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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年7月15日を表示

太子道(筋違道)40

三宅町教育委員会が設置した「太子道」の案内板。


三宅町伴堂(ともんどう)の「杵築神社」に到着。画像は「西伴堂村」、安永九年(西暦1780年)と彫られた石燈籠。


「大坂住 石工 佐吉」の銘のある狛犬。吽形。


そして阿形。どちらも彫が深い。


「安政六年乙未四月吉日」の銘。


7月15日(水)19:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)39

※画像は「ふるさと三宅」(三宅町ガイドブック)より、「太子道」についての記事。


太子道は自転車道にもなっているようだ。


太子道沿いにあったお地蔵さん。


涎掛けを外してみる。右側には「文政三辰年」だろうか。左側の文字は読めない。


引き続き太子道を歩く。


7月15日(水)19:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)38

優しく穏やかなお顔で苔や地衣類もまったく生えていない。


「子安地蔵尊」と彫られていた。涎掛けを外さなかったことが今頃になって悔やまれる。


三宅町“大字屏風”の概要、歴史について。これによると、「屏風」の地名は聖徳太子が斑鳩~飛鳥を黒駒で行き来する際、里人達が屏風で囲って接待したことから命名された、と伝えられている。


“太子道”には道沿いに石仏が多く見られる。この石仏はブロックで囲ってあった。


左の割れた石仏は左手に持物をお持ちのように見える。


7月15日(水)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

太子道(筋違道)37

小さな川に架かる明神橋を渡って屏風の杵築神社を後にする。この石橋、橋脚が異様に長い。後の時代になって、かさ上げされたように見える。


屏風の杵築神社前に設置されていた「太子道」の道標。


「忍性(にんしょう)菩薩御誕生碑」に立ち寄る。


「忍性菩薩頌徳文」。忍性上人は鎌倉時代の真言律宗の僧。ここ大和国城下郡屏風里(現奈良県磯城郡三宅町)に生まれた。


角に地蔵堂があったので立ち寄る。


7月15日(水)19:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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