京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)34 |
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| やがて分岐(千草分岐)となる。京都トレイル72の道標あり。また画像の案内板もあった。ここは一旦、京都トレイルから離れ、千草忠顕(ちぐさただあき)碑に立ち寄る。
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| 急登だが、すぐに到着。
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| 「千種忠顕卿戦死之碑」とある。 ※ネット検索すると、「千種忠顕は後醍醐天皇の側近で建武中興の功臣。足利尊氏勢と比叡山山麓の水飲で戦い戦死した場所を示す石碑。この近くに水飲対陣跡の石碑がある。」
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| 大正十年五月建立とある。南北朝時代の人物の石碑が大正時代に建立された時代的な背景がよくわからない。 ※ネット検索すると、「明治維新後、新田義貞、北畠顕家、楠木正成らが再評価されたことに伴い、大正8年(1919年)11月15日に忠顕は従二位を追贈された。」 「千種忠顕卿戦死之碑」が建立された時期と一致している。
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| 京都トレイルとの合流付近で見た「千種塚址」。
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7月2日(木)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)33 |
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| この分岐で少し休憩。手作りのベンチに座る。
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| 再び歩き出す。
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| 前方から登山者。ここにきて登山者とは度々出会う。
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| 今度は後から追い抜かれた。
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| 穏やかな傾斜の登山道。
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7月2日(木)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)32 |
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| 左手に展望が開けそうな場所に出る。ルートは右の階段を登る。ここで少し休憩。潅木が生い茂り、残念ながら展望はほとんど得られない。冬枯れした時季だと、見渡せたかもしれない。
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| 京都トレイル70の道標。京都トレイル東山コースの最終は74番なので、あと4つということになるが、枝番がある。
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| このすぐ上の登山道が崩壊しているので注意。
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| 登山道は相変わらず切り通しとなっている。
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| 分岐に到着。京都トレイル71の道標。左はケーブル比叡駅・比叡山。右も同じ。ここは右へ。左は破線表示となっており旧ルートと見られる。
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7月2日(木)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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京都トレイル③(北白川_ケーブル比叡)31 |
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| 深くえぐれた登山道。水飲対陣跡碑を過ぎてからは登山者と時々出会うようになった。北白川からのルートより、雲母坂からの方が多く歩かれているようだ。
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| 歩きよい道が続く。
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| 「浄刹結界址碑」と彫られている。 ※ネット検索すると、「比叡山延暦寺の境界を示す石標で、修行僧はここからは下ることができないことを意味している。かっては山中に何本か点在していたが、現在も残っている貴重な一本。」
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| 人が歩くことにより、登山道がえぐれたのだろう。かっては、左右の木の根元近くに道があったと考えられる。
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| 登山道は必要な手入れはされているというかんじで、過剰整備とはなっていない。
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7月2日(木)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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