山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂5

天神社の鳥居を潜ると梅の花が満開。
青空に映えて素晴らしい。



天神社略縁起
当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった八世紀、平城(なら)の飛鳥(あすか)とよばれた聖地でありました。
ここにまず祀られたのが国つ神の中心の一柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。
社伝によると平安時代の白河天皇の時であるということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に到りました。
   天神社社務所



天神社から西へ下ると、右手に急な石段のある瑜伽(ゆうが)神社に至る。


瑜伽神社のこと

【御祭神】 宇迦御魂大神様(うがのみたまのおおかみ)
【御事歴】 別名を豊受大神と申しあげ、伊勢の神宮・外宮に鎮り坐す大神様と御同神であらせられます。
      即ち一粒の種から万倍の豊穣をもたらすように、無から有を生み、小を大に導いてくださる広大無辺の御神徳をおもちの大神様であらせられます。
      それ故縁結び、子孫繁栄、商売繁昌等福徳を招来して、人間生活の幸福をお守護くださる神と崇め奉っています。
【沿革】  上古、飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として斎き祀っていた社を平城遷都と共にこの地に遷し奉って現在に至っております。
      そのことからこの山を「平城の飛鳥山」とも云い、現在は全域が歴史的風土特別保存地区(春日山特別保存地区)に指定されています。
      もとは元興寺禅定院の鬼門鎮守の社で、神社名は飛鳥古京の本宮に対して「今宮」と称していました。
      平安期になって藤原氏の権勢盛んになるにつれ、その氏寺である興福寺の大乗院がこの山麓に移されるに及び、さらにその鎮守社として幣物を奉って篤く崇敬され、社の名もその宗論の「瑜伽」となったのであります。



「瑜伽の玉乃井」と刻まれた手水鉢。

つづく。



4月24日(水)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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