薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園3 |
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| 蔵泉寺(ぞうせんじ)は別名、蔵泉庵とも呼ばれる第二十八番札所。
京都洛西観音霊場-Wikipedia によると、西京区嵐山山ノ下町に所在の臨済宗相国寺派の寺院。本尊は十一面観音。
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| 急な石段を登る。
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| 庭園の手入れが行き届いている。
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| 先ほど立ち寄った無量壽寺の堂宇が垣根越しに見える。 画像では伝わりにくいが、とても重厚なイメージ。 画像はズームで撮影。
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| 登って来た石段を下る。
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12月7日(金)17:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園2 |
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| 民家の庭に植えられていたヒマラヤユキノシタ。
葉っぱが大きくて、よく目立つ。
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| 次の目当てである蔵泉寺へ向かう。 画像中央左、蔵泉寺駐車場の看板が見えたので、あちらへ行ったが、山門はここではない。
前方に見える船の甲板のような立派な擁壁の上に建つ寺院が気になったので少し立ち寄る。
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| 逆光となっているが、無量壽寺の寺標が掲げられていた。
念佛宗 三寶山 無量壽寺が正式名称で、総本山は兵庫県加東市。 ここは京・別格本山。
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| 蔵泉寺へは南側へ回り込むと山門が現れる。
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| 鎌倉時代の僧・夢窓疎石(夢窓国師)が、西芳寺から天龍寺に法話を聞くために通い、腰を下ろしたと伝わる腰掛け石が二つ山門前に置かれている。
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12月7日(金)17:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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ヴァイオリン協奏曲 |
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| ヴァイオリン協奏曲を聴いてみよう。
Weronika Dziadek (Poland) - Stage 1 - International H. Wieniawski Violin Competition STEREO
Eva Rabchewska (Ukraine) - Stage 2 - International H. Wieniawski Violin Competition STEREO
第20回日本モーツァルト音楽コンクール ヴァイオリン部門【ウォルフィ賞】見渡 風雅
Maxim Vengerov plays Beethoven Violin Concerto in D major op. 61 and Meditation by J. Massenet
Soyoung Yoon plays Mozart: Violin Concerto in G Major, Sinfonia Concertante in E flat Major
Bomsori Kim plays Wieniawski Violin Concerto no. 2 in D minor, Op. 22 | STEREO
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12月6日(木)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理
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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園1 |
