風の影響で、境内にはこのような切り株があちこちに見られた。



竹を置いて“通せんぼ”している。
この先、石段が崩れかけている。
正面に少し見えるお堂に蔵王大権現が祀ってあり、後でお参りした。



山門を潜る。
頭上に掲げられている扁額、残念ながら文字が読めない。



12月31日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

三室山展望台_竜田古道の里山公園_高井田横穴公園

2018年12月18日(火)は、土曜会の有志による「生駒近辺の山や峠越えの道を歩く」シリーズに参加した。
タイトルは「三郷駅から三室山経由で竜田古道を歩く」。

<概要>
この日歩いたコースとほぼ同じコースを、約1年前の2017年7月14日に、N氏と二人で歩いている。
その時の記録「もう一つの三室山と雁多尾畑」を含む 2017年7月の記録 に歩いた詳細をアップしている。

<2017年との比較>
2017年は近鉄生駒線信貴山下駅からスタート。
三郷駅前から三室山(展望台)を経て、竜田古道の里山公園へ。
その後、雁多尾畑(かりんどおばた)の集落に入ったが光徳寺は訪問せず。

今回は途中の三郷駅からスタート。
雁多尾畑の集落に入るまでは同じだが光徳寺を訪問した。
光徳寺を経由する方が近道。
竜田古道の里山公園で昼食。

2017年は雁多尾畑から、どんどの滝前で昼食。
横尾を経て、安堂池から近鉄大阪線安堂駅にゴールした。

今回は雁多尾畑から安堂池までは同じ。
高井田へ向い、高井田横穴公園で横穴墳を観て、柏原市立歴史資料館を見学。
JR関西本線高井田駅にゴールした。

この二つの歩いたコースの大半を占める三郷駅から安堂池迄の区間は重複している。
また、高井田横穴公園も過去に訪問しているので詳細は省略する。

<コース概略>
JR関西本線三郷駅_農住5号公園_三室山展望台_竜田古道の里山公園_光徳寺_どんどの滝・どんどう不動尊_安堂池_史跡 高井田横穴公園_柏原市立歴史資料館_JR関西本線高井田駅 ★反省会 風月 リーベル王寺店

<コース詳細>
9:20JR関西本線三郷駅9:45_磐瀬の杜前_竜田古道道標(→関地蔵 三室山 峠八幡神社)_道標(左 大阪堺道 右 龍田神社道 釋寂照)_関地蔵_竜田古道道標(→三室山)_農住5号公園_クルマ止_広場_万葉歌碑(龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ)_道標(三室山2・3号古墳→)_竜田古道道標(←三室山展望台 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_説明板(歴史を彩る神の山)_トイレ_表示板(桜の里山公園 三室山10号園)_竜田古道道標(←三室山展望台 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_展望台・四等三角点(点名:三室山 標高:137.06m)・竜田古道道標(→留所 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_案内板(竜田古道推定ルート)_表示板(桜の里山公園 神社跡7号園)_農具小屋跡_石碑(龍田神社本宮址)_トイレ_石垣_井戸_分岐(ぶどう園分岐を左に見送り直進)_表示板(桜の里山公園 桜の園14号園)_車道出合・四つ角を右へ_竜田古道の里山公園南口より入園_案内図(竜田古道の里山公園)_11:05管理事務所裏ベンチ・昼食11:34_府道183号を南へ歩く_雁多尾畑_柏原堅上郵便局前を右折_光徳寺_高見商店前_上町青年会館前_道標(左 大坂 加し王ら 道 / 右 やまミち)_三叉路を左折(岡本ガーデン・山田自動車方面を右に見送る)_道標(おおさか環状自然歩道)_スーパースター(工場)前_どんどう不動尊・説明板(どんどの滝)_道標(←青谷・堅上 2km / →安堂・高井田 2.5km / ここは横尾出荷場 / 竜田道)・道標(勅願所松谷××堂)_覆屋(石造物)_分岐道標(←安堂・高井田 2.1km / このあたりはブドウの名産地 / 竜田道)_車道陸橋の下を潜る_安堂池・分岐道標(JR高井田駅 1200m / 近鉄安堂駅 500m / 横尾 2000m)_表示板(阪南大学所有地)_分岐を左へ_サンヒル柏原前_案内板(史跡 鳥坂寺跡)_史跡 高井田横穴公園_柏原市立歴史資料館_13:42JR関西本線高井田駅 ★反省会 14:02風月 リーベル王寺店15:00

