笠置駅_栗栖天満宮_下狭川磨崖仏_九頭神社9 |
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| 中央、阿弥陀さんの左右に文字らしきが見える。 ネット検索すると「天文八年 己亥 二月十五日 与三郎」の銘があるらしい。 (奈良県史から引用されている)
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| これらの石仏は磨崖仏とは直接関係ないようだ。 ここへ移動されたのだろう。 五輪塔板碑もある。(赤四角)
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| そして、六地蔵磨崖仏も見られた。 六体の大きさが同一ではなくバラバラなのが興味深い。 製作者が同一かどうかは分からない。 今となれば、もう少し接近して撮影した方が良かったと思う。
これらの磨崖仏の裏側に旧道が通じていたので、休憩時間を利用して少し下見した。 道がわかり難くテープを頼りに辿るようだ。 (ここ下狭川磨崖仏~下狭川下垣内城跡~六地蔵~阿蘇陣城跡~弁財天を経て笠置へ通じる尾根道)
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| 少し分かりにくいが、この交差点付近には橋が二基ある。
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| 手前は「前川」に架かる「寺坂槁」と刻まれていた。 尚、“前川”は旧名称で、現在は“安郷川”という名前になっている。
つづく。
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5月3日(金)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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笠置駅_栗栖天満宮_下狭川磨崖仏_九頭神社8 |
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| 県道33号線(奈良笠置線)の道路標識。 現在地は奈良市下狭川町となっている。 左は白砂川。
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| 白砂川の流れ。 水量はそこそこある。
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| 下狭川の集落と交差点が現れる。 振り向くと、交差点の右手前に磨崖仏があった。
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| 三体の磨崖仏の他にも石仏が見られた。
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| 三体の内、左右は地蔵菩薩と見られる。 中央は阿弥陀さんだろうか。
つづく。
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5月3日(金)05:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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笠置駅_栗栖天満宮_下狭川磨崖仏_九頭神社7 |
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| 引き続き笠置街道(府道33号線)を歩く。 クルマの通行は比較的少ないものの、スピードを出している。
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| カワヅザクラ。 この後も、随所でカワヅザクラを見た。 この辺りから行政区が変わる。 白砂川の左岸側は奈良市広岡町。 右岸は京都府笠置町となっている。
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| 「←あと5分 2.5km 手力男」の看板が立つ。 5分というのはクルマでの所要時間。 “手力男”は、最初、何のことかわからなかった。 手力雄神社という名前の神社が桜井市にあって、神様の名前と思っていた。 この看板にある“手力男”は、巨木アート&物品販売など、地域コミュニケーションの場の名称だった。 アメノタヂカラオ
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| 道路脇の斜面に板碑のような石造物が埋まりかけていた。 「南無阿弥陀仏?」と刻まれているようだ。
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| 進行方向の右手が崖になっており、崖崩れ防止の金網が張られている。 上を見上げると、今にも落ちてきそうな岩があった。
つづく。
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5月3日(金)05:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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笠置駅_栗栖天満宮_下狭川磨崖仏_九頭神社6 |
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| こちらの住居は比較的新しい。 “新宅”かもしれない。
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| 表参道を振り返って撮影。 先程、参道脇に駐車していたクルマは、この新しい舗装道路を通るのだろう。
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| 小高い丘から眼下に広がる集落を眺める。 この後、赤矢印の道を歩き、白砂川に沿って南西へ向かう。
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| 丘から降りて笠置街道を奈良方面(南西)に向かって歩く。
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| スズキのジムニーだろう。 ここまで走り込むと貴重価値。
つづく
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5月3日(金)05:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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笠置駅_栗栖天満宮_下狭川磨崖仏_九頭神社5 |
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| 栗栖天満宮の表参道を下る。 クルマはここまで入って来られるようだ。 前方で焚き火をしている男性の姿が見えた。
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| 男性は開口一番、「今まであの屋根のところに猿がいた」と。(赤矢印) 私達が喋りながら大勢で歩いて来るので隠れたらしい。
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| 参道脇に咲いていたサクラ。 カワヅザクラと思われる。 カワヅザクラ
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| 石仏を収めた小屋があったので立ち寄ってみる。 阿弥陀さんかも知れない。
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| 文字が刻まれていたが不明。 地元の人達によって大切に守られている。
つづく。
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5月3日(金)05:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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