反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社8 |
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| 橋の下には南海線が通っている。
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| この先、歩道橋の横を直進。
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| すると、大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)の周りに沿って道が続く案内表示があった。 コースは右へ。
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| 左側、大仙陵古墳の濠に沿って歩く。
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| この先、R310を離れ左折。 大仙陵古墳に沿って歩く。
つづく。
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3月3日(日)06:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社7 |
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| R310の高架下に通路があるが、R310に出て左方向の大仙陵古墳へ行きたかった。 よく見ると、右側に階段があってR310に出られそう。
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| 階段を登る。
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| R310に出て、左(西)へ歩く。 画像の建物は祭儀場らしい。
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| 立派な歩道が設けられている。 これを歩く。
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| 「えのきばし」と記された跨線橋を渡る。
つづく。
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3月3日(日)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社6 |
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| 踏み台があって機関車の中を覗けるのかと思って踏み台に立ってみたら、なんと中に入ることが出来た。 これは珍しいのではないかと思う。 それにしても、メカニックと云うかデザイン性は乏しい。 昔は機能優先でデザインを考慮する余裕がなかったのだろう。
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| ドアの前の位置を撮影。 運転席だろうか。 そういえば、日本の電車の運転席は左側にある。 クルマは右側にあるのだが・・。 【参考】 運転席、電車はなぜ左?
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| 左上に見えるハンドルらしきを開閉して、中に燃料となる石炭を投入するのだろうか。 その下にあるのは巨大な火箸?(赤矢印)
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| Tu氏も機関車の中を見学。 まぁ、せっかく来たのだから、見なきゃ損。 この後左の女性も見学した。
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| 機関車移動展示コーナーを後にして西方向へ歩く。 行止りなので南海高野線の線路に沿って右へ。 正面に見えている緑地が、大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)の一部。
つづく。
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3月3日(日)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社5 |
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| 蒸気機関車はJRの駅構内で展示されているケースはあるが、どうしてここに展示されているのか不明。 しかも「札幌」の表示があるので、JR北海道で走っていた機関車ということになる。
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| 「C11-218」と記された形式は聞いたことがない。
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| すぐ隣に焼肉の「はや 総本店」があって、この店と関係があるのかと思ったが、そうではなかった。
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| 機関車の歴史について簡単に記述している。 最後に、・・・全国のSL愛好者にとって誠にさびしい限りです。 この一文から、SL愛好者が、ここに展示したようだ。 近くにこの移動展示を実行・賛同した人達の名前が記されていた。
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| こちらは「C11-218」の歴史について。
つづく。
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3月2日(土)06:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社4 |
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| 説明書きにある通り、凱旋門をイメージするデザインとなっている。
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| 平成13年に国の登録有形文化財に指定。
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| 旧天王貯水池を後にして、けやき通りをしばらく歩く。 向陵西町交差点で府道2号線と出合う手前に、旧道が通っており、「竹内街道」と刻まれた比較的新しい道標が立つ。
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| 向陵西町交差点を横断。
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| すると意外にも、蒸気機関車が展示されているコーナーがあった。
つづく。
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3月2日(土)06:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社3 |
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| 名前の通り、けやきが街路樹として植栽されている。
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| 堺東駅からここまで歩いて来たルートがこのマップに表示されていた。 そして、この後も大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)を目指して歩く。
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| 「けやき通り」と記されたシャレた道標。
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| けやき通りを歩き出してすぐ、右折(西)して「旧天王貯水池」へ立ち寄る。 フェンスの向こうに、こんもりと土を盛ったところがある。
