山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月を表示

日下直越道2

この先、車道は右に曲がるが、歩くコースは直進する。


後続の人たちを暫く待つ。
このあたりに“俵口石”と呼ばれる石の採取地があるらしい。石仏寺(生駒市藤尾町)の阿弥陀如来坐像、阿弥陀如来立像、そして地蔵菩薩立像は、この“俵口石”を採取して造ったことが証明されている。
※“俵口石”という固有名詞はない。



左におしゃれな家が現れる。


Yさんによると、隠れ家的なお店で裏山の敷地内にハーブを一杯植えているという。お店の名前は「hygge」。ランチもあるみたいだが、お茶やマフィンがメインらしい。


この郵便受けは現役?くもの巣が張っていてゴミ置き場に見えなくもないが。


7月31日(金)20:21 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

日下直越道1

2015年7月26日(日)は、「第34回 歩く・石仏の辻 日下直越道(くさかじきごえみち)」に参加した。近鉄奈良線・生駒駅に集合。生駒駅を出発、生駒市西松ケ丘7、俵口石採取地付近からナコ谷に分け入り、モチ川に沿って登り、光陽台住宅地の高区加圧ポンプ所の脇に出た。洗い場池(別名:ツンボ池)、馬池を経て、生駒山麓公園で昼食。午後からは、八丁門峠(灯籠ゲート)から日下直越道(くさかじきごえみち)を下り、神武天皇顕彰碑に立ち寄って、大龍禅寺不動院へ下山。その後、元孔舎衛坂駅(くさえざかえき)に立ち寄り、ゴールは近鉄石切駅。 反省会は生駒では定番「うまいもんや味楽座 生駒店」。

コース・タイム
9:50近鉄奈良線・生駒駅10:12_10:30芸術会館バス停前_10:35清風寺生駒別院前_10:36生駒市西松ケ丘7(俵口石採取地付近)10:40_<ナコ谷モチ川に沿って登る>_10:43Cafe hygge前_10:44山道取り付き_11:01光陽台住宅地の高区加圧ポンプ所脇11:15_11:18洗い場池(別名:ツンボ池)_11:39馬池_11:51生駒市清掃センター道路出合_12:04生駒山麓公園(昼食)12:55_13:17八丁門峠(灯籠ゲート)_13:24車谷方向分岐_13:34展望地13:45_14:04展望地14:14_14:21五瀬命(いつせのみこと)負傷碑_14:27龍の口霊泉分岐_14:29神武天皇顕彰碑14:36_14:47日下川出合_14:51大岩瀧_15:02滝_15:08龍鳳洞石切前(豆腐料理・和食)_15:11大龍禅寺不動院15:32_15:42日下新池15:52_15:53日下のヒトモトススキ石碑_15:57孔舎衛坂駅(くさえざかえき)跡地_15:59白龍大神_16:10近鉄奈良線・石切駅 ★反省会 16:25「うまいもんや味楽座 生駒店」18:10。

画像はこの日歩いたルートのGPSログ。生駒駅から石切駅まで。



快晴の蛙股池。暑くなりそうな予感は的中した。


生駒駅から歩かずに、バスに乗って生駒山麓公園へ向かう人たちと別れる。その後、この日歩くコースの概略を聞く。生駒駅付近にて。


生駒市コミュニティバス(光陽台線)・芸術会館バス停前を通過。1時間に1本程度バスがあるようだ。


清風寺生駒別院を右に見送る。


7月31日(金)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

大木の里から犬鳴山の道39

東方向に見えた形のよい山。後で調べるとその名も「大木富士」。

※三等三角点_点名:高城_標高339.32m。

このすぐ近く、水呑地蔵の西側に「小冨士山」と呼ばれる山があり、こちらは標高259.4m。



下大木のバス停に15時39分に到着。49分発のバスを待つ。


運行系統図。泉佐野駅前行きに乗車し日根野駅前で下車。バス停の名前に見える「境界橋」が、大木地区と土丸地区との境になるらしい。


日根野駅前で下車し、JR阪和線を利用して帰路につく。


反省会は帰路が同じ方向の有志4人。場所を思案したが、天王寺駅周辺は誰も詳しくなかった。鶴橋駅前の「風月本店」もあったが、暑いし、焼くまでに時間がかかるので、無難なところで、いつもの餃子の王将・鶴橋駅前店にて。おしまい。


