薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園36 |
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| 画像の右、手摺のあるところから入る。
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| 宝珠山 福成寺
福成寺は、桓武天皇による長岡京遷都に伴い、延暦三年(七八四)、鎮護道場として創建されたと伝えられ、千二百三十余年の長い歴史を有する古刹である。 当時は、広大な敷地に多くの塔頭を擁する大寺院であったが、平安時代には衰退して、真言宗の寺院となった。 南北朝時代に建仁寺第二十六世・高山慈照(広済禅師)の手により、臨済宗の寺院として再興された。 その当時は、多くの修業僧を抱える大道場であったが、建武五年(一三三八)に、そこで守られるべき規則として定められたのが、「福成寺規式」である。 この文書は、平成十九年(二〇〇七)、国の重要文化財に指定されたが、現在は、建仁寺の塔頭、霊洞院が保管している。 その後、寺は応仁の乱で焼失し、江戸時代の文政十年(一八二七)に本堂が再建された。 本尊は十一面観音菩薩立像で、絡西三十三所観音霊場の第三十一番札所である。 脇侍の大日如来像は、定朝様(じょうちょうよう)式を備えた藤原時代中期の作で、中興の祖、広済禅師像とあわせ祀られている。 寺内にある権現堂では、毎年二月十一日、五穀豊穣を祈る伝統行事、「行講」(おこないこう)が、地域の草分けによって今日まで伝承されている。 現在、福成寺は、臨済宗建仁寺派の末寺である。 京都市
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| 切り株。 後でわかったが、台風の影響で、境内にはこのような切り株があちこちに見られた。
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| 竹を置いて“通せんぼ”している。 この先、石段が崩れかけている。 正面に少し見えるお堂に蔵王大権現が祀ってあり、後でお参りした。
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| 山門を潜る。 頭上に掲げられている扁額、残念ながら文字が読めない。
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Dec.31(Mon)19:00 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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