山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月9日を表示

太子道(筋違道)16

こちらがその井戸。樹木や下草が生い茂っており、井戸の蓋を取って中を覗く気にはなれず。


太子道の斑鳩側の基点と考えられる広峰神社を後にする。


湿地に群生していたハンゲショウ。


「太子道」の案内板。このあたりは飽波(あくなみ)神社への中間地点となっている。
※斑鳩大事典 ■太子道と太子学問の道
http://www.d4.dion.ne.jp/~s.kage/n-155.html



丁度、消防訓練が行われている時に消防署前を通りかかった。全国大会出場の垂れ幕が見える。後の建物は安堵町役場。


7月9日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)15

広峰神社の説明板。説明書きに記されている慶応三年は西暦では1751年ではなく1867年。また西暦1751年が正しいとすれば宝暦元年となる。いずれにしても間違っている。


牛頭天王(ごずてんのう)社と彫られた石燈籠。火が灯っていた。
※斑鳩大事典によると、「現在の広峰神社は、石段の上の鳥居の中に小さな社があるだけの村社で、成福寺からは真東500㍍ほどにあり、創建は不詳ですが、1598(慶長3)年「安堵社神験記」に、社地は聖徳太子の居られた飽波の宮地に当たるといい、牛頭天王とよばれ、境内に神宮寺の万福寺というお堂がありました。
『安堵町史』には、もと飽波神社の置かれたところで、聖徳太子が父用明天皇の病気平癒と伽藍守護を祈願して勧請した場所とあり、1006(寛弘3)年恵心僧都によって極楽寺(東安堵)が再興された際に現飽波神社に正遷宮された、といいます。鳥居の前の井戸は「太子鏡井戸」といわれ、周辺が旱(ひでり)になっても枯れることはなかった、と伝えられています。このことからも広峰神社は太子道の斑鳩側の基点と考えられます。」



拝殿。


拝殿越しに本殿を拝む。


「業平姿見の井戸」の説明板。前述の斑鳩大事典に記載されている「太子鏡井戸」のことだと思われるが、紛らわしい。


7月9日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)14

善照寺を後にし広峰神社へと向かう。南へ200m。


途中、地蔵堂があった。中を覗いたが石仏は確認出来ず。


広峰神社に到着。樹木が生い茂っている。


神社前の民家の庭先にて。クルミらしい。


常夜燈が台座だけとなっている。邑内安全。


7月9日(木)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)13

蓮如上人御像。
※Wikipediaによると、「蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖。「蓮如上人」と尊称される。」



多人数で突然押しかけた私達に対し、「何もないところですが、ごゆっくりして下さい」と優しく声を掛けて下さった。お努めがあるようで、この後、出かけられた。


ガクアジサイだが、装飾花が大きくて立派。別の花に見える。


ムラサキシキブの蕾。


私達が境内で騒がしかったのかもしれない。お寺の方が出てこられ、「どのような関係の方たちですか」と尋ねられたので、「石仏の会です」と傍にいた人が答えた。


7月9日(木)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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