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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.17木津川源流3(木津から加茂へ)

「平重衡首洗池・不成柿」の説明板。

平清盛の五男、平重衡は、治承四年(一一八〇年)十二月二十八日、源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き打ちしました。
その後、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた重衡は、虜囚となって鎌倉の源頼朝のもとへ送られましたが、南都の衆徒の強い引き渡し要求に頼朝も折れ、元暦二年(一一八五年)六月二十三日、木津の地まで送られてきました。
南都の衆徒は、木津川の河原で、念仏を唱える重衡の首をはね、奈良の般若寺にさらしました。
その際、この池で首を洗い持参したと伝えられています。
その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが一向に実のらず、このことから不成柿と称せられています。
国鉄奈良線の東側にある安福寺には、重衡の引導仏といういわれをもつ阿弥陀如来を納めた哀堂と十三重の供養塔があります。
  昭和五十九年三月 木津町教育委員会



石碑には「平重衡首洗池 不成柿」と刻まれている。
この奥に池というよりは小さな沼地があった。



不成柿(ならずかき)には、僅かだが実が成っていた。
元の柿の木の何代目かにあたるのだろう。



「平重衡首洗池・不成柿」を後にして、階段下まで戻り左折。(南)


先ほど降りて来た階段。

つづく。



6月30日(水)05:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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