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| 2018年12月2日(日)は、こばこの部に参加した。 タイトルは「洛西観音霊場をめぐるパート2・蔵泉庵(寺)から福成寺へ」
<概要> スタートは阪急嵐山線嵐山駅、ゴールは阪急京都線東向日駅。 但し、集合場所の嵐山駅へはJR山陰本線嵯峨嵐山駅から歩いた。 また、ゴールの東向日駅からJR東海本線向日町駅まで歩いた。
京都洛西観音霊場-Wikipedia によると、 京都洛西観音霊場(きょうとらくさいかんのんれいじょう)とは、桂川西岸から西山にかけての地域(旧乙訓郡及び葛野郡に相当)に置かれた観音霊場。 三十三番までの札所と番外札所三ヶ所の計36寺院から構成される。 洛西三十三観音霊場、また旧称の洛西観音霊場とも呼ばれる。
この日歩いたのは、第二十九番札所・二尊山 西光院(さいこういん)、第二十八番札所・蔵泉寺(ぞうせんじ 別名:蔵泉庵)、番外・谷ヶ堂 最福寺、第三十番札所・葉宝山 浄住寺(じょうじゅうじ)、第三十一番札所・宝珠山 福成寺 の五寺院。
阪急嵐山駅から南、西山方面へのウォークでは、海外の観光客をまったく見ることがなかった。
日本人でさえ東海自然歩道でチラホラ。 社寺の観光客は、松尾大社、鈴虫寺などの著名なところでは紅葉目当ての日本人観光客がいたが、ここもインバウンドは皆無。
私自身、この区間は歩いたことがなかったので、とても新鮮な歩きとなった。
洛西竹林公園は、この公園の存在すら知らなかったが、嵐山の竹林を歩くより楽しめる。 また、公園内にある旧二条城関係の石仏の数の多さに驚いた。
<コース詳細> 8:31JR山陰本線嵯峨嵐山駅_8:55阪急嵐山線嵐山駅9:38_京都一周トレイル西山26分岐を右に見送り松尾大社方面へ直進_寺標(慈恵山 金剛寺)_二尊山 西光院(さいこういん)・西行法師旧跡_無量壽寺前_蔵泉寺(ぞうせんじ 別名:蔵泉庵)_東光山 薬師禅寺(はしご地蔵尊)_松尾大社・喜多門・拝殿・お酒の資料館_祠(地蔵尊)_松尾大社摂社 月読(つきよみ)神社・解穢(かいわい)の水_アンティーク マイセン・日本画 京都花鳥館前_谷ヶ堂 最福寺(旧蹟)_華厳禅寺(鈴虫寺)前_西芳寺(苔寺)前_茶房石庭緑翠庵前_眺望地_衣笠山 地蔵院(竹の寺)前_亀岡方面 唐櫃越(からとごえ)分岐_葉宝山 浄住寺(じょうじゅうじ)前_邑光山 西蓮寺前_覆屋(石仏群)_京都桂病院前_松陽小学校前_石仏群_11:41史跡 天皇の杜古墳・昼食12:40_京阪京都交通 三ノ宮バス停前_三宮神社御旅所_洞雲寺(仏頂国師旧跡)前_樫原三ノ宮神社_史跡 樫原廃寺跡_宝珠山 福成寺・蔵王大権現_京都市樫原市営住宅団地_<竹の径(みち)>_府道201号線を横断_<竹林>_送電線下_西ノ岡竹林通_京都市洛西竹林公園・竹の資料館・生態園・説明板(百々橋の由来)・旧二条城関係の石造物群_<竹の径(みち)>_史跡 乙訓古墳群 寺戸大塚古墳_寺戸町北墓地前_第6向陽小学校前_桓武天皇皇后 天之高廣宗照姫之 高畠陵_道標(桓武天皇皇后御陵)_慶昌院前_中垣内交差点で集女街道(府道67号線)を横断_来迎寺前 ★反省会:15:02餃子の王将 東向日店(9名)16:17 JR東海本線向日町駅
<メモ> ・参加者総勢15名。 ・コース歩行距離約12km。 ・実歩行距離約23km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km、嵯峨嵐山駅~嵐山駅約1.6km、東向日駅~向日町駅約0.8km等を含む) ・歩数3万3千歩。(自宅~自宅)
画像はこの日歩いたコースのうち、阪急嵐山線嵐山駅からJR東海本線向日町駅までのGPSログを表示。
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| 渡月橋から黄葉した岩田山、松尾山、嵐山方面の眺望。
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| 京都一周トレイル西山26分岐を右に見送り、松尾大社方面へ直進。 右手に西行法師旧跡、第二十九番札所・二尊山 西光院(さいこういん)がある。
本堂は最近、再建されたようだ。
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| 京都洛西観音霊場-Wikipedia によると、 西京区嵐山山田町に所在の浄土宗西山禅林寺派の寺院。第二十九番札所。 寺院本尊は二体の阿弥陀如来。 本尊が二体なのは、明治41年に西光寺と西光庵という二つの寺院が合併してこの寺院が出来たためで、山号の二尊山もこれに由来する。 札所本尊は左手で子供を抱いた聖観音で「子育て観音」と呼ばれており、本尊の向かって右側の厨子に安置されている。
画像は二体の本尊。向かって左が聖観音。
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| 枯山水の庭園が観られた。
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12月6日(木)18:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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住吉公園_住吉大社_紀州街道_加賀屋新田会所跡 |
