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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


鷺池_南都鏡神社_上の禰宜道_二月堂25

「饅頭屋宗二 献木 紅梅」と記された立て札。
前述の漢國神社由緒略記によると、
林宗二は、室町末期から桃山初期にかけて活躍した人。
なので、紅梅は何代か代替をしているのだろう。
この木が室町時代から延々と続く紅梅とは到底思えない。

また、ネット検索すると、二羽の鶴の置物や紅梅が植栽されているのは、林浄因が宮女と結婚。(後村上天皇(1339-1368)より宮女を賜る)
この宮女との結婚の時に紅白の饅頭が配られ、これがお祝い事で紅白饅頭が配られるようになったらしい。

境内には饅頭塚があって、林浄因の結婚式の時に紅白一対の饅頭を子孫繁栄を祈って石の下に埋めたとされる。



このレリーフは、奈良では著名な吉村長慶が寄進している。
レリーフの左下に「昭和十五年 吉村長慶」と刻まれていた。(赤矢印)
図柄は大黒さんと戎さんが刻まれている。
大黒さんは手に何かを持っている。
それを戎さんが(恨めしそうに?)眺めている。
大黒さんが持っているのは、もしかして饅頭?―笑。

尚、林浄因の子孫は繁栄したが、応仁の乱の時に、三河国設楽郡塩瀬村に疎開したので塩瀬という姓になる。
現在は塩瀬総本家として東京で饅頭屋をやっている。
【参考】
塩瀬総本家
塩瀬総本家 沿革



漢國神社、林神社を後にして、すぐ近くの霊巌院(れいがんいん)へ向かう。
霊巌院の所在地は奈良市林小路町36。
地名に使われている“林小路”は林浄因の“林”だろう。

画像は霊巌院の境内で撮影した石碑。
「饅頭祖林浄因碑」と刻まれている。



更に石碑はその右にもう一つあるが読み難い。
「????林浄因塚」。

林浄因は、ここ林小路で饅頭の商いを行った。



残念ながら立て札は風化してまったく読めない。

つづく。



4月28日(日)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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