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| 登録有形文化財 旧天王貯水池
旧天王貯水池は、堺で初めての上水道施設のひとつとして明治43年(1910年)に建設し、昭和39年(1964)まで約50年にわたり使用していました。 建設にあたっては、当時堺で盛んに作られていた煉瓦が使われていました。 正面入り口は、水道施設の先進地であったヨーロッパで用いられていた建築の古典様式にならい、「凱旋門」風のデザインです。 内部は点検用の通路をはさみ、両側に貯水槽が作られています。 それぞれの貯水槽は5つに区切り、半円筒のヴォールト天井としています。 貯水槽の周囲には土を盛り上げて、直射日光などをさえぎることで、細菌の繁殖を防ぎ水質の安全をはかりました。 そのデザインと施工技術の優秀さはもちろん、堺における上水道の歴史の一端を知るうえで重要な建物です。
つづく。
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3月2日(土)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社2 |
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| 反正(はんぜい)天皇陵前で小休止。 この場所でこの日歩くコースの概略をTリーダーより聞く。
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| 反正(はんぜい)天皇陵古墳
時代: 5世紀中頃 古墳の形: 前方後円墳 古墳の規模: 墳丘長148m、後円部径76m、後円部高13m、前方部幅110m、前方部高14.8m
反正天皇陵古墳は田出井山(たでいやま)古墳とも呼ばれ、百舌鳥古墳群の北端に築かれた前方後円墳です。 造られた場所は大阪湾を望む台地の端にあたり、古墳の向きが海岸線に沿っていることから、古墳が海からよく見えるように築かれたと考えられています。 墳丘は3段に築かれており、西側のみに造り出しがあります。 かつては現在の濠の周囲に外濠が巡っていましたが、遅くとも14世紀には埋まったようです。 外濠からは埴輪や須恵器・勾玉が見つかっています。 東側には天王古墳と鈴山古墳があります。 堺市
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| 反正(はんぜい)天皇陵古墳を後にして、引き続き、“てくてくろーど”を歩く。 分かりやすいように、地面に表示されている。
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| 反正天皇陵古墳の“濠”の一部が見られた。 (赤矢印)
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| やがて、けやき通りに出合い、これを南に向かって歩く。
画像の風変わりな建物は“こぶ政”の看板が掛かっていた。 昆布の店らしい。 堺の昆布処こぶ政
つづく。
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3月2日(土)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社1 |
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| 2023年12月28日(木)は、ササユリの会に参加した。 題して「熊野古道4~堺東から鳳まで~」。
<コース> 南海高野線堺東駅_反正(はんぜい)天皇陵_てくてくろーど_けやき通り_旧天王貯水池_機関車移動展示_大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)_大仙公園・昼食_石津(いしづ)神社_大鳥大社_JR阪和線鳳駅。
画素は当日歩いたGPSログを表示。
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| 南海高野線堺東駅西出口を出発。 一旦、南方向へ歩く。
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| 高野線の踏切を渡って左折。(北)
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| 堺東駅東出口前を通過。 「てくてくろーど」と呼ばれている、 「旧堺市内に点在する歴史的遺産67ヶ所をつなぐ総延長7キロメートルの観光コース」の一部を歩く。 【参考】 てくてくろーど てくてくろーど PDF
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| 暫く歩いて、反正天皇陵に到着。
つづく。
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3月2日(土)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社35/35 |
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| 四條畷神社からゴールのJR学研都市線四条畷駅へ向かう。
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| 参道沿い、北側に豪邸がある。 タイか東南アジアのどこかの国のお寺のような造り。 地元の建設会社の社長宅らしい。
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| 住所表示は「四條畷市楠公二丁目10」。 この先、JR学研都市線の踏切を渡らず手前で左折。
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| 四条畷駅改札口。
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| 15時38分発、塚口行の快速電車に乗車し帰宅した。
おしまい。
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2月7日(水)16:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社34 |
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| 桜井の別れ
楠木正成の(向かって右)死を覚悟の兵庫出陣に当り桜井の駅(三島郡島本町)において十一歳の我が子正行公(向かって左)との別れに「父の死後は足利氏の天下になるだろうがどこまでも正統の天皇を御守りせよそれが父への孝行となるのだ」と論し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝へて出陣された。
忠孝両全 忠 忠義、孝 孝行、両全 両方共に完全であること
【参考】 桜井の別れ
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| 楠公慰霊塔と説明板。
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| 楠公慰霊塔 平成三年九月十五日移設
豊中市の杉野製作所の杉野社長の買収した或る山林に人知れずあったもの 台座には次の如く誌されている
楠正成公勤王の志し厚く正中元弘 建武延元此の四代の○○○○ 桜井に我が子と別れ延元三年 月 日 当寺に宿泊 兵庫に於いて自弑し給ふ
元中三年七月○日 大河内内守 義弘 安楽寺
武士の堅き心は桜はな ちりて後ぞ人や知るらん 四十三歳 正成
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| 七五三祝袋を持ったぺこちゃん人形。
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| 四條畷神社を後にする。
注連石の右と左に文字が刻まれている。 「有孚 顒若」。
ネット検索すると、下記のサイトに 菅原神社
「有 孚 顒 若」という深い文字が刻み込まれている。 この四字は「ゆうふぎょうじょく」と読み、その意味は、「孚」は(まこと=信)であり「顒若」は(おごそかなさま)・(厳正な状態)を示す語である。 また、この場合の「若」は(わかい)という意味ではなく、(状態を表すことば)である。 従って全体の意味は、(信実の心を持っている者は、その態度も厳正である)という意である。