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| 2018年11月29日(木)は、ササユリの会に参加した。 タイトルは「紀州街道から加賀屋新田会所へ」。
<概要> スタートは南海本線住吉大社駅。ゴールは地下鉄四つ橋線住之江公園駅。 画像はこの日歩いたGPSログを表示。
住吉大社駅から西に向い、住吉公園を歩く。 前方にまるで灯台のような巨大な住吉高灯籠を見る。 R26を横断して高灯籠の下へ。 高灯籠の中に史料館があったが閉まっており見学は出来ず。 公開日が限定されていた。
再び住吉公園へ戻り心字池へ。 説明板はなく、この池の名前の謂われは不明。 ネット検索すると、予想していた通り、真上から見ると“心”の漢字に似ているからだそうだ。 住吉公園の見どころ「心字池と川の流れ」 同じ名前の池が全国にあるとのこと。
南海本線の高架下を潜って東へ。 駅の周りには石燈籠が立ち並ぶ。 阪堺電気軌道阪堺線を横断して住吉神社へお参りする。
反橋(太鼓橋)を渡り、第四本宮~第一本宮とお参りし、五所御前(五大力)ヘ向かった。 御神木の夫婦楠に立ち寄り、楠珺社(なんくんしゃ)、石舞台、楽所、住吉武道館前、浅澤社を経て大歳神社へ。 大歳神社では「おもかる石」で占いをする人がいた。
細江川に沿って下流に歩き、阪堺電気軌道細井川駅前の踏み切りを横断すると、右に御祓橋を見て紀州街道に出合う。 これを南へ向かって歩き、安立(あんりゅう)1の交差点でR479(長居公園通)を横断。
右手に「霰(あられ)松原公園」が現れ、ここで小休止。
大阪市のサイト によると、 この付近は江戸時代中期まで、海岸線であった。 そして白砂青松の名勝地で、松風が霰を吹きつけるように響いたのでこの名があるという。 その有様は万葉集にも収録されているが、江戸時代に入って大和川付け替え工事や新田開発により、海岸線が移動し景観が一変してしまった。 碑の前の道は紀州街道で、高麗橋東詰の里程元標を起点に、堺筋を南下、和歌山に至っている。 この付近は街道の面影をよく残しており、新しく街道名の入った道しるべが建てられるなど、歴史の顕彰が行われている。
霰松原公園を過ぎるとアーケードのある安立本通り商店街の中を歩くようになる。 アーケードが終わると、左手に阿弥陀寺が現れる。
阿弥陀寺の正面、紀州街道沿いに覆屋がある。 中には弘法大師像、賓頭盧(びんずる)、石仏が数体、それに石造物などが祀られていた。 その横に紀州街道の説明板が置かれている。
やがて傾斜のある坂道を少し登るが、これは大和川の堤。 大和川の河川敷へ出てカモメなどの水鳥を見ながら昼食。 すると、ご近所の人がやって来て、水鳥にエサを与えている光景が見られた。 カモメはこれを待っていたようだ。 大和川に向かって、左(東)側は、阪堺電気軌道阪堺線のチンチン(路面)電車が、右(西)側は、南海電鉄本線の電車が走っていて、それらを眺めていた。
大和川に架かる大和橋を渡ると堺市堺区となるが、この日は橋を渡らずにUターン。 右岸を下流に向かって暫く歩き、やがて大和川の堤を越え住之江区北島3丁目12付近に出る。
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| 次の目当て、加賀屋新田会所跡まで下町の中を歩く。 加賀屋新田会所跡は見学が自由で、ゆっくりすることが出来た。 庭園が素晴らしく立派で、丁度モミジの紅葉も見頃。
下町の中を歩くと地蔵堂などがあって、延命地蔵尊や薬師如来、不動明王などを見ることが出来た。 府道29号線(新なにわ筋)に出てこれを北に向かって歩く。 住之江公園前の交差点で歩道橋を渡り、住之江通(=長居公園通)を横断。 この日最後の目当てとなる住之江公園へ。
住之江公園は、球技場、野球場、プールなどがあって、散策にはあまり適していないようだ。 大阪護国神社前で行われていた骨董市「日の丸マーケット」をぶらぶらと見る。 毎月末の前日に開催されている。 大阪版ジモティー
地下鉄四つ橋線住之江公園駅から近鉄大阪難波駅経由で帰宅した。
<コース概略> 9:46南海電鉄本線住吉大社駅10:06_住吉公園_住吉高灯籠_住吉大社_大歳神社_<紀州街道>_霰松原神社_11:54大和川河川敷・昼食12:35_加賀屋新田会所跡_大阪護国神社_14:04地下鉄四つ橋線住之江公園駅14:07
<メモ> ・参加者総勢8名。 ・コース歩行距離約6km。 ・実歩行距離約16km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む) ・歩数2万2千歩。(自宅~自宅)
画像は住吉高灯籠。 大阪市のサイト によると、わが国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建というが不詳。 もとは、現地から西約200mのところ(顕彰碑が立っている)にあったが、台風で倒壊したり道路工事で撤去されるなどで当地へ移築された。 当時は海岸近くにあたり、点灯すると十分灯台の役目を果たしたという。
