No.13木津川源流3(木津から加茂へ) |
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| 鐘楼らしき建物。
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| 「古のおく 和泉式部墓」と刻まれた石柱。
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| 不動明王像には違いないが、なんだかこれもアンバランス。
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| 石仏は後付っぽい。
よく分からないが、“地蔵菩薩半跏石仏”とでも呼ぶのだろう。
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| 「和泉式部の墓」説明板。
和泉式部は、越前守大江雅到の娘で、清少納言・紫式部とともに平安時代中期を代表する女流歌人である。 生没年は不明。 おおむね十世紀末に生まれ、十一世紀初めに六十歳前後で没したものと思われる。 彼女は、はじめ和泉守橘道貞の妻となる。 そのため和泉式部と呼ばれる。 子供がやはり歌人として有名な小式部内侍である。 その後道貞とも別れ、冷泉天皇の泉子、為尊親王・敦道親王と恋愛する。 このときの恋愛経験を告白的に物語ったものが「和泉式部日記」である。 両親王と死別した後、藤原保昌の妻となる。 晩年は、歌作がなく、全く判っていない。 式部二十歳前後から五十歳頃までの歌数千首を集めたものが「和泉式部集」である。 墓は高さ約一・三メートルの五輪塔で、中世に建立されたものであろう。 伝承によれば、式部は木津の生れであり、宮仕えの後再び木津に戻り余生を過ごしたといわれているが、この伝承を裏付ける資料がなくて残念である。
いずみがは 水のみわたの 松のうへに 山かげ涼し 秋のはつかぜ [家集] 和泉式部の墓と称するものは全国各地にあり、なかでも京都市中京区誠心院のものが著名であるが、いずれも極め手を欠いている。 昭和六十一年三月 木津川市教育委員会
つづく。
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Jun.29(Tue)05:50 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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