| 天王寺七坂+三坂7 |
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| 天王寺七坂(+三坂)の一つ、3.源聖寺坂 この坂は、登り口に源聖寺があるので、その名をとっている。 付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。 齢延寺(れいえんじ)には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡(ふじさわ とうがい)、同南岳(なんがく)父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくる<お千代、半兵衛の比翼塚>が建てられている。
尚、藤沢南岳は「通天閣」、森下「仁丹」の命名者。
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| 源聖寺の掲示板に貼りだされていた。 「日新又日新」。 中国の古い経書「大学」に由来する言葉らしい。
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| 石段を登る。 坂の登り口から約10メートルほどの区間にある石畳は、昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が再利用されているそうな。
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| 坂の途中から、行政区は同じ天王寺区だが、下寺町(したでらまち)から生玉寺町に変わる。 京風に“しもでら”とは読まない。
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| 石段の最上段手前、左右に石柱が見える。(赤矢印は右側の石柱)
つづく。
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5月1日(金)06:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 天王寺七坂+三坂6 |
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| 巨大な地蔵菩薩立像。 逆光となった。
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| 夕霧大夫のお墓。 墓石には「岳芳春信女」と刻まれている。(がくほうしゅんしんにょ) 戒名だろう。
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| 「瓦塀」(かわらべい)と呼ばれる、古くなった瓦を土と交互に積み上げて作られた伝統的な塀。 まぁ、古い瓦の再利用というところ。
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| 淨國寺を後にし、来た道を戻る。(南) すると、これ又浄土宗、「源聖寺」の表札が掲げられていた。
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| 山門前を通り過ぎると、左手に坂がある。 石柱に「源聖寺坂」と刻まれていた。
つづく。
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5月1日(金)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 天王寺七坂+三坂5 |
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| 天王寺七坂(+三坂)の一つ、2.生玉公園坂を西に通り抜け、松屋町筋に出て右折。(北)
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| 「無衰山(むすいざん) 淨國寺」に立ち寄る。
右の石碑には「圓光大師御分骨霊場」と刻まれている。 “圓光大師”(えんこうだいし)とは、浄土宗の開祖である法然上人を指している。 (没後486年の1697年に東山天皇より贈られた諡号)
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| 淨國寺は「夕霧大夫の眠るお花の寺」として知られている。 【AI による概要】 夕霧大夫(ゆうぎりたゆう)は、江戸時代前期に京都・島原や大坂・新町で活躍した、伝説的な名妓(太夫)です。 絶世の美女と評され、歌舞伎や浄瑠璃の題材ともなりました。
夕霧大夫のプロフィール ・人物: 本名は「てる」。京都の嵯峨で生まれ、島原の置屋「扇屋」に身売り奉公しました。 ・名妓: 京都の「吉野大夫」、江戸の「高尾大夫」と並び、寛永三名妓の一人と称された最高位の遊女です。 ・大坂への移籍: 1672年、扇屋の移転に伴い大坂・新町に移りました。 その際は、京都から淀川を下る彼女を人々が淀川べりで待つほどの大評判でした。 ・芸事: 美貌だけでなく、歌、俳諧、茶の湯、華道、琴、三味線、踊り、書道など諸芸に通じていました。
没後と影響 ・早すぎる死: 1678年に27歳の若さで亡くなりましたが、その死は大坂中で惜しまれました。 ・作品の題材: 近松門左衛門の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』や、その改作である歌舞伎の『廓文章(吉田屋)』に登場する人物のモデルとなりました。 ・夕霧忌: 彼女が客と遊んだ料亭「吉田屋」では、没後より追善供養「夕霧忌」が行われました。 現在も大阪市天王寺区の浄国寺などに墓が存在します。
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| 山門を潜ると、 右、「圓光大師 御廟所→」。 左、「←夕霧大夫」の案内板。
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| 「圓光大師 御分骨 御廟所」。
つづく。
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5月1日(金)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 天王寺七坂+三坂4 |
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| 奉納記念の石碑群。
中央の石碑には「奉納 勧業債券 額面金貳百五拾圓 徳井町一丁目」と刻まれており、当時の債券が奉納された。
その左隣には「奉納 御大典記念 金屏風 壹雙 生國魂神社 獅子講」と刻まれており、祭礼などで使われる獅子舞の団体(獅子講)が金屏風一対を奉納した。
左側の石碑には「大正十三年三月下旬 帰朝」とあり、大正13年に海外などから帰国した記念、あるいはその時期に建立されたものだろう。
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| これもご神木とみられる。 クスノキに似ている。