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| あびこ道(駅名)行路面電車。 大阪天王寺~堺を繋ぐ大阪唯一の路面電車。 阪堺電気軌道阪堺線、住吉鳥居前駅付近にて。
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| 毎月辰の日が「初辰」と呼ばれ、その日に招福猫を集め続けると御利益があるという。 通称、初辰さん(はったつさん)。 ちなみに、右手と左手をあげた招き猫がいて右手は商売発達(繁盛)、左手は家内安全を意味している。 住吉大社の楠珺社まいり、初辰さんの招き猫(招福猫)
住吉神社境内、楠珺社(なんくんしゃ)にて。
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| モミジの紅葉。 加賀屋新田会所跡、庭園にて。
加賀屋新田会所跡について、大阪市のサイト によると、 この周辺の地域は、延享2年(1745年)、加賀屋甚兵衛によって干拓が開始されました。 この埋立ては、その後数回にわけて北へ北へと拡張されていきます。 これらの民間資力による開拓事業は、幕府の崩壊で終りますが、その間の開拓総面積は、今日の大阪市域のほぼ3分の1にもあたるものです。 なお当地の会所建築は宝暦4年(1754年)のことです。 小堀遠州流の築山林泉回遊式庭園や数寄屋風の建物が一部現存し、大正時代に「愉園」と名づけられ大阪名園の一つになっています。 平成13年12月11日には、大阪市有形文化財・史跡に指定されています。
おしまい。
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12月5日(水)17:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)44 |
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| 地蔵堂の横に祀られた庚申さん。
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| 「史跡 当麻蹴速之塚」。
当麻蹴速(たいまのけはや)は、垂仁天皇の時代に勇名をはせたと伝わる相撲(蹴り技)の名手。 当麻蹴速
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| この先の辻を左折。
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| 当麻名物、中将餅(和菓子)を買い求めた。
画像は店先。
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| 15時6分、近鉄南大阪線当麻寺駅にゴール。
おしまい。
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12月4日(火)18:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)43 |
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| 民家の玄関先に吊るされた「龍吐水」(りゅうどすい)。
木箱に入れた水を手押しポンプで噴出させる消火用具の一種。 龍が水を吐くさまに見立てて名づけられた。
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| この先、R165當麻寺交差点を横断。
当麻寺駅へ向う。
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| 旧道の辻に地蔵堂と常夜燈。
右の電信柱の横に見える三角形の自然石は道標。
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| 立派な地蔵堂。
今になって撮影した画像を眺めると、お堂の左横に立てられている平らな石が少し気になる。
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| 観音扉を開けてみると、きらびやかにドレスアップされていた。
涎掛けが下へズレ落ちているのだろうか。 中途半端な気がする。 腰巻でもないようだし―笑。
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12月4日(火)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長岡天満宮_西代里山公園_京青の森_柳谷観音 |
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| 2018年11月25日(日)は、山を登る会の第1,019回例会に単独で参加した。 山域は京都西山。
<概要> スタートは阪急京都線長岡天神駅。ゴールは同線西山天王山駅。 集合場所の長岡天神駅へはJR東海道本線長岡京駅から徒歩で向かった。