<メモ>
・参加者総勢: 4名。
・実歩行距離: 約16km。(自宅~自宅 最寄り駅等を含む)
・歩数: 2万3千歩。(自宅~自宅 最寄り駅等を含む)
・反省会: 風月 リーベル王寺店 全員参加。

画像はこの日歩いたJR関西本線三郷駅から、同線高井田駅までのGPSログを“青色線”で表示している。
2017年7月14日に歩いたGPSログは“赤色線”で表示。

今回からGPSログの表示はスマホのデータを利用。
当面、ソニーのGPS端末NV-U37はサブで利用し、問題がなければスマホに切り替える方針。



三室山展望台の下から南方向の眺め。眼下に流れるのは大和川。

展望台に補強された手摺。
自然の木を上手く使って作っている。
頑丈に固定されており、手摺を握ってもグラつくことはなかった。

画像の真ん中、細い竹の木が立っている下に四等三角点(点名:三室山 標高:137.06m)が埋まっていた。



早くもスイセンの花が咲いていた。
スイセンは種類が多いがニホンスイセンだろう。



画像は第3支群 18号墳。
横穴の中に石棺が見られる。

以下は現地の説明板より。

高井田横穴群

横穴とは、岩盤に彫りこんだ洞窟をお墓としたもので、「よこあな」とも「おうけつ」ともよばれ、横穴墳あるいは横穴墓とも言います。
横穴は、東北から九州まで全国各地にみられますが、近畿には少なく、大阪では柏原市にしかみられないものです。

第3支群 22~24号墳

高井田横穴群は、地形などから大きく4つのグループに分けられ、それぞれ第1~4支群とよんでいます。
この中で、第2~4支群が国の史跡に指定され、史跡公園として整備しています。

史跡の名称 史跡高井田横穴
史跡指定年月 大正11年3月8日 平成2年3月6日(追加指定)
史跡指定面積 35,594.17㎡
文化庁 大阪府教育委員会 柏原市教育委員会



野生の柿。
ヤマガキとみられる。
高井田横穴公園にて。

おしまい。



12月30日(日)18:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園35

史跡 樫原(かたぎはら)廃寺跡

この寺跡は昭和42年2月から4月にかけて発掘調査され、八角塔跡などが立派に残っていることから昭和46年3月に国の史跡に指定され、永久に保存されることになった。
寺跡には、一辺6mの八角形の瓦積基壇の塔跡を中心に、約35m南へ離れた所に、東西(間口)20m、南北(奥行)約11mの基壇をもつ門と、その左右にそれぞれ幅(南北)5m、長さ(東西)約22mの基壇をもつ回廊が建ち、北へ折れ曲がって南北に65m以上、幅2.4mの基壇を持つ築地塀が建てられていたことが、発掘調査により明らかになった。
そのほか、塔路の北方約39m離れた所に堂路があるらしいことが地形から想定できる。
おそらく、この堂の左右にも回廊があり東西の築地塀に達していたと予想され、堂に後方にも別の堂舎があったと考えられる。
塔跡には、今の地表から深さ約2mの地下に円形の柱型を掘りくぼめた心柱の礎石がある。
また出土する単弁八葉の蓮華文をもつ軒丸瓦、素文の額に蓮華文を打ち出している軒平瓦及びその瓦を使って基壇を積む手法から、7世紀半ばに造られた寺院であったと推定される。
この樫原の土地は当時高野郡に属し、葛野の地は秦氏の勢力下にあったことから、この寺院の造営に秦氏が関与している可能性もある。
山背一円には、×××うに地域に住む豪族が創建にかかわった寺院がいくつか知られ、発掘調査も行われている。
八角の塔をもつ形式の寺院跡はこの時代においてわが国では例がなく、この寺跡は京都市民にとって、先祖のことを知る大きな手がかりとなり、国にとっても極めて価値の高い貴重な史跡である。
京都市
指定年月日 昭和46年3月1日
指定面積 5,456.14㎡