つづく。
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2月7日(水)16:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社33 |
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| 境内から参道の注連石を眺める。
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| 鳥居と正面奥に本殿。
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| 四條畷神社由緒記
御祭神 贈従二位 楠木正行 卿 贈正四位 楠木正時 卿 贈従四位 和田賢秀 卿 外 殉節将士 ニ十四柱 鎮座地 大阪府四條畷市南野 (飯盛山麓) 創立 明治天皇の思召により明治二十二年 別格官幣社に列格仰下され翌年鎮座 摂社 御妣神社 正行公 御母
楠 正行公は楠 正成公の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる卿は延元元年(一三三六年)湊川へ出陣をせられる父君と桜井の駅にて訣別されたが時に御年十一歳爾来母君に孝養を尽して臥薪嘗胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた正平二年(一三四七年)十二月後村上天皇に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって決死の和歌を遺された 翌年正月敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや正行卿一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二才の青年であったこの正義に燃えたる小楠公の事蹟と吉野朝史の一齣は四條畷に永く留められ万古に変らぬ飯盛山は青少年の徳義昴揚を叫び老松は史蹟を語っている
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| この日は七五三詣りの家族の姿を見た。
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| 「忠孝両全」(ちゅうこうりょうぜん)と刻まれた像。 向かって右が大楠公。 左が小楠公。
下記のサイトによると、忠孝両全とは、 忠孝両全
「君主に対する忠義と両親に対する孝行を二つとも全うすること。 忠義と孝行は一致するもので両方同時に全うできるという考え。」
つづく。
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2月7日(水)16:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社32 |
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| フェンスの手前に掲げられていた「フラワーロード」案内図。 「フラワーロード」の場所は、ここからかなり離れている。 そして、今もその名前の通り、維持管理されているかは不明。
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| 左上に「飯盛山登山道」の表示があった。
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| 石柱には「此山頂飯盛城址」、側面には「大正八年」の銘が刻まれていた。
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| 四條畷神社境内に入る。 左の建物は休憩所だろう。
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| これらの建物は社務所。 右奥、石鳥居の後に、本殿と御妣(みおや)神社。
つづく。
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2月7日(水)15:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社31 |
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| 「飯盛山登山道」と刻まれた道標が立つ。
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| やがて正面に畑のようなコーナーが見えた。 紫っぽい花は皇帝ダリアだろうか。 それにしては、背丈が短いので、確かめる為に立ち寄った。
下山コースは右下。
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| 皇帝ダリアではなくキク(菊)。 他にもマリーゴールド、シランなどの草花が植えられていた。
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| 下山道へ戻る。 左に写っている建物は四條畷神社会館。
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| 四條畷神社に下山。 神社へは道なりに右へ歩く。
つづく。
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2月6日(火)18:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社30 |
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| 分岐を左に下りる。
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| 前方の登山道の脇に土嚢が並べられている。
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| ここは植栽されている。 木の種類は不明。
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| そして石柱に「三」と刻まれていた。
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| こちらの石柱は「二」。 これらの石柱と番号は、さほど重要なものではないのでは。
つづく。
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2月6日(火)18:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社29 |
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| 振り返って撮影。
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| ゆっくりペースの人が歩くと、その後に長い列が出来る。 後を歩く人に道を譲ると、スムーズに歩くことが出来ると思う。 私は後につかれるのが嫌なので、すぐに先を譲るようにしている。
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| この先も坂道が続く。
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| ゆっくりペースの人が先を譲ったようだ。 先頭のお二人は早足。
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| 分岐に到着。 撮影した画像はボケている。 四條畷神社に向かうので、コースは左(南西)のはずだが、暫く待つことに。 右方向は御机(みつくえ)神社方面で権現川沿いに出合う。
つづく。
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2月6日(火)17:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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