長岡天神駅をスタートして西に向かって歩き、まずは長岡天満宮へ。 モミジの紅葉もチラホラ見られる中、境内から長岡公園を通り抜ける。
柳谷道(府道79号線)に出合い、これを道なりに南西へ歩く。 太鼓山通りとの出合いで、「柳谷観音常夜燈」を見て引き続き柳谷道を西に向かって歩く。
阪急バス海印寺バス停前を通過し、火ノ尾(ひのお)交差点で大山崎方面(府道204号線)の分岐を左に見送って尚も直進。 このあたり、新しい住宅が次々に建設されているが、旧家の前には昔ながらの愛宕灯篭が数基残っていた。
やがて、左手に巨大な京都縦貫自動車道が見えてくる。 小泉川に架かる柳谷橋を渡り、京都縦貫自動車道を左に見ながら平行して歩くと、「照闇の碑」が現れるが、説明板がない。 長岡京市のサイトによると、「眼の観音様として昔から庶民の信仰を集めた柳谷観音(楊谷寺)への道標だったのかもしれない。」
片山田の交差点で、地蔵石仏と十八丁と彫られた丁石を見て、奥海印寺通りを横断。 前方に山を切り開いて造られた新しい公園、「西代(にしんだい)里山公園」が現れる。 まだ出来立てホヤホヤ。 木の匂いがする建物でトイレ休憩。
西代里山公園を後にして北へ向かい、小泉川に沿って西へ歩く。 この道は記憶にある従来から歩いている柳谷観音への道。
京都縦貫自動車道の高架下を潜る。 舗装道路が地道に変わる頃、立石橋に到着。 西山キャンプ場(閉鎖中)分岐を右に見送り、柳谷観音(西山古道)・ポンポン山方面へ左折。
山林関係者以外の車両通行禁止の鎖を跨ぐとすぐに分岐となり、左に鉄橋が現れる。 鉄橋を渡ると西山古道を経由して柳谷観音。 この日は鉄橋を渡らず、大沢・ポンポン山・善峰寺方面へ直進。 “大沢”とは、三島郡島本町大沢を指している。
やがて林道終点となり、以後はひと一人がやっと通れる程度の山道を、谷に沿ってトラバースする。 滑落注意。
暫く急坂が続き、落葉を踏みしめながら登る。 林道が現れ、以後、林道と平行する形で、京青(きょうせい)の森・十字路へ向かう。 急坂が九十九折に続き、ようやく下りとなるが、最後に丸太の階段を登って京青の森・十字路に到着。 ここから釈迦ヶ岳、ポンポン山を目指す健脚の人が、先頭グループの中に一人いた。
当初、この日のコースは十字路からポンポン山を歩く設定となっていたが、下見で倒木が酷かった為、カットされた。 なので、この日は約12kmと、通常の山行と較べると短めになっている。(通常は概ね16km)
十字路から西山古道を歩いて、昼食場所の柳谷観音へ向かう。 再び、林道が時々現れる。 平行して歩いたり、横断したりする。 分岐には西山古道を示す私製の道標が置かれていた。
右側にベニーカントリー倶楽部が現れ、暫くフェンスに沿って歩く。 このあたり、長岡京市と島本町の市町村境となっている。 ベニーC.C.の上空を北東から南西にかけて通る送電線の下を通る。(山地図に表示) 送電線の付近は潅木が伐採されているので、京都市内の眺望が得られた。
下り道が続き、倒木に注意しながら歩く。 倒木は比較的整備されているので、倒木を跨いだり、潜ったりすることはなく、スムーズに歩けた。
獣避けの金網が登山道脇に続くようになると柳谷観音は近い。 金網の扉が二箇所現れ、これを開閉すると、柳谷観音の駐車場に到着。 ここで昼食となる。 尚、柳谷観音の境内は通常は無料だが、紅葉が見頃の時期は有料となっており希望者のみ入山。
正面参道に回り、今は営業休止となっている「御食事処旭屋」を左に見て歩き、府道734号線(柳谷道)に出てこれを南へ歩く。 分岐で734号線から離れ、左折して急坂を下る。 府道79号線の高架下を潜ると、道幅が狭くなり林道となる。
暫く林道歩きが続く。 やがて右手に「ロータリーの森」が現れる。 南方向の眺望が得られるが、生憎霞んでおり遠望は利かず。 “ロータリーの森”という名前は、京都乙訓ロータリークラブが、西山森林整備事業に参加したことから名付けられたようだ。
眼下に乗願寺、続いて御谷神社の社殿を見遣ると、すぐに車道に出合いこれを左折。 暫く車道を歩き分岐となる。 コースは車道を直進だが、参加者の一人、M氏が提案したオプションコース、天王山方面へ向かった人が何人かいた。 また、Nリーダーは天王山への途中、小倉神社へ下山するコースもあると話していた。 この場合だと、下山の最寄り駅は、本コースと同じ阪急西山天王山駅となる。 私は参加することも考えたが、どちらも既に歩いているコースで、新鮮味に欠けるので参加を見合わせた。
分岐で右に「弥勒谷十三仏」が現れるが、そのまま通過。 脇に道標が立っていた。 (左 浄土谷大佛道 是ヨリ四丁 大阪御花講 / 右 柳谷参拝道×)
「弥勒谷十三仏」を過ぎると、付近の風景は一変する。 周辺はよく整備された竹林で、「西山の筍」の産地となっている。
道路脇に「土御門天皇御陵道 30m先を右折」の案内板を見ながら歩き右折。 暫く竹の落ち葉が積もった山道を下る。 獣避けの金網が現れ、これを開閉すると里に出る。
分岐に大阪皇陵巡拝會が立てた「土御門天皇御陵 左、一町」の道標を見る。 希望者は御陵に立ち寄って、という案内があり、本体は御陵道を歩いて西山天王山駅に向かって歩く。
