山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2021年6月を表示

モーツァルト クラリネット協奏曲 シャロン・カム

モーツァルト クラリネット協奏曲 シャロン・カムを視聴してみよう。
クラリネット協奏曲 (モーツァルト)
Sharon Kam

Mozart - Clarinet Concerto [Sharon Kam]
Soloist: Sharon Kam - Basset Clarinet
Performers: Czech Philharmonic Orchestra / Manfred Honeck
.................
Recorded live at the Estates Theatre, Prague, 27 January 2006


【参考】
モーツァルト クラリネット協奏曲
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc624b5FCB42FC/1/



6月30日(水)16:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.18木津川源流3(木津から加茂へ)

人ひとりが通れる路地を南へ通り抜ける。


ホウキギと呼ばれる一年草。
別名、ホウキグサ、コキアとも。



府道47号天理加茂木津線に出合いこれを左折。(東)
この先に見えるJR奈良線の高架下を潜る。



すると左側に広い敷地の奥にお寺の山門が見えた。


お寺は安福寺で山門を潜り境内に入る。

つづく。



6月30日(水)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.17木津川源流3(木津から加茂へ)

「平重衡首洗池・不成柿」の説明板。

平清盛の五男、平重衡は、治承四年(一一八〇年)十二月二十八日、源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き打ちしました。
その後、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた重衡は、虜囚となって鎌倉の源頼朝のもとへ送られましたが、南都の衆徒の強い引き渡し要求に頼朝も折れ、元暦二年(一一八五年)六月二十三日、木津の地まで送られてきました。
南都の衆徒は、木津川の河原で、念仏を唱える重衡の首をはね、奈良の般若寺にさらしました。
その際、この池で首を洗い持参したと伝えられています。
その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが一向に実のらず、このことから不成柿と称せられています。
国鉄奈良線の東側にある安福寺には、重衡の引導仏といういわれをもつ阿弥陀如来を納めた哀堂と十三重の供養塔があります。
  昭和五十九年三月 木津町教育委員会



石碑には「平重衡首洗池 不成柿」と刻まれている。
この奥に池というよりは小さな沼地があった。



不成柿(ならずかき)には、僅かだが実が成っていた。
元の柿の木の何代目かにあたるのだろう。



「平重衡首洗池・不成柿」を後にして、階段下まで戻り左折。(南)


先ほど降りて来た階段。

つづく。



6月30日(水)05:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.16木津川源流3(木津から加茂へ)

木津川の堤、未舗装の道を東へ歩く。


JR奈良線の踏み切りが現れる。

次の目当て「平重衡首洗池」は、このJR奈良線の手前、南下方向に位置する。
踏み切りを横断しても、右下に降りられる道がなさそうだ。
踏み切りの手前でUターン。



京都側の区間は単線になっているJR奈良線。
画像は北方向、木津川に架かる木津川橋梁。



来た道を少し戻ると、南下に降りる階段があり、これを降りる。
降り立ったところを左折。(東)
「平重衡首洗池」を見た後、コースは再びこの階段下へ戻り直進する。(南)



前方に見える茂みの下に「平重衡首洗池」があった。

つづく。



6月30日(水)05:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

サビーカス ギターの芸術

サビーカス ギターの芸術を視聴してみよう。
サビーカス

SABICAS "EL ARTE DE LA GUITTARRA" / LP/VICTOR JAPON 1973 STEREO
1973年12月に東京のRCAビクタースタジオで、12月2日から6日までの6つのマエストロコンサートの機会に、ITOミュージックオフィスで録音されたサビーカスによる第39回オリジナルLPアルバムの統合。


【参考】
Carmen Amaya
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5ckM5AC36E21/1/



6月29日(火)16:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.15木津川源流3(木津から加茂へ)

御参拝の皆様へ 【一部割愛】

御覧いただいている泉式部の墓や本堂や太鼓堂は自治会の泉町で維持・管理にあたっています。
建物は相当年数がたっており、その補修などに苦慮しているところです。
つきましては、皆様方の浄財をいくばくかでも賜れば幸いです。



玉垣の傍にヤブランが生えていた。
それにしても、玉垣があるということは、ここは神社なのだろうか。
敷地内には末廣大神が鎮座されている。
木津川市木津殿城 末廣大神