7月31日(金)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道38

中大木の風景を撮影するF氏。“菅笠”がよくお似合い。


私も同じアングルで撮影。樫井川に沿う棚田の景色。


東方向の山々を振り返って撮影。


「国史跡日根庄遺跡の保護と大木地区ほ場整備事業」の説明板。この地図は上が南西になっており、非常にわかりにくい。地図に記載されている犬鳴温泉から、樫井川に沿って府道泉佐野打田線(粉河街道)を歩き、中大木の集落に入って水間道を歩いた。途中で左折(西)し、長福寺跡を経て現在地までやって来た。


下大木のバス停へ向かうが、道がわかりにくい。偶然出会った地元の女性に聞き、バス停までの近道を教えて貰った。更にその女性は親切にも近道の取り付きまで案内して頂いた。画像は民家の脇に続く近道。


7月31日(金)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道37

中大木(なかおおぎ)地区の掲示板に貼ってあった「重要文化的景観 日根庄大木(ひねのしょうおおぎ)の農村景観」のポスター。

※泉佐野市のHP
「日根荘大木の農村景観」について、大木地区は日根荘のころ、土丸地区と合わせて入山田村(いりやまだむら)と呼ばれ、領主の九条政基(くじょうまさもと)が1501年から4年間滞在し、『政基公旅引付(まさもとこうたびひきつけ)』を記した舞台になりました。現在の風景を構成するため池や水路、農地、寺社堂などは、その多くが中世の日根荘に由来するもので、地域の人びとが長い歴史の中でその時代や暮らしの変化に合わせながら受け継いできました。豊かな景観が広がり歴史的変遷をたどることができる、重要な地域であることから、本市の貴重な文化遺産として、次の世代へ受け継いでいきたいと考えています。平成25年10月17日に、大阪府初の重要文化的景観に選定されました。今後も地域の資産として保護と活用の取り組みを進めていく予定です。



民家の庭。傾斜地にあるので、庭も傾斜となっている。手摺が見えるが、高齢者がお住まいなのだろう。こちらの家も、先ほどの家と同じく、玄関に注連縄が飾ってある。この地方では、いつまで飾るのだろう。


お地蔵さんを祀った祠。祠の前に丸い石が幾つも並べてある。“力石”かもしれない。


この日初めて「たまねぎ小屋」にたまねぎを吊るしてある実物を見た。


水間道を歩く。クルマはまったく通らない。


7月31日(金)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道36

左の石仏は磨耗が激しい。「右 水間寺」だろうか。


左の文字は磨耗して読めない。


格子窓の民家。左は蔵だろう。


左方向に続く分岐を見送り、右上へ進む。こちらの道の方が、古い道に見えた。画像は分岐を振り返って撮影。


何気なく民家を撮影しょうとしたらお二人が写ってしまった。「こんにちは」。右の女性はこの後、私達にいろいろと話し掛けて下さった。それにしても石垣が多い。どこか懐かしい田舎の雰囲気。


7月30日(木)19:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道35

再び車道から右に折れて旧道を探す。建設会社の資材置き場に入って行くと、樫井川に架かる橋が見えた。あの橋を渡れば、上大木に行けるハズだが、いかんせん、資材置き場は立入禁止になっており、やむなく車道に引き返す。


車道の右端を一列縦隊で歩く。


上大木(かみおおぎ)の交差点で右折し旧道(水間道)へ入る。


樫井川に架かる恩随橋(おんずいばし)を渡ってすぐ左、左に道標を兼ねた石仏と、右に道標。左の石仏は折れている。


右の道標は「右 水間寺」。「左 さの貝塚」だろう。(これ以降撮影した3枚の画像はライトアップしている)


7月30日(木)19:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道34

「両界の滝」を通過。


犬鳴山バス停まで戻って来た。ここで一旦解散となる。このままバスに乗って帰る人と、ここから大木(おおぎ)まで歩き、大木の集落を散策する人のグループに分かれた。私は後者のグループに入ることに。