右、史跡 樫原廃寺跡の石碑と、八角塔跡前で上記の説明板をご覧になる皆さん。


礎石。


周辺の景色。


樫原廃寺跡を後にして福成寺へ。
画像は宝珠山 福成寺の寺標。



12月29日(土)18:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園34

樫原三ノ宮神社前に到着。
このあたりには三宮と名のつく神社が多い。

スサノオノミコト、オオヤマグイ(山の神)、サカトケ(酒の神)の三柱を祀る。



樫原三ノ宮神社から歩道を南へ歩く。


すぐに史跡 樫原廃寺跡に到着。
八角の形をした遺構が見える。



一帯は公園になっており、ここで昼食しても良かったという声も。
この時、時間は12時55分。



説明板らしきが見えたので立ち寄ってみる。


12月29日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

叡福寺_推古天皇陵_二子塚古墳_小野妹子墓

2018年12月16日(日)は、おおばこの会に参加した。
タイトルは「近つ飛鳥の道~叡福寺から平石城跡へ~」。
毎年恒例、野外での忘年会。

<概要>
タイトルにある平石(ひらいわ)城跡、当初はここで昼食の予定だった。
ところが、昼食時間が遅くなるので割愛。
小野妹子墓の横にある東屋で昼食となった。

この日、訪問した社寺仏閣や史跡、歩いたコースは、過去に何回か訪問したり歩いたりしているので詳細は省略する。
初めて歩いた道は三ヶ所あった。
一つ目は、上ノ太子駅から、聖和台の住宅地を南へ向うのに、住宅地のメイン道路を歩かずに、西寄りの道を歩いたこと。
その結果、叡福寺の北、太子霊園から叡福寺へ入った。
太子霊園から泉州~大阪平野の眺めが良く、新鮮に感じた。

二つ目は、叡福寺の南、西方院から(伝)蘇我馬子墓前を経て、府道32号線に出るまでの旧道。
特に伝承とはいえ、蘇我馬子の墓があることに驚いた。

三つ目は、昼食場所の小野妹子墓の横にある東屋から畑集落へ向うまでの山道。
台風の影響で、倒木や土砂崩れによって、コースがやや不明確だったが、過去には歩いていないと思う。

<コース概略>
9:20近鉄南大阪線上ノ太子駅9:36_星和台_太子霊園_叡福寺_西方院_推古天皇陵_二子塚古墳_科長神社_小野妹子墓_11:43東屋・忘年会13:04_畑_平石城跡_近つ飛鳥風土記の丘_14:52阪南ネオポリスバス停14:55_<金剛バス>_近鉄長野線富田林駅

<メモ>
・参加者総勢22名。
・コース歩行距離約10km。
・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万5千歩。(自宅~自宅)

画像は近鉄南大阪線上ノ太子駅から金剛バス 阪南ネオポリスバス停までのGPSログを表示。



役行者像。
叡福寺境内にて。



三尼公御廟所(さんにこうごびょうしょ)に祀られている三基の多層堵塔の一つ。
凝灰岩とみられる。
西方院のサイトによると、三尼公とは、聖徳太子の三人の御乳母が太子御薨去の後に出家され、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子の御廟前に一宇を建立されたの南向山 西方院がの始まり。



