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2024年4月28日を表示

マリア・ドゥエニャス パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章

マリア・ドゥエニャス パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章を視聴してみよう。
Maria Duenas (マリア・ドゥエニャス)
ヴァイオリン協奏曲第1番 (パガニーニ)

María Dueñas | Paganini | Violin Concerto No. 1 | 2017 Zhuhai International Violin Comp
【Google翻訳】
スペイン出身の14歳のヴァイオリニスト、マリア・ドゥエニャス・フェルナンデスがピアニストのペーター・ヴィッテンベルクとともにパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調の第1楽章を演奏。
2017年第2回中国・珠海国際若手音楽家のためのモーツァルト国際コンクールの最終ラウンド(グループB - 13~16歳)にてマリアさんが1等賞を受賞。


【参考:マリア・ドゥエニャス】
ブラームス ヴァイオリン協奏曲 マリア・ドゥエニャス
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc66xQ6582D54D/1/
パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番 マリア・ドゥエニャス
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc65RS64883AAD/1/
No.5ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 マリア・ドゥエニャス
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64GC61B9A16F/1/

【参考:パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番】
パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番 サラ・チャン
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64UQ61C978F1/1/



4月28日(日)17:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂25

「饅頭屋宗二 献木 紅梅」と記された立て札。
前述の漢國神社由緒略記によると、
林宗二は、室町末期から桃山初期にかけて活躍した人。
なので、紅梅は何代か代替をしているのだろう。
この木が室町時代から延々と続く紅梅とは到底思えない。

また、ネット検索すると、二羽の鶴の置物や紅梅が植栽されているのは、林浄因が宮女と結婚。(後村上天皇(1339-1368)より宮女を賜る)
この宮女との結婚の時に紅白の饅頭が配られ、これがお祝い事で紅白饅頭が配られるようになったらしい。

境内には饅頭塚があって、林浄因の結婚式の時に紅白一対の饅頭を子孫繁栄を祈って石の下に埋めたとされる。



このレリーフは、奈良では著名な吉村長慶が寄進している。
レリーフの左下に「昭和十五年 吉村長慶」と刻まれていた。(赤矢印)
図柄は大黒さんと戎さんが刻まれている。
大黒さんは手に何かを持っている。
それを戎さんが(恨めしそうに?)眺めている。
大黒さんが持っているのは、もしかして饅頭?―笑。

尚、林浄因の子孫は繁栄したが、応仁の乱の時に、三河国設楽郡塩瀬村に疎開したので塩瀬という姓になる。
現在は塩瀬総本家として東京で饅頭屋をやっている。
【参考】
塩瀬総本家
塩瀬総本家 沿革



漢國神社、林神社を後にして、すぐ近くの霊巌院(れいがんいん)へ向かう。
霊巌院の所在地は奈良市林小路町36。
地名に使われている“林小路”は林浄因の“林”だろう。

画像は霊巌院の境内で撮影した石碑。
「饅頭祖林浄因碑」と刻まれている。



更に石碑はその右にもう一つあるが読み難い。
「????林浄因塚」。

林浄因は、ここ林小路で饅頭の商いを行った。



残念ながら立て札は風化してまったく読めない。

つづく。



4月28日(日)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂24

漢國神社、拝殿。


漢國神社由緒略記

祭神 三座
園神 大物主命
韓神 大己貴命 小彦名命
一、鎮座由来
当神社は推古天皇の元年二月三日(今より約千四百年前)、大神君白堤と申す方が、勅を賜い手て園神の神霊をお祭りせられ、其後元正天皇の養老元年十一月廿八日、藤原不比等公が更に韓神の二座を相殿として祀られたのが漢國神社であります。
古くは春日率川坂岡社と称しました。 【一部割愛】



林神社、社殿。

【漢國神社由緒略記の続き】

一、林神社
林神社は、林浄因命(りんじょういんみこと)を御祭神として御祀りする我国で唯一の「饅頭の社」であります。
林浄因命は中国淅江省の人、林和靖の末裔で、貞和五年(1349 )に来朝され、漢國神社社頭に住まいされるや、我国で最初に饅頭を御作りになり好評を博しました。
その後、足利将軍家を経て、遂には宮中に献上するに至り、今日全国の菓業界の信仰を集めています。
また、室町末期から桃山初期にかけて林家では碩学の林宗二が、初期の国語辞書である「饅頭屋本節用集」を著し、印刷・出版の曩祖(のうそ)として知られています。

ネット検索すると、林浄因は中国の肉まん(マントウ)を参考にして、日本人の口に合うように、肉の代わりにあんこを入れた餡まんを作ったらしい。
これが日本式の饅頭の始まり。



この石造物は饅頭に見立てたものだろう。


林神社の社号標と二羽の鶴。

つづく。



4月28日(日)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂23

大仏殿の北側を通り西へ向かう。
更に戒壇堂前から水門町へ。(南)
当初の予定では吉城園(よしきえん)がコースに入っていたが時間の関係でカットとなり、奈良県庁前を通って近鉄奈良駅で解散となった。

これに先立ち、Tu氏より誘いがあって、近鉄奈良駅近くの漢國(かんごう)神社・林(りん)神社及び霊巌院(れいがんいん)に立ち寄ることになる。
更にYo氏を誘って三人で訪問することになった。
私は林神社には行ったことがあるが、林神社に祀られている林浄因(りんじょういん)と関係があるという霊巌院は知らなかった。
林浄因は宋の時代の人(現在の中国淅江省)で、日本最初の饅頭を作ったとされている。

画像は漢國神社一ノ鳥居。
社号標には「縣社 漢國神社」と刻まれている。



一ノ鳥居に向かって左側には、「饅頭の祖神 林神社」の社号標が建つ。
左側面には「第十三回全国菓子大博覧會記念」。
「林神社」は漢國神社内に祀られている。



境内に掲示されていた饅頭祭のポスター。


漢國神社、境内の入口。
まるでお寺の山門のようだ。



境内に入って左に鎮座する「源九郎稲荷神社」。
勧請元は大和郡山市の源九郎稲荷神社。
【参考】
源九郎稲荷神社

つづく。



4月28日(日)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂22

二月堂の舞台から撮影。
三月堂、開山堂など多くの仏堂が見られる。



お水取りに使用される松明。


籠松明(かごたいまつ)と呼ばれる大きな松明。
【参考】
籠松明最後の仕上げ 本行「下七日」入り - 東大寺お水取り2023



二月堂を後にする。
趣のある二月堂裏参道を下る。



石畳の道。
インバウンドをまったく見ない。
いかにも古都といった静かで落ち着いたイメージ。

つづく。



4月28日(日)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂21

車道を横断し、この先の石段を登って若草山の山麓に向かう。


若草山は毎年1月に行われる「山焼き行事」により、焼いたところがこげ茶色に見える。
焼いてないところは茶色。



入山ゲートでお迎えしてくれた鹿さんたち。
この日は入山の予定はなかったが、閉山期間だったので、入りたくても入山は出来ない。
(開山期間:3月第3土曜日~12月第2日曜日)



「右 手向山八幡 二月だう 大ぶつ」と刻まれた道標。
“二月だう”の“だ”は、漢字“多”の変体仮名に濁点。



東大寺二月堂まで階段を登る。
画像は二月堂から撮影。
直下の建物は二月堂参籠所、毘沙門天堂など、東大寺の堂宇が建ち並ぶ。

つづく。



4月28日(日)06:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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