犬鳴山バス停から車道を歩き一土庄橋バス停までやって来た。付近に設置されていた案内図。地図に表示されている青線は車道を表している。


引き続き車道を歩く。クルマの往来が多い。


途中、車道歩きを避ける為、右折して上大木の集落へ抜ける旧道を探したがわからなかった。


7月30日(木)19:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道33

渓流のせせらぎが心地よい。


右手前より宿坊からの道と合流する。


川原で涼む人達。魚釣りをする人も。


景観を楽しみながら、ゆっくりと下山する。


手摺を使って階段を降りる。


7月30日(木)19:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道32

コンクリートの広場に立つ巨大な「身代わり不動明王」。


その右には役の行者。


身代わり不動明王像の右手奥、鳥居を潜ったところに裏行場への取り付きがあった。Y氏にここまで案内して頂いた。


道標があったが、錆びてよくわからない。右下に記されている「鉄山」は、犬鳴山の修験者の名前とみられる。


広場で暫く休憩後、もと来た参道を下る。


7月29日(水)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道31

役の行者像の下にある「行者くぐり岩」の説明板。説明文によると、三回穴をくぐる。


最近はどんなことでも、男性より女性の方が積極的。まずはI(B)さんが挑戦。


続いてI(D)さんもチャレンジ!!


「行者の瀧」を後にし、本堂に戻る。「昇龍倶利伽羅不動明王について」の説明板。


旧参道に架かる石橋。


7月29日(水)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道30

「行者の瀧」。手前は「行者橋」。


予想以上にスケールが大きく、涼しくて快適。大満足。


お二人が指差しているのは、滝行に使用する「鎖」だろう。


カメラを構えている女性の場所は、とても涼しくて、じっとしていられないくらい。この後、その場所へ足を運んだ。


役の行者像。


7月29日(水)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道29

「七宝瀧寺」の本堂に到着。


板の間を土足で通り抜ける。


これらの白装束は「行者の瀧」で、瀧修行をおこなう人達の貸衣。


「行者の瀧」へ向かう。案内によると、ここから100m先。


前方に見える滝が「行者の瀧」。左に見える赤い建物は「清滝(せいりゅう)堂」。ここで志納金50円を納める。


7月29日(水)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道28

左斜面に「義犬の墓」の説明板。

「宇多天皇寛平二年三月十五日(一〇八〇年前)紀伊の国の猟夫 当山の行場である蛇腹附近に鹿を追ったとき 樹間に大蛇あり、猟夫を呑まんとす。猟夫その由を知らず。愛犬しきりに鳴いて猟を遮りぬ。猟夫怒りて愛犬を切る。愛犬の首飛んで大蛇に咬みつき共に斃(たおれ)る。猟夫我が生命を守りし義犬を弔わんが為に剃髪して庵(いおり)を結んで余生をおくりたりと。その事朝聞に達し、一乗山改め犬鳴山と勅号を賜わった。」

寛平二年は平安時代、西暦890年。



「義犬の墓」に立ち寄ろうとしたが、急斜面で足場が悪く崩壊しており、通行禁止となっていた。


「厄除十二面観世音」にお参りする人。


五本松・高城山分岐を左に見送る。左はハイキングコースのようだ。


苔生した水掛不動尊。


7月28日(火)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道27

道標を兼ねた石仏。「左 ふどう道」だろうか。残念ながら右の字は私には読めない。


「犬鳴不動明王について」の説明板。説明文にある本尊、「倶利伽羅 大龍不動明王」(くりからたいりゅう ふどうみょうおう)は初耳。下記の説明にもある通り、倶利伽羅不動を本尊とする寺院は日本国内で類例がないとのこと。

※七宝龍寺のサイトによると、「本尊は役行者の自作による倶利伽羅大龍不動明王(秘仏)で、古来より運気の守護、命乞い不動尊として四方の人々の篤い信仰を集めています。その御姿は、秘剣に龍が巻き付いた形像です。倶利伽羅不動を本尊とする寺院は日本国内で類例がありません。倶利伽羅大龍不動明王は、悉地明王(悉地とは成就の意味)ともいわれ、古来より願望成就の守護神であり、生命乞の不動明王として霊験あらたかです。」

因みに、御真言は「ノウマク シツチ シツチ ソウ シツチ シツチ キヤララヤ クエンサン ママ シツチ アジヤマ シツチ ソワカ」。



「神明橋」を渡る。


歩いて来た参道を振り返って撮影。


ご本尊を奉る幟が立つ参道。画像、後姿の女性は久しぶりに参加されたIさん。


7月28日(火)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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