鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂15 |
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| 白毫寺の東に位置する高円山は過去に何回か登ったことがある。 その時は、白毫寺の東側にある寺山霊苑までクルマで乗り入れたことも。 画像の道は初めて歩くが、この先、寺山霊苑へ続く道路に合流すると思った。
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| 三叉路に出ると、イメージしていた道路に出た。 画像は北方向を撮影。
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| 暫く歩くと分岐となり、左折。(西) 道標には「→近鉄奈良駅 2.8km」。
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| サクラがほぼ満開。 早咲きだろう。
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| 進行方向右手に小さな社がある。 白乳神社(春日大社末社)と記されていた。
つづく。
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4月26日(金)06:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂14 |
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| 小さな池の縁を歩いて北へ。
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| 道標を見て「←柳生 円成寺」へ向かう。(東)
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| 前方(北)に見える小山は禁足地の御蓋山(みかさやま)。
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| 更に北へ歩く。 左の建物は東山緑地トイレ。
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| 東山緑地、北側の出入口に到着。 この先、道は西方向と東方向に通じていた。 左(西方向)へ歩くと、来た道に戻ることになる。 この辺りに詳しいTuと二人で、東方向の道を様子見することになった。
つづく。
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4月26日(金)06:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂13 |
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| 境内へ続く石段。 このお寺はハギ(萩)の寺としても知られている。 秋になると、この参道の両脇にハギの花が見られる。
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| 石段から振り返って撮影。 高台に位置しているので、ここから奈良市内の眺めがよい。
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| この日は拝観せず。 来た道を戻らずに東海自然歩道を歩いて滝坂の道入口へと向かう。 ここから東海自然歩道へ。
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| ほどなく東山緑地の入口に到着。 旧奈良市内に住まいの人でも、あまり知られていないのでは。 公共交通機関を利用したアクセスが悪く、ご近所の人が利用する公園。 【参考】 東山緑地(奈良市)
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| 東海自然歩道の道標。 「円成寺 柳生 →」方面へ。
つづく。
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4月26日(金)06:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂12 |
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| 白毫寺参道沿いの左脇にこのような掲示板があった。
道の片すみの 忘れかけられた 不思議な薬師如来
右手には、人々に安らぎと勇気の施無畏仰(せむいいん)を、左手には、病苦の苦しみを除く誓願を示す薬壷を、お持ちの姿です。 願う人々、身のやまい、病気、心のやまい等、良く叶えて下さいます。
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| 薬師如来立像。 直感で、素晴らしいと思った、ところが、ブロックの塀がなんとも現代的で石仏にそぐわない。
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| 庚申さんだろう。
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| 薬師如来立像と庚申さんは、画像左に見える「有料 駐車場」の敷地内に祀られていた。
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| 白毫寺、拝観受付。 但し、この受付は閉まっていた。 白毫寺と云えば、“五色椿”が知られている。 この日は、未だ開花していない様子なので、この拝観受付が閉まっていたのだろう。 尚、境内に入る前に、別の拝観受付がある。 【参考】 白毫寺の五色椿
つづく。
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4月26日(金)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂11 |
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| 暫く歩くと右手に「宅(やけ)春日神社」が現れる。 石鳥居の奥に割拝殿、更に拝殿、本殿と続く。
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| 宅春日神社の由来記 一、御祭神 本社 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 比 賣 神(ひめがみ) 末社 大山祇命(山の神) 二、由緒 遠く奈良朝の昔、河内の枚岡から春日の神天児屋根命が御蓋山にお遷りになるとき、高円山下のこの地でしばらくお休みになったとの信仰伝承を、宅神社春日社では伝え継いでおります。 第一回ご造営明和四年(1767年)以来約二四〇年間由緒深いこの地に里人は神社を建て、天児屋根命・比賣神を祀り産土神と仰ぎました。 山青く水清く平和な田園に囲まれて里人は久しくこの氏神さまを仰ぎ春日社禰宜が代々祭典に奉仕し氏子達が二十年ごとに造営を重ねて昔の伝統を守り継いでまいりました。 近くは、昭和六十一年の御造営には、先人達の篤い信仰により春日若宮本殿の半分の大きさに本殿を新造し、末社山の神を独立して祀り、神饌所・玉垣などを整備するなど、氏子の総力を挙げて旧観を一新し祭礼もようやく盛儀となってまいりました。 ところが、永年の歳月と風雪のため社務所の朽損は特に激しく床や屋根・建具まで修理不可能箇所が多く、また境内の整備全般が急がれる状況になっております。 朝夕この古里の我々をお守り下さる氏神様に対し、嘉例に依って伝統をまもりつつ改新を重ね、荘厳さを更に添えてゆくことは、私共氏子一同の後世子々孫々に伝えてゆくべき責務と存じております。 そして今回、第十三回の御造営を完成し現在の姿に成ったのであります。
平成十八年十月吉日 宅春日神社御造営委員 【一部割愛】
【参考】 宅春日神社
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| 宅春日神社境内で後続の人達を待ち、再び歩きはじめる。 このあたりは高円山の山麓で傾斜地となっており、建屋の下の土台に石垣が使われている。
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| 「真言律宗 白毫寺 ←」の道標を見て左折。(東)
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| このまま直進すると白毫寺に辿り着く。
つづく。
