山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月8日を表示

太子道(筋違道)12

お寺の前。水路のある小道。何か魚でも泳いでいるのかな。


小さな金魚を放してあった。


お寺は「浄土真宗本願寺派 龍華山 善照寺」。


境内に入ってすぐに目を引く「冨生(ふしょう)の松」とその説明板。


盆栽を大きくしたような姿。このような松は他ではあまり見た記憶がない。


7月8日(水)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)11

行政区は斑鳩町から安堵町東安堵に変わる。これはかなりの巨樹だが、由緒など不明。残念ながら木の名前もわからなかった。


ガクアジサイ。民家の庭先で。


こんなところを歩く。下見をしなければ到底歩けない道。


やがて前方に寺院が現れる。


足元を見ると安堵町の消化栓の蓋。右上のマークは安堵町の“安”をデザインしている町章。


7月8日(水)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)10

富雄川に架かる「新業平橋」を渡る。


「業平道」の説明板。


新業平橋の橋上から富雄川の下流方向(南西)を望む。


青空とヒマワリ。天気予報の通り、お昼前頃からすっかり天気は回復した。


JR関西線の踏切を横断。正面に見える山は二上山。この方向からは雌岳は雄岳の後に隠れて山の姿は一つにしか見えない。


7月8日(水)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)9

白色のムクゲ。


上宮遺跡公園を後にする。公園の隅っこに歌碑があった。


會津八一(あいづやいち)の歌碑。
※斑鳩大事典によると、「いかるがの さとのをとめは よもすがら きぬはたおれり あきちかみかも」。
読み:いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも。
歌意:斑鳩里の娘たちは夜が更けるまではた織をしている。秋も近いことだ。1908(明治41)年28歳の田舎の中学の英語の教師八一は初めて奈良を訪れます。法隆寺は今日のようなにぎわいはなく、廃仏毀釈の影響もあり訪れる人も少なく閑散とした村の中にあった。夢殿に近い宿屋に泊まった夜、村を散策する八一は機織の音に心を打たれます。甘酸っぱい青春の思いと古代への憧憬が若い乙女を通して歌い上げています。  



少しだけ田んぼの畦道を歩く。


畑に吊るされたカラスの死骸。これを見てカラスは近づかないのだろう。どのような方法でカラスを捕獲したのか、知りたいものだ。


7月8日(水)19:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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