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高台通りを横断して引き続き御陵道を歩くと、巨大な京都縦貫自動車道が現れる。 朝はこの北側を東から西に向かって歩いていた。 今は自動車道の南側を、小泉川に沿って西から東に向かって歩く。
小泉川の左岸に続く道「下海印寺尾流緑道」(しもかいいんじおりゅうりょくどう)は、クルマが通行しないので歩きやすい。 また自転車専用ラインが設置されていた。
暫く歩くと長岡市教育委員会が設置した「西山田遺跡」 の説明板が立っている。 長岡市コミュニティバス 泉が丘口のバス停前を通過し尚も小泉川に沿って歩く。 阪急京都線の踏み切りの手前で左折。 12時45分、阪急京都線西山天王山駅にゴール。 天下茶屋行の電車に乗って日本橋駅で近鉄奈良線に乗り換え帰宅した。
<コース概略> 8:56阪急京都線長岡天神駅9:15_長岡天満宮_西代(にしんだい)里山公園_立石橋_京青(きょうせい)の森・十字路_11:18柳谷観音・昼食11:40_浄土谷_天王山分岐_土御門(つちみかど)天皇金原陵分岐_12:45阪急京都線西山天王山駅
<その他> ・参加者82名。 ・リーダーN氏 ・コース歩行距離約12km。 ・実歩行距離約18km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km JR長岡京駅~阪急長岡天神駅約1km等を含む) ・歩数2万5千歩。
画像は阪急京都線長岡天神駅から同線西山天王山駅までのGPSログを表示。
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モミジの紅葉。
ベニーカントリー倶楽部(ゴルフ場)に植栽されたモミジ。
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| 京都市内の眺望。
ベニーカントリー倶楽部の上空を、北東から南西にかけて通る送電線下にて。
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| 橋を渡る。
西山古道、柳谷観音手前にて。
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| 西山古道の案内図。
この日は立石橋から浄土橋経由で柳谷観音に向かわず。 一点鎖線で表示されている山道を歩いて京青の森(十字路)へ。 そこから西山古道(赤線)を歩き、ベニーカントリー倶楽部を右に見て柳谷観音へ行った。
西山古道の説明板。
京都西山三山と西山古道 ~祈りと信仰のみち~ 西山古道とは、善峰寺、光明寺、柳谷観音を結ぶ道。 昔は信仰の道として善男・善女に利用されていましたが、戦後、交通機関等の発達によって忘れられてきておりました。 近年、環境破壊、里山再生、健康志向の山歩き・ハイキング人口の増加によって復興の機運が高まり、NPO法人京おとくに・街おこしネットワークの尽力にて今回整備・復興する運びとなりました。 都市部の近隣にある豊な自然を再確認し後世に伝え、また京都西山の歴史や魅力を発見していただく一助となれば幸いです。 京都西山三山 善峰寺・光明寺・柳谷観音
おしまい。
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12月3日(月)17:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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酒蔵みてある記 2018-2019 |
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| 毎年恒例、近鉄の「酒蔵みてある記」、2018-2019版のパンフです。本日ゲットしました。
12月~2019年2月。
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| 2019年3月。
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12月2日(日)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)42 |
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| 當麻町当時のマンホール。 現在は新庄町と合併して葛城市。
二上山と當麻寺の二つの三重塔、町の花“ボタン”がデザインされている。 二上山の雄岳の麓に見えるマークは旧當麻町の町章。
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| 参道沿いにある食事処“釜めし玉や”。
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| 旧當麻町の玄関先に見られる注連縄。
當麻天神講(旧當麻町大字當麻に伝わる天神さん信仰)によるもの。 天神講の家の中に悪神が入ってこないよう、家族の安全を祈って掲げられる。 當麻天神講