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4月26日(金)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂10 |
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| 鏡神社、拝殿。
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| 奈良市指定文化財 鏡神社本殿 鏡神社は大同元年(806)に新薬師寺の鎮守として勧請(かんじょう)されたと伝える。 記録には春日大社第四十七次式年造替の延享三年に、本社本殿の第三殿を鏡神社へ譲渡したとあり、さらに昭和三十四年の本殿修理中には、屋根裏から「三ノ御殿」の墨書銘(ぼくしょめい)が二か所で発見されている。 鏡神社本殿は、春日大社本社のの旧本殿であり、当初の部材がよく残るとともに、移築の経緯も記録に残っていて貴重である。 奈良市教育委員会 【一部割愛】
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| 境内で見られた「イチイガシ」。 イチイガシ
鏡神社の境内で昼食となる。(12:02~12:52)
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| 昼食後、当初のコース設定にはなかったが、白毫寺まで足を延ばすことになった。 画像は「奈良盆地周遊型ウォークルート 山の辺の道(奈良~天理)」。 現在地は赤四角。白毫寺は赤矢印。 方向は東南に位置する。 距離は約1km。(約15分)
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| ルートは「山辺の道」を歩くので道標は完備されている。
つづく。
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4月25日(木)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂9 |
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| 角地の右に小さな神社がある。 鏡神社の摂社、比賣神社。
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| 御祭神は十市皇女。(とおちのひめみこ) 説明書きによると、古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981)より十市皇女を祭神として祀られるようになっていた。
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| 「南都 鏡神社」の社号標。
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| 奈良市指定文化財 鏡神社 本殿 この神社の本殿は、春日移しの社であります。 春日大社古記録によると、延享三年(1746年)春日大社が第四十六次式年遷宮による御造営のとき旧本殿のうち第三殿を譲渡した、とある。 昭和三十四年の修理のときに屋根裏から『三ノ御殿』と墨書銘が二ヶ所から発見された。 移築当時に近い形状を現在でも残していて価値が高い。 昭和57年3月吉日 奈良市教育委員会
つづく。
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4月25日(木)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂8 |
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| 分岐に「→山辺の道 新薬師寺 白毫寺」の道標が立つ。(赤四角)
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| ここにも新薬師寺と刻まれた石道標。 黄色の小さい花はオウバイ。 オウバイ
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| 南方向へ歩くと左手(東)に、寺号標の側面に「奈良 福井の大師」と刻まれた「不空院」が建つ。
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| 真言律宗のお寺で、本尊は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)、山号は「春日山」。 福井の大師の“福井”は“不空=福”に発する(旧土地名)の別称らしい。
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| 突き当たると三叉路となり、角地にアイスクリームの店「GELATERIA FIORE(ジェラテリア フィオレ)」がある。 店の前から東方向を眺めると高円山の大文字の火床が見えた。(赤丸印)
つづく。
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4月25日(木)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂7 |
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| 「頭塔」は現在、修理工事中のため、見学不可となっている。 史跡 頭塔 見学の一時中止について
塀の近くまで寄ってみる。 何と、鹿が紛れ込んでいた。(赤四角)
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| 「↑新薬師寺」方面へ向かう。
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| 町家の民家。 格子戸、虫籠窓、うだつなどが見られた。
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| ここにも紅梅。 先程と同一の品種と思われる。
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| これは別の場所で撮影した。 早咲きのサクラだろう。 少なくとも紅梅ではない。
つづく。
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4月25日(木)06:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂6 |
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| 「飛鳥乃御井」。 井戸を覗くと湧き水が見られた。 右は一言稲荷社。
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| 境内の東側に扉があって、外に出られるが、鍵が掛かっていて立入禁止になっていた。 その昔、この向こう側で奈良奉行が花見をしたと、以前、社務所の人(宮司?)から聞いたことがある。
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| 瑜伽神社を後にし、来た道を戻るが、途中から別の道を歩いた。 来る時は、左の石段を降りて来た。
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| 民家の庭に咲いていた紅梅。 大きくて、花を目一杯咲かせていた。
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| 「頭塔」(ずとう)に立ち寄る。 中には入られない。
つづく。
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4月25日(木)05:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂5 |
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| 天神社の鳥居を潜ると梅の花が満開。 青空に映えて素晴らしい。
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| 天神社略縁起 当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった八世紀、平城(なら)の飛鳥(あすか)とよばれた聖地でありました。 ここにまず祀られたのが国つ神の中心の一柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。 平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。 社伝によると平安時代の白河天皇の時であるということです。 その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に到りました。 天神社社務所