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| 令和八年の干支は「丙午(ひのえうま)」。 白馬を描いた絵馬が飾られていた。
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| 生國魂神社を後にし生玉公園へ向かう。
生玉公園地下壕
先の戦争において我が国は、アジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と苦痛をもたらしたことを忘れてはなりません。 また、大阪においても8次にわたる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。 ここ、生玉公園は、1940年(昭和15年)5月に着工、42年(昭和17年)5月に開園し、地下壕は、 当時軍部が戦局を拡大させる中で、空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市によって建設されました。 地下壕については、その建設経過や使用状況などの詳細は明らかになっていませんが、戦争末期には陸軍が使用していました。 戦後、米国戦略爆撃調査団により刊行された報告書では、当時一般では入手できなかった資材を使用して建設された「特別防空壕」の例として報告されています。 また、この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行などにより集められた朝鮮人が苛酷な労働に従事させられた。」との体験者の証言があります。 戦後50周年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘板を設置します。 1996年(平成8年 3月 大阪府/大阪市
地下壕の構造 内部の構造はアーチ状で無筋コンクリート造り・2階建て(ただし、2階部分は現存せずで、本体は幅約9m、高さ約6.5m、長さ約24m、1階部分の床面積203㎡となっています。
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| この斜面の下が地下壕となっていたようだ。
つづく。
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4月30日(木)06:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 天王寺七坂+三坂3 |
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| 「左 御堂??道」。
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| 「天保十五年??」。 植え込みがあって読めなかった。 低木が伸び過ぎ。
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| 境内に戻る。
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| 小説家・織田作之助の銅像。
【AI による概要】 ・人物: 『夫婦善哉』などの作品で知られる、大阪を代表する小説家・織田作之助(愛称:オダサク)です。 ・特徴: 織田作之助が愛した大阪の街並みをイメージした雰囲気の中に像が建てられています。 ・歴史: 1983年に創設された「織田作之助賞」など、現在でもその功績は広く讃えられています。
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| 御神木。 スギだろうか。
つづく。
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4月30日(木)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 天王寺七坂+三坂1 |
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| <概要> 2026年2月1日(日)は、こばこの部に参加した。 題して、「天王寺七坂を訪ねて~ひょっとして十坂も~」
<コース> 近鉄大阪線大阪上本町駅1階改札(9時30分集合)_生国魂(いくたま)神社_1.真言坂_2.生玉公園坂_3.源聖寺坂_4.学園坂_5.口縄坂_6.愛染坂_7.清水坂_安居神社_8.天神坂_逢阪公園・昼食_9.逢坂_一心寺_10.一心寺坂_JR天王寺駅
画像は当日歩いたGPSログを表示。
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| 近鉄上本町駅を9時44分に出発。 千日前通りを西方向へ歩く。
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| 「上本町ハイハイタウン(HiHiTOWN)」の建物を左に見て歩く。 上本町ハイハイタウンの地下飲食店街は反省会で時々利用している。
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| 谷町筋に出て左折。 「如意山 藤次寺」を右に見て南へ歩く。 大阪メトロのロゴマーク(赤矢印)が見えるが、この下が大阪メトロ谷町線谷町九丁目駅。
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| やがて「難波大社 生国魂(いくたま=いくくにたま)神社」に到着。
【AI による概要】 「難波大社」とは、大阪市天王寺区にある生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)の別称です。 約2700年の歴史を持つ大阪最古の神社で、国土の神を祀っています。 地元では「いくたまさん」とも親しまれ、縁結びや縁切りなどのご利益で知られます。
生國魂神社(難波大社)の概要 ・歴史: 神武天皇が日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀ったのが始まりとされる、大阪で最も古い神社です。 ・役割: 古くから難波(なにわ)の鎮守、総社的な役割を果たしてきました。 ・建築: 「生國魂造(いくたまづくり)」と呼ばれる独特の建築様式を持つ本殿が特徴です。
つづく。
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4月29日(水)05:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 大塚古墳_藤ノ木古墳_斑鳩文化財センター24/24 |
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| 大和川に架かる昭和橋を渡る。
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| この先、王寺駅方面は右折。