野外での忘年会に参加者が持ち込んだ酒の肴。
小野妹子墓の横にある東屋にて。



美男葛(ビナンカズラ 別名:サネカズラ)の実。
昼食場所の東屋から畑集落へ向うまでの山道にて。

おしまい。



12月28日(金)18:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園33

京阪京都交通、三ノ宮バス停前を通過。


旧山陰道、亀岡方面へは、前方の三宮神社社標を左に見て右へ歩くが、この日は社標を右に見て直進。(南)


常夜燈。
大正元年十月の銘。



前方に紅葉した巨樹が見えた。
ケヤキだったかもしれない。



洞雲寺(仏頂国師旧跡)を右に見送る。


12月27日(木)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園32

後続の人達が降りた道。
おっと、ここにもトラロープが。



天皇の杜古墳から出て、南の福成寺方面へ向かおうとするが出口がない。
もと来た入口まで戻るのは面倒なので、垣根の隙間をすり抜け、腰の高さほどある石垣をよじ登って古墳の外へ出た。

画像はR9と平行する旧道を歩いているところ。
前方に二つの木が見えるが、あのあたりに京阪京都交通 国道三ノ宮バス停がある。



進行方向の右手、R9の御陵鴫(しぎ)谷交差点を右に見送って、引き続き旧道を歩く。


前方に巨樹が見えた。
巨樹に近づいた時、見覚えのある場所に出合うことになる。



正面は三宮神社御旅所で左右に通じる道は旧山陰道。
ここは何回か訪れたことがある。
旧山陰道も亀岡市まで歩いた。



12月27日(木)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

因幡薬師_六道珍皇寺_安井金毘羅宮_東華菜館

2018年12月15日(日)は、N氏主宰による土曜会に参加した。
タイトルは「建仁寺、高台寺の周辺を歩く」。

<概要>
この日のウォーキングは、京都のど真ん中で観光客が訪れない社寺仏閣、史跡を歩くという趣向と思われる。

因幡薬師は地元の人が信仰するお寺だろう。
佛光寺は真宗佛光寺派の本山。
かつては、同じ浄土真宗の本願寺派をしのぐ勢力があったとされるが、そのような宗派があること自体、私は知らなかった。

松原通(旧五条大路)を東へ歩いて鴨川に架かる松原橋を渡る。
西福寺・六道の辻へ立ち寄る。
更に松原通を東へ歩き、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を訪問する。
六道珍皇寺を出発しようとした時、参加者の二人がいないことがわかった。
お二人は、六道の辻前で幽霊子育飴を買い求めていて、本体が六道珍皇寺に立ち寄ったことに気付かず、そのまま直進した結果、はぐれた。
この後、祇園のシンボル八坂の塔付近を歩く予定だったが、このすれ違いに時間を要したので、八坂の塔付近はカット。

次の訪問地、安井金毘羅宮へ向かった。
悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所ということで、老若男女を問わず、お参りされている人が多かった。
建仁寺前から花見小路通(はなみこうじどおり)を北へ向う。
南座前から四条大橋を渡り東華菜館本店で昼食。
このレストランは、また是非利用したい。

食後は昭和9年開業の歴史ある喫茶店へ。
木屋町通りのフランソア喫茶室
土曜会では、ウォーキングの後に喫茶店へ入ることがしばしばある。
N氏が喫煙者ということもあるだろう。
この日は昼食後に喫茶店へ入った。

八坂神社御旅所前、四条通を挟んで北側、これまた老舗、林万昌堂四条本店の店内を通り抜け染殿地蔵院へ。
新京極通を北へ歩き錦天満宮に立ち寄る。
蛸薬師通の名前の由来となった蛸薬師堂 永福寺を経て、三条通を横断し、奈良の矢田寺とゆかりのある矢田寺(矢田地蔵)を訪問。
三条通に戻ってこれを西へ歩き、弁慶石を観て、京都文化博物館、中京郵便局(中京郵便局旧庁舎)の立派な建物を眺めながら、東洞院通を北へ。
14時20分、地下鉄烏丸線烏丸御池駅にゴールした。