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| 天神社から西へ下ると、右手に急な石段のある瑜伽(ゆうが)神社に至る。
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| 瑜伽神社のこと
【御祭神】 宇迦御魂大神様(うがのみたまのおおかみ) 【御事歴】 別名を豊受大神と申しあげ、伊勢の神宮・外宮に鎮り坐す大神様と御同神であらせられます。 即ち一粒の種から万倍の豊穣をもたらすように、無から有を生み、小を大に導いてくださる広大無辺の御神徳をおもちの大神様であらせられます。 それ故縁結び、子孫繁栄、商売繁昌等福徳を招来して、人間生活の幸福をお守護くださる神と崇め奉っています。 【沿革】 上古、飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として斎き祀っていた社を平城遷都と共にこの地に遷し奉って現在に至っております。 そのことからこの山を「平城の飛鳥山」とも云い、現在は全域が歴史的風土特別保存地区(春日山特別保存地区)に指定されています。 もとは元興寺禅定院の鬼門鎮守の社で、神社名は飛鳥古京の本宮に対して「今宮」と称していました。 平安期になって藤原氏の権勢盛んになるにつれ、その氏寺である興福寺の大乗院がこの山麓に移されるに及び、さらにその鎮守社として幣物を奉って篤く崇敬され、社の名もその宗論の「瑜伽」となったのであります。
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| 「瑜伽の玉乃井」と刻まれた手水鉢。
つづく。
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4月24日(水)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂4 |
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| 柄杓で水をすくって、網のところ(赤四角)に水を落すと、暫くして音色が楽しめた。
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| ふと、横を見たら、ちゃんと説明書きがあった―笑。
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| 鷺池を後にして、南に向かう。 丘陵地となっており、住所は“高畑山ノ上町”。 画像は付近の案内図。 現在地を赤四角でマーキングしたが、地図が古く文字は読みにくい。
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| Tリーダーによると、冒頭で話した作家、川端彰彦氏が、昔このアパートに住んでいた。 現在は廃屋となっている。
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| 「営業時間、お好み焼き、甘党」などと書いてあるので、ここは喫茶食堂の入口だったようだ。
つづく。
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4月24日(水)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂3 |
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| 「ケヤキ」と記されていた。
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| こちらの巨樹は「エノキ」。
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| 荒池園地の樹木。
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| 鷺池の浮見堂。 画像の左端に新婚さんの姿。(赤四角)
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| 洞水門(どうすいもん) 洞水門は、地中に伏瓶を埋めるなど空洞を作り、そこにしたたり落ちる水が反響して琴の音色に聞こえるようにした仕組みです。 別名、水琴窟(すいきんくつ)とも呼ばれています。 水が奏でる音色をお楽しみください。 水琴窟
つづく。
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4月24日(水)06:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂2 |
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| 菊水楼旧本館の入口。 菊水楼|創業130年、賓客を迎え続けた奈良の老舗料亭
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| 浅茅ヶ原園地に立つ石碑。 「阿さぢが原」と刻まれているようだ。
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| 料理旅館 江戸三。
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| 荒池園地にて鹿さんとご対面。
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| 私は鹿に食べ物を持っていないポーズをした。
つづく。
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4月24日(水)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂1 |
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| 2024年3月10日(日)は、ササユリの会に参加した。 題して「作家川端彰彦の風景を歩く~奈良公園から高畑東大寺へ~」。
【コース】 近鉄奈良駅_鷺池浮御堂_瑜伽(ゆうが)神社_頭塔(ずとう)_新薬師寺前_南都鏡神社・昼食_白毫寺前_滝坂の道入口_上の禰宜道(ねぎみち)_二月堂_戒壇堂前_漢國(かんごう)神社・林(りん)神社_霊巌院(れいがんいん)_近鉄奈良駅 漢國神社・林神社及び霊巌院はTu氏より誘いがありYo氏と共に訪問した。
標題の作家川端彰彦氏について、ネット検索したがヒットしなかった。 尚、過去にTリーダーは彼と共著で単行本を発刊されている。
画像は当日歩いたGPSログを表示。 近鉄奈良駅から昼食場所の南都鏡神社まで南側のルートを歩き、昼食後、北側のルートを歩いた。
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| 近鉄奈良駅から東向商店街を通り、途中、左折。(東) 画像は「西金堂跡」(興福寺)と刻まれている。
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| 立派な常夜燈と、右奥の建物は南円堂。(なんえんどう)
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| 植櫻楓之碑。
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| 記念碑の右横に立つ説明板。
植桜楓之碑(しょくおうふうのひ) 幕末の弘化三年(1846)から嘉永四年(1851)までの五年間奈良奉行を勤めた川路聖謨(かわじとしあきら)はその識見と善政によって住民から深く敬愛された。 この碑はその一端 彼の呼びかけで桜と楓の苗木数千株を東大・興福両寺を中心に南は白毫寺西は佐保川堤まで植樹した時の記念碑である。 多くの苗木を寄附した奈良の住民たちの自然景観への愛着と配慮、また後世の人に補植を呼びかけたその先見の鋭さは奈良公園愛護の教訓として敬服のほかない。 なお彼は大坂町奉行 外国奉行等幕閣に重きをなし慶応四年三月十五日(1868 明治元年)江戸落城の報に自尽して幕政に殉じた。
つづく。
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4月24日(水)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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