和泉式部の墓を後にして木津川堤を歩く。
画像は野焼き。



「↑JR木津駅700m / ↓泉橋寺900m 上狛茶問屋街1km」。
これは日本遺産関連の道標。
日本遺産 『日本茶800年の歴史散歩』~京都・山城~



この道標はここが「京都八幡木津自転車道線 終点」を示している。
この後、前に見える信号機のない道路(R24)を横断。

つづく。



6月29日(火)06:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.14木津川源流3(木津から加茂へ)

和泉式部の墓。
“墓”となっているが、説明書きにもある通り“五輪塔”。
右の墓標?には「いつミ式部墓」と刻まれているようだ。



同じく説明書きに中世に建立されたであろうとされるので、鎌倉時代か室町時代なのだろう。(1185年~1573年)
風化が著しく凝灰岩が使われているようだ。
凝灰岩 石材としての利用



墓標?の裏には「正慶二年三月二十一日・・」。
正慶二年(北朝)は西暦1333年。



境内の様子。
ところで、このお墓?がある寺院の名前がわからない。
ネット検索してもヒットせず。



これはサルスベリだろう。
かなり年月が経っているようだ。

つづく。



6月29日(火)05:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.13木津川源流3(木津から加茂へ)

鐘楼らしき建物。


「古のおく 和泉式部墓」と刻まれた石柱。


不動明王像には違いないが、なんだかこれもアンバランス。


石仏は後付っぽい。

よく分からないが、“地蔵菩薩半跏石仏”とでも呼ぶのだろう。



「和泉式部の墓」説明板。

和泉式部は、越前守大江雅到の娘で、清少納言・紫式部とともに平安時代中期を代表する女流歌人である。
生没年は不明。
おおむね十世紀末に生まれ、十一世紀初めに六十歳前後で没したものと思われる。
彼女は、はじめ和泉守橘道貞の妻となる。
そのため和泉式部と呼ばれる。
子供がやはり歌人として有名な小式部内侍である。
その後道貞とも別れ、冷泉天皇の泉子、為尊親王・敦道親王と恋愛する。
このときの恋愛経験を告白的に物語ったものが「和泉式部日記」である。
両親王と死別した後、藤原保昌の妻となる。
晩年は、歌作がなく、全く判っていない。
式部二十歳前後から五十歳頃までの歌数千首を集めたものが「和泉式部集」である。
墓は高さ約一・三メートルの五輪塔で、中世に建立されたものであろう。
伝承によれば、式部は木津の生れであり、宮仕えの後再び木津に戻り余生を過ごしたといわれているが、この伝承を裏付ける資料がなくて残念である。

 いずみがは 水のみわたの 松のうへに
 山かげ涼し 秋のはつかぜ
                  [家集]
和泉式部の墓と称するものは全国各地にあり、なかでも京都市中京区誠心院のものが著名であるが、いずれも極め手を欠いている。
 昭和六十一年三月  木津川市教育委員会

つづく。



6月29日(火)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

吉松隆 サイバーバード協奏曲

吉松隆 サイバーバード協奏曲を視聴してみよう。
吉松隆
サイバーバード協奏曲

Takashi Yoshimatsu - Cyberbird Concerto
(0:02) I. 彩の鳥-Bird in Colors: Allegro-様々な色彩の断層をすり抜けて飛ぶ、いくぶん錯乱したアレグロ。
(8:48) II. 悲の鳥-Bird in Grief: Andante-悲しみの鳥の独白と、その横で夢を紡ぐように歌う鳥たちのアンダンテ。
(17:12) III. 風の鳥-Bird in the Wind: Presto-風に乗ってひたすら一直線に飛翔するプレスト。



6月28日(月)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.12木津川源流3(木津から加茂へ)

この日何度目かとなる奈良街道沿いの辻に出合う。
コースは直進だが、右方向に何か興味を惹かれるものがあるようだ。



常夜燈の“竿”の部分がやけに“ずんぐり”として見える。


“竿”の部分は“国旗掲揚台”らしきもので代用している。
なのでアンバランス。



道なりに北進。

やがてJR学研都市線の踏み切りを横断。



“学研都市線”という名前が付く割には、京都側の大半は単線。
左に見える建物の敷地内に目当てとなる和泉式部墓がある。

つづく。



6月28日(月)05:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.11木津川源流3(木津から加茂へ)