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| 反省会は西作酒店。 奈良県北葛城郡王寺町久度3丁目17−17 (北新道商店会通り) 定休日:土曜日 14:30~21:00
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| 店内の様子。 所謂、角打ちのお店。 【AI による概要】 「角打ち(かくうち)」は、酒屋の店内で購入したお酒を、そのままその場で立ち飲みするスタイルのこと。 北九州が発祥の地とされ、酒屋の販売価格で安価に飲めるのが特徴。 缶詰や乾き物などの簡単な肴と共に、短時間で楽しむ「キャッシュオン(都度払い)」形式が基本の、昭和レトロな立ち飲み文化である。
おしまい。
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3月17日(火)05:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| (個別)ササユリ日程表(2026年_4月~10月) |
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| (個別)ササユリ日程表(2026年_4月~10月)をリンクします。
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3月16日(月)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| (個別)こばこの部日程表(2026.5~10) |
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| (個別)こばこの部日程表(2026年5月~10月)をリンクします。
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3月16日(月)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 古道紀行日程表(2026.4~6) |
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| 古道紀行日程表 時系列版(おおばこ+こばこ+ササユリ) 2026年4月~6月をリンクします。
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3月16日(月)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 大塚古墳_藤ノ木古墳_斑鳩文化財センター23 |
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| R25の景色が、記憶しているイメージと違うと思っていたが、新しく建設中のバイパスだった。(別名:いかるがパークウェイ) 旧R25は龍田神社の一本南側、吉田寺の手前に通っていた。
この先、龍田川に架かる橋を渡って龍田川に沿って南へ歩く。(下流方向)
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| 龍田川沿いにナンキンハゼ(南京櫨)の実が生っていた。 遠目からだと、花が咲いているように見えた。 【AI による概要】 ・白い花のように見えるものは、実は種子。 ナンキンハゼは秋に紅葉した後、黒い果実が割れて中から白いロウ状の物質に包まれた種子が現れる。 この種子は冬の間も枝先に残り続けるため、遠目には白い花が満開のように見えたり、雪が積もったように見えたりするのが特徴。 ・この種子はムクドリなどの鳥たちの好物で、冬の貴重な食料となる。
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| 三室山(標高約82m)への取付に到着。 私はてっきり登ると思ったが、リーダーはじめ山裾を歩くとのことなので、今回は登らなかった。 尚、後続の人達はこれを知らず登っていた。
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| 取付に設置されている、百人一首ゆかりの和歌碑。 【AI による概要】 ・詠まれている歌: 能因法師の「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」と、在原業平の「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」が刻まれています。 ・現代語訳: 能因法師 嵐が吹き荒れる三室山の紅葉が(川に散り乱れて)、竜田川の一面を美しい錦のように彩っていることだ。 在原業平 不思議なことが多かった神話の時代でも聞いたことがない、。竜田川が(流れる紅葉で)水を鮮やかな濃い赤色の絞り染めにしてしまうとは。 ・歴史的背景: 竜田川周辺は平安時代から紅葉の名所として知られ、多くの歌に詠まれています。
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| やがて大和川に出て右岸を下流に向かって歩く。
つづく。
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3月15日(日)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 大塚古墳_藤ノ木古墳_斑鳩文化財センター22 |
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| 吉田寺の建立は藤原時代987年と記されている。 藤原時代とは、あまり聴き慣れないが、平安時代中期、摂関政治を展開した藤原氏が権力を握り、国風文化が最盛期を迎えた時代。 【参考】 吉田寺 (奈良県斑鳩町)
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| このお寺は拝観料(参拝料)が必要となっていた。(赤四角印) 何時から必要となったかは不明。 前回来た時は境内自由だった。
リーダーは拝観をスルーとの意向だったので、ここからUターンすることに。
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| 画像は本堂に向かって左側、境内西端に南向きに鎮座していた鎮守社。 鎮守社は瑞垣で囲われていた。
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| 吉田寺を後にする。 暫く南へ歩いて、R25の手前で右折。(西)
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| 旧道を少しだけ歩いて、結局、R25に出てこれを横断。 画像の右側がR25。
つづく。
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3月15日(日)05:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 大塚古墳_藤ノ木古墳_斑鳩文化財センター21 |