<コース概略>
地下鉄烏丸線五条駅_平等寺・因幡薬師(別名:因幡堂)_佛光寺_西福寺・六道の辻_六道珍皇寺_安井金比羅宮_南座前_11:30東華菜館本店・昼食12:38_12:49フランソア喫茶室・休憩13:26_染殿地蔵院_錦天満宮_蛸薬師堂_矢田寺(矢田地蔵尊)_14:20地下鉄烏丸線烏丸御池駅出入口3-1

<コース詳細>
地下鉄烏丸線五条駅出入口3_五条通を横断_不明門通(あけずどおり)を北へ_平等寺・因幡薬師(別名:因幡堂)_高辻通を東へ_真宗佛光寺派 本山 佛光寺(ぶっこうじ)_出世地蔵尊_麩屋町通(ふやちょうどおり)を南へ_明王院不動寺_松原通(旧五条大路)を東へ_高瀬川に架かる松原橋を渡る_鴨川に架かる松原橋を渡る_川端通を横断_琵琶湖疎水に架かる松原橋を渡る_宮川町通を横断_祠(石仏群)_川魚 のと正前_祠_石柱(愛宕念仏寺元地)_北向地蔵路地入口・看板(不思議茶屋バラライカ(ロシア雑貨))_菱六 もやし前_桂光山 西福寺・六道の辻 地蔵尊・末廣不動明王_幽霊子育飴前_六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)_清水道(交差点)で左折 東大路通を北へ_八坂通を横断_祠(玉水延命地蔵尊)_高台寺南門通を横断して左折_安井金比羅宮_九龍三虎堂前_祇園Dining Dauphin前_松崎三弦店前_建仁寺前_花見小路通(はなみこうじどおり)を北へ_杢兵衛前_常光院前_清住院前_大和大路通を北へ_四条通を西へ_南座前_鴨川に架かる四条大橋を渡る_11:30東華菜館本店・昼食12:38_彩席 ちもと前_12:49フランソア喫茶室・休憩13:26_阪急河原町駅前_八坂神社御旅所前_道標(安産守護 染殿地蔵尊 / 左 京極近道)_林万昌堂四条本店(店内を通り抜け)_染殿地蔵院_新京極通を北へ_錦天満宮(錦の天神さん)_安養寺(別名:倒蓮華寺)_蛸薬師堂 永福寺_寺町通を北へ_三嶋亭 本店前_三条寺町交番前_矢田寺(矢田地蔵尊)_辯慶石_石黒香舗(にほひ袋)前_ゐ(い)ど寿屋前_京都文化博物館前_中京郵便局前・説明板(中京郵便局旧庁舎外観)_東洞院通を北へ_こども相談センターパトナ前_石碑(高倉宮址)_祠(石仏)_14:20地下鉄烏丸線烏丸御池駅出入口3-1

<メモ>
・参加者総勢9名。
・コース歩行距離約6km。
・実歩行距離約13km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数1万8千歩。(自宅~自宅)

画像はこの日歩いた京都市営地下鉄烏丸線五条駅から同線烏丸御池駅までのGPSログを表示。
付近は高層ビルの谷間につき、GPS電波を正確に受信出来ず、位置情報に狂いが発生。



木製の臼は珍しいのでは。
真宗佛光寺派 本山 佛光寺(ぶっこうじ)境内にて。



縁切り縁結び碑(いし)に、縁切り縁結びを祈願される人々。
ご祈願の作法については、安井金比羅宮のサイトを参照。



鴨川に架かる四条大橋から昼食場所の東華菜館本店を撮影。
最上階の北東角のテーブルに座った。(画像最上階の右端)
古き良き伝統 京都の東華菜館



八坂神社御旅所前、四条通を挟んで北側、老舗、林万昌堂四条本店前に建つ道標。
「安産守護 染殿地蔵尊 / 左 京極近道」。
この後、店内を通り抜け染殿地蔵院へ向かった。

