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2024年4月18日を表示

アンドレア・モティス ボックス・バルセロナ・ミュージック・セッション

アンドレア・モティス ボックス・バルセロナ・ミュージック・セッションを視聴してみよう。
アンドレア・モティス
Joan Chamorro
Josep Traver

Andrea Motis - Box Barcelona Music Sessions (Especial RN4)
【Google翻訳】
アンドレア・モティスはまだ22歳ですが、彼女の音楽的成熟は彼女の年の予想をはるかに上回っています。
ベーシストのジョアン・チャモロとともに6枚の絶賛されたアルバムをリリース。
・アンドレア・モティス (唄とトランペット)
・ジョアン・チャモロ(コントラバス)
・ジョセップ・トラヴァー(ギター)


【参考:アンドレア・モティス】
アンドレア・モティス&ジョアン・チャモロ・グループ(バルセロナ・コロシアム劇場 2011)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc66kd656B1300/1/



4月18日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡20

この石造物は、これで一体ではなく、バラバラのパーツを組み合わせたように見えてしまう。


参道から離れ、児童公園(和爾下街区公園)に入る。


二体の石仏、左は不動明王。
右側の真っ二つに割れた石仏も不動明王なのかも知れない。



和邇下神社
東大寺山丘陵の西麓台地上に築造された前方後円墳である。
全長約120m、後円部直径約70m、高5m、前方部幅50mである。
前方部が短く、端部が両側へ撥形に開く特異な形態である。
当古墳と、東大寺山古墳、赤土山古墳、及びシヤープ総合開発センター内に所在する古墳などにより東大寺山古墳群を構成している。
当古墳から東北約800mには和爾の集落があるが、この周辺一帯は、古代大和政権の一翼をになった和爾氏の本拠地と推定され、東大寺山古墳群は和爾氏の奥津城と考えられる。
内部主体や副葬品は明らかではないが、墳丘西側には石棺材があり、また昭和59年の防災工事に伴う調査において一基の埴輪円筒棺が検出された。
これらの遺物により古墳の築造時期は、4世紀末から5世紀初頭と推定されている。 天理市教育委員会



参道を歩く。

つづく。



4月18日(木)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡19

R169に出合い左折。(北)
すぐ右手に和邇下(わにした)神社の鳥居が見える。
鳥居は修復中だった。R169を横断。



「左 なら道」。
現在なら、確かにこの辻を左に行けば、“なら道”だが、R169を歩くことになる。
この道標を建てた時代、ここに道があったのだろうか。疑わしい。
先程歩いていた上街道(上ツ道)沿いにあったものを、ここへ移動したと思われる。



北側面に「是より半丁うち柿本寺 人丸神像 并 寶物あ里」と刻まれているようだ。
尚、柿本寺(しほんじ)跡は、この後に訪問することになる。



参道の右手に「櫟本集会所」と「御仮殿社務所」の表札が掲げられていた。

つづく。



4月18日(木)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡18

在原神社の境内で昼食を済ませ、引き続き上ツ道を北に歩く。


西名阪自動車道の高架下を潜り右折。(東)
左の民家の軒下に古い丸太が置かれている。(画像)



「馬出」(うまだし)
上街道(上ツ道)と高瀬街道の交わったところで古くから市場が開かれ、商業の活発だったことから「市場」という小字名がついています。
上街道から東方へ高瀬街道に沿ってのびた部分を「馬出」と呼び、主に大和高原(福住方面)から薪炭を乗せて下り、この地で荷をおろし、帰りに食料品や日用品を買って帰る人馬で賑わったところです。
また、荷を運ぶ馬をつないだ「馬つなぎ」の遺構も残されており、昔は流通の中継地として栄えたところです。 天理市



玄関の右手にも、やや短い「馬つなぎ」が見られた。

つづく。



4月18日(木)05:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡17

上ツ道(伊勢街道)を北に歩く。


やがて西名阪自動車道の高架が見えてきた。


右折(東)して、前方に見える「鎮守の森」を目指す。


寺号標には「在原寺」と刻まれていた。


正確には在原神社(在原寺跡)。
お寺の面影はほとんどない。

つづく。



4月18日(木)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡16

「危険ですので 狛犬さんに 登らないで下さい」。
“狛犬さん”と表記しているのが、何ともリスペクトを感じる―笑。



昼食場所の在原神社はここより北方向なので、北に位置する西名阪自動車道に向かって歩く。


この先で、南北に通じる上ツ道(伊勢街道)に出合う。
コースは右折、上ツ道を北に歩く。



上ツ道との辻に石仏がまとめて祀られていた。
道路の拡張工事などで置き場がなくなった石仏をここに集められたようだ。
生花が手向けられている。



何と、ここにも平尾姫丸稲荷大明神を指す道標が建っていた。
「正一位 平尾姫丸稲荷大明神」と刻まれている。
北側面には「従是東五町 施主 櫟本村 世話人」。
北側面は「安政七庚申年 正月吉日」。

つづく。



4月18日(木)05:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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