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| これは先程撮影した画像にも写っているが、注連縄から吊り下げられている藁の束のような装飾品で、一般的に「藁房(わらふさ)」と呼ばれている。 紙垂(しで)と呼ばれる白い紙を特定の形に折ったものは一般的だが、このような立派な藁房は、出雲大社や諏訪大社など限られた神社で見られる。
また、画像を見ても分かるが、もち藁は色艶が美しく光沢がある。
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| 鶏の手水舎。 【AI による概要】 龍田神社の鶏伝説 ・神様に救われた鶏 昔、鳴き声が悪いために役に立たないと生駒川に捨てられた鶏がいました。その鶏を下流の竜田川で可哀そうに思った龍田の神様(龍田大明神)が拾い上げ、大切に育てたという伝説が残っています。
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| 龍田神社を後にして当麻街道を南下する。 画像左、当麻街道と奈良街道の分岐点に建つ大きな常夜燈。
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| 南方向、「清水山 顕光院 吉田寺」を目指して歩く。
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| 道標を兼ねた寺標が三基。 左、 「栗木一刀三礼恵心僧都真作 是ヨリ一?/本尊丈六阿彌陀如来/堂塔共御建立所 清水山吉田寺」 この道標を兼ねた寺号標には“是ヨリ一?”と刻まれている。 このことから、元々ここにあったのではなく、他の場所にあったものをここへ移設したようだ。 中、 「別特念 佛道場 大和二十五霊場」 右、(水色四角印)は左とほぼ同じ内容。 こちらの方が古いかも。
【AI による概要】 丈六(じょうろく)阿弥陀如来は、仏の身長が一丈六尺(約4.8m)あるという経典の記述に基づき、立像は約4.8m、坐像は約2.4〜2.7m(半丈六)で造られた阿弥陀如来像です。 平安時代に理想化され、貴族の極楽往生信仰と結びつき、平等院鳳凰堂や法界寺など京都周辺を中心に、奥州藤原氏の拠点などにも建立されました。
【AI による概要】 奈良県斑鳩町の吉田寺(きちでんじ)は、別時念佛道場大和二十五霊場の第25番札所であり、「ぽっくり寺」として知られる浄土宗の寺院です。 天智天皇の勅願により創建され、奈良県下最大級の国指定重要文化財である阿弥陀如来坐像を本尊として祀っています。 別時念佛道場大和二十五霊場
つづく。
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3月15日(日)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 大塚古墳_藤ノ木古墳_斑鳩文化財センター20 |
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| 斑鳩町役場前から、奈良街道に出合いこれを西方向へ歩く。
奈良街道と当麻街道(近世の道) 奈良街道は、大坂と奈良を結ぶ街道として栄えました。 大坂からは奈良街道・奈良からは大坂街道と呼ばれ、この街道筋の龍田は、浪速・奈良・伊勢・当麻への分岐点として、 龍田神社を中心に商家・旅籠が軒を並べ、西和地方の商業の中心地でした。 街道筋の龍田は、郡山に次ぐ宿場町として栄えました。 そのにぎわいは、「龍田宮前はかいでもきれいな宿屋の女がスソではく」とまで歌われ、当時の繁栄ぶりがうかがえます。 また、当麻街道は信仰の道として、法隆寺・当麻寺とを結んでいました。 当麻からは法隆寺参りの道と呼ばれ、法隆寺からは当麻参りの道と呼ばれていました。 この街道の分岐点の龍田神社から南の小吉田・稲葉車瀬・神南(じんなん)にかけては、往時のなごりを残す道標が多く残されています。
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| 地図をズーム撮影。 この地図には奈良街道と当麻街道が同じ色(紫色)で表示されている。 当麻街道について、白色矢印で表示した。 龍田神社が奈良街道との分岐点となる。 尚、一部で奈良街道と重複する部分がある。
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| 龍田神社に到着。参拝する。
龍田神社の概要 ・創建: 聖徳太子が法隆寺を建立する際、その鎮守社として創建したと伝えられています。 ・ご祭神: 天御柱命(あめのみはしらのみこと)、國御柱命(くにのみはしらのみこと)などが祀られており、風の神様として知られています。 ・文化財: 能楽「金剛流」の源流である坂戸座の発祥の地としても知られています。
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| 注連縄があまりにも綺麗に出来ているので化繊(ポリエステル・ポリエチレン等)かと思ったが、そうではなく伝統的な稲藁(本物)を使っていた。 撮影した画像では分かりにくいが、注連縄を釣り糸のテグスでグルグル巻きにしており、これによって綺麗に出来上がっているようだ。
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| 作業現場を見学させてもらった。 話を聞くと、稲を栽培する農家が少なくなり、入手に困っているとのこと。 尚、注連縄に使う稲藁は、もち米が使われる。 もち米の栽培は、お米(うるち米)を栽培している農家でも、一般的ではないので、わざわざ注連縄用の為に少しだけ栽培している。 【AI による概要】 しめ縄(注連縄)作りには、通常のもち米の藁(もちわら)が適しています。 もち米の茎は背が高く、柔らかくて長いため、強度としなやかさが必要な縄を編むのに最適だからです。 神聖な素材として、古くから神社のしめ縄や正月飾りに活用されてきました。
つづく。
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3月15日(日)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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| 土曜会予定表(2026.3.~11) |
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| 土曜会予定表(2026年3月~11月)をリンクします。
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3月14日(土)17:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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