おしまい。



12月26日(水)19:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

(続)ベートーヴェン 荘厳ミサ曲

(続)ベートーヴェン 荘厳ミサ曲 (ミサ・ソレムニス)を聴いてみよう。

ベートーヴェン 荘厳ミサ曲


Missa Solemnis, op 123 Krassimira Stoyanova, Elīna Garanča, Michael Schade, Franz Josef Selig YouTube 3




Beethoven - Missa Solemnis in D major, Op 123 - Davis




Missa Solemnis




12月25日(火)20:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園31

別の道を辿って平地へ降りる。


平地は下草が刈り取ってあって、手入れが行き届いていることを今更ながら実感。


昼食後、出発するが、T氏を先頭に皆で古墳の中に入ってみる。私は2回目
この辺りがピーク。



枯れ木の根元が残っている。


別の道を辿って降りる。
この道には石段があったが、倒木で通行禁止となっているので脇に回り込んだ。
しかし、後続の人達は安全な道を辿って降りた。



12月25日(火)19:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園30

昼食後、時間があったので、古墳公園内を一人でブラブラすることに。
説明板らしきが立つところへ立ち寄ってみる。



古墳の種類の説明板。


円墳の中への取り付きが見えたので入ってみる。


円墳の中心部、ピークへの道は幾つかあるようだ。


すぐに中心部のピークに到着。
標高は僅かに40m程度。



12月25日(火)19:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園29

道路を横断した正面が天皇の杜古墳で公園になっている。
周りに柵があって中に入れないので入口を探す。



入口はここ一ヶ所だけとみられる。


史跡 天皇の杜古墳。
大正11年3月8日文部省指定。



史跡 天皇の杜古墳

天皇の杜古墳は、京都市内でも極めて保存状態の良い前方後円墳で、古くから墳丘に生い茂る大樹が「天皇の杜」の名にふさわしい景観を見せています。
墳丘の形は前方部か広がらない、いわゆる「柄鏡式」の形態で、古墳時代でも前期(4世紀)に属しています。
全長83メートルを測る市内では最大級の古墳で、その被葬者はこの時期に桂川右岸地域を統括した有力豪族(首長)と推定されています。
ここは、古来より交通の要衝であり、稲作の場である平野部も見渡すことができる大切な場所だったのです。
保存整備の一環として墳丘部と周濠部の部分的な発掘調査を実施しましたが、その結果、周濠部と理解されてきた平坦部には、周濠としての掘り込みはなく、兆域(墳墓の区域)として他と区別した部分であることがわかりました。
墳丘は全体を2段築成で築造し、その平坦面には円筒埴輪が樹立していました。
また、斜面には葺石が丁寧に葺かれてしたことなども明らかになりました。
主体部(死者を安置した所)の調査は実施されていないため、埋葬施設や副葬品の内容までは明らかになっていませんが、桂川右岸では現存する前期の古墳が少ないだけに、かけがえのない古墳といえます。
なお、天皇の杜古墳の名称は、かつてこの古墳が文徳天皇(平安時代の天皇)の御陵であるとされてきたことに由来しています。
京都市文化財保護課



ここで昼食となる。
ベンチが幾つか置かれていた。



12月24日(月)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園28

京都桂病院を右に見て歩く。


左には松陽小学校。


道路の角地に石仏群が見えたので立ち寄る。


石で覆われた中に所狭しと並べられている。
これでは石仏たちも窮屈だろう。



R9に出合い、天皇ノ杜古墳前の交差点を横断。


12月24日(月)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

アンドレ・リュウ

アンドレ・リュウ(クリスマス コンサート)を聴いてみよう。


André Rieu - Christmas in London (2017)




12月23日(日)18:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理


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