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| 地蔵堂と常夜燈に立ち寄る。
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| 光の当たり具合でお顔が暗いが、微笑んでいるように見える。 おちょぼ口?
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12月1日(土)18:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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長尾街道3(関屋_大坂山口神社_当麻寺)41 |
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| 當麻寺
當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんもりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せています。 用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇二十年(612)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳十一年(681)に麻呂子王の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。 金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門などが独特の伽藍配置で建ちならんでいます。 とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。 宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以後現在まで真言浄土の二宗を併立し八ケ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちになっています。 また金堂にある弥勒仏座像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えており国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。 ボタンの名所としても有名で四月下旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落ちついた雰囲気に色をそえています。 五月十四日には、中将姫ゆかりの”練り供養”が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。 平成元年3月吉日 葛城市観光協会
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| 中将姫
中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。 その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより當麻寺へ入り、称讃浄土経(しょうさんじょうどきょう)の一千巻の写経を達成し、十七歳で中将法如(ちゅうじょうほうにょ)として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄(ひゃくだ)の蓮茎(ねんけい)を集めて蓮糸を繰(く)り、これを井戸にひたすと糸は五色に染まりました。 そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約四メートル四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げました。 姫が二十九歳の春、雲間から一丈の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。 「練供養」は、その伝統を再現したもので、毎年五月十四日に當麻寺において行われています。
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| 仁王門の金剛力士像。阿形。(あぎょう)
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| 吽形。(うんぎょう)
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| 仁王門下の石段を降りる。
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12月1日(土)18:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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