説明文にある阿弥陀如来石佛。

全身を覆う一枚の布(大衣?)のラインがリアルに彫られている。



ライトアップによりお顔の輪郭が鮮明になった。
眉毛と云うか目の彫りが深く優しい表情。
鼻が損傷しているのは残念だが、約三百年間もよく守られてきたものだと感心する。
正徳四年(=1714年)。



台座に刻まれた慰霊文。


傍らに祀られていた石仏。
中には染色が残っている石仏もあった。



正覚寺を後にして、引き続き奈良街道を北へ歩く。

つづく。



6月28日(月)05:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.10木津川源流3(木津から加茂へ)

街道の左側にお寺が建っている。


「浄土宗 正覺寺」と刻まれた寺号標。


山門を潜り境内にお邪魔する。


境内の一角に覆屋があって石仏を纏めて祀られていた。


「洪水供養石佛」の説明板。

この阿弥陀如来石佛は木津川の大洪水を物語る貴重な供養石佛で有ります。
石佛の六角台座には次のような供養碑文が刻まれています。
「正徳二年(一七一二年)辰八月十九日洪水によって此の川筋の近在辺境の人民おぼれ死するもの幾千人といふ数をしらす。
今日第三回忌にあたれるをもって彼亡者ばだいのため此あみた佛を造立し、ながくここに安置し奉る。
かねては又往来の貴賎男女総してその尊体を拝し心々の回向をなさしめ自他平等の利益とせんことを願うのみ。」

為 楽誉宗意居士 寶誉清寿禅尼
  速誉忍了禅尼 化月幼眠童子
  直覚恵幼童女 秋月圓意童子
  清心童子   妙玄信女
  乃至法界平等利益
正徳四年甲午八月十九日 京都住人 願主 大八木
「弥右衛門敬白」

おそらくは願主の近親者の菩提をとむらうために造立されたのでしょう。
       正覚寺

つづく。



6月28日(月)05:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

newport in new york '72 ロバータ・フラック他

newport in new york '72 ロバータ・フラック他を視聴してみよう。
Newport In New York '72 Vol.6 The Soul Sessions

newport in new york '72 (1972) soul sessions curtis mayfield live
1.0:00 Billy Eckstine - I Apologize
2.3:00 Billy Eckstine - Jelly Jelly
3.9:06 Curtis Mayfield - Stone Junkie
4.13:10 Curtis Mayfield - Pusherman
5.17:32 B.B. King - I Need My Baby
6.22:59 Herbie Mann - Hold On, I'm Comin'
7.27:00 Les McCann - The Price You Got To Pay To Be Free
8.30:44 Roberta Flack - Ain't No Mountain High Enough
9.35:13 Roberta Flack - Somewhere


【参考】
No.3ロバータ・フラック
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc62LB601BA6C7/1/
ロバータ・フラック Feel Like Makin' Love
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc62qk600BD5A8/1/
ロバータ・フラック ファースト・テイク
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc61R35F44DB50/1/



6月27日(日)17:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.9木津川源流3(木津から加茂へ)

引き続き奈良街道を北へ歩く。

いかにも古道らしく道幅が狭い。
昔は道の両端に水路が通っていたのかもしれない。
今は暗渠になっているようだ。



辻の角、電信柱の左に常夜燈が見える。


常夜燈には「秋葉山 / 常夜燈」と刻まれている。
秋葉山は山名ではなく、火防(ひぶせ)の神である秋葉大権現の後身秋葉山本宮秋葉神社を指している。
秋葉山 (静岡県)



常夜燈の右に祠があり「木津町西垣外地蔵尊」が祀られていた。
上半身、白色の召し物と、頭巾のような物を被られている。



奈良街道沿いの民家。
昔ながらの町家の建築様式を踏襲している。

つづく。



6月27日(日)05:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.8木津川源流3(木津から加茂へ)

口の開き方が角ばっていて特徴がある。
台座には「髙味浪榮」と刻まれている。
人名だろうか。



本社に向かって左側の狛犬。
台座が大きく壊れているが修復されていた。



左前足も損傷。
台座に刻まれている文字は「髙味亀太郎?」。



この面には「昭和三??」。


社号標の裏面には「昭和三辰?年十月建立」と刻まれていた。

つづく。



6月27日(日)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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