山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月22日を表示

大木の里から犬鳴山の道9

やがて日根神社の鳥居を潜る。


長い参道を歩くと二つ目の鳥居が現れる。


日根神社の説明板。
※「いずみさのなんでも百科」によると、日根野東上にあり、10世紀前半の延喜式神名帳に記載される古社で、平安時代末期から江戸時代までは大井関大明神、日根大明神と呼ばれていました。地元では「おおせきさん」と呼ばれています。社伝によれば、創建は673(白鳳2)年。720(養老4)年には和泉五社の一社となっています。祭神は鵜芽草葺不尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命(たまりひめのみこと)の二柱と伝えられていますが、一説には新羅の億斯富使主(おみふのおみ)であるともいわれています。大井関大明神とも呼ばれたように、田畑を潤す樫井川や水路を加護する神として親しまれてきました。創建以来幾度かの火災などにみまわれ、天正年間(1580年代)の織田信長の雑賀攻の際にも焼かれています。1602(慶長7)年に豊臣秀頼により現在の社殿が建立され、その後岸和田藩主岡部侯の庇護(ひご)を受けることとなりました。本殿は大規模な春日造、桧皮葺、向拝に華麗な唐破風をつけ、いかにも桃山時代らしい様式を伝えており、現在大阪府指定文化財となっています。また、5月5日に行われるこの神社の例祭「まくら祭り」は優美な祭として有名です。



境内では昨日(7月18日)行われたらしい「ゆ祭り」の神事と「五社音頭踊り」が奉納され、その後片付けの最中。
※「いずみさのなんでも百科」によると、日根神社の夏祭り。「ゆ」とはかん漑用水のことです。樫井川水系の水が枯れることなく豊作になるように、7月第3土曜日に日根神社の境内で神事と五社音頭奉納などが行なわれます。かつては旧暦の6月16日でした。神事は日根神社境内のすぐ脇を流れる井川(ゆかわ)に祭壇を設けて祓いの神事をします。この日井川の水に手をつけると、できものが治るといわれています。五社音頭は日根野、上之郷、長滝の3地区から奉納されます。かつては8月1日の泉南市の祗園さんと並ぶ大勢の参拝者を集めた盛大な夏祭りでした。樫井川流域の農地はほとんど樫井川とそこから取水した用水の恩恵を得て豊かな農業を営んできました。この祭りは、樫井川の水源の安全と夏の災厄除けを祈願する祭りと考えられています。



日根神社拝殿。


7月22日(水)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道8

天満宮の狛犬吽形。


こちらは阿形。頭髪が目の上まで垂れている。団子鼻もユーモラス。愛嬌があって私的には興味を引かれる狛犬。


「安政 八月」の文字が見える。他の文字はよくわからない。


「久之木 北荘司 善兵衛」だろう。
※歴史民俗用語辞典によると、「荘司とは荘園の管理者。荘園の管理、労働力の統制のために荘園領主より任じられた者。」 



総福寺天満宮を後にする。たまねぎを吊るして保存しておくための「たまねぎ小屋」と呼ばれるもの。泉州ならではの光景。


7月22日(水)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道7

「総(惣)福寺 鎮守 天満宮 本殿」。国の重要文化財。天正四年(1576)頃に建立。


こちらは天満宮ではお馴染み「願かけなで牛」。


ここで小休止となる。お堂の中から読経が聞こえていた。


順序良く並べられていた石造物。


石灯籠。「久之木村」、左は「惣氏神」右は「?皇大神宮」と彫られていた。石灯籠の後に吊るしてあるのは地元の名産「泉州たまねぎ」だろう。


7月22日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大木の里から犬鳴山の道6

三叉路の分岐に道標かと思った。右半分に何か彫ってあったのかもしれないが不明。


総福寺天満宮へ。上の文字がかすれているが、「重要文化財」だろう。


旧道を歩く。


道標を見て左折。


「天満宮」の扁額が掲げられた鳥居。


7月22日(水)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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