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2018年12月31日を表示

薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園37

礎石かと思ったが、自然石の踏み石。


葉が落ちた樹形が美しい木がある。
その後に石段が続き、石段の取り付きに石仏らしきが見えたので立ち寄る。(画像の右端)



石仏ではないようだ。
着物を召している様に見える。
右手に団扇のようなものをお持ち。



葉が落ちた樹形が美しい木はリョウブかもしれない。


石段を登り詰めると、平坦なところに石仏が祀ってあったので立ち寄る。


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薬師禅寺_天皇の杜古墳_福成寺_洛西竹林公園36

画像の右、手摺のあるところから入る。


宝珠山 福成寺

福成寺は、桓武天皇による長岡京遷都に伴い、延暦三年(七八四)、鎮護道場として創建されたと伝えられ、千二百三十余年の長い歴史を有する古刹である。
当時は、広大な敷地に多くの塔頭を擁する大寺院であったが、平安時代には衰退して、真言宗の寺院となった。
南北朝時代に建仁寺第二十六世・高山慈照(広済禅師)の手により、臨済宗の寺院として再興された。
その当時は、多くの修業僧を抱える大道場であったが、建武五年(一三三八)に、そこで守られるべき規則として定められたのが、「福成寺規式」である。
この文書は、平成十九年(二〇〇七)、国の重要文化財に指定されたが、現在は、建仁寺の塔頭、霊洞院が保管している。
その後、寺は応仁の乱で焼失し、江戸時代の文政十年(一八二七)に本堂が再建された。
本尊は十一面観音菩薩立像で、絡西三十三所観音霊場の第三十一番札所である。
脇侍の大日如来像は、定朝様(じょうちょうよう)式を備えた藤原時代中期の作で、中興の祖、広済禅師像とあわせ祀られている。
寺内にある権現堂では、毎年二月十一日、五穀豊穣を祈る伝統行事、「行講」(おこないこう)が、地域の草分けによって今日まで伝承されている。
現在、福成寺は、臨済宗建仁寺派の末寺である。
京都市



切り株。
後でわかったが、台風の影響で、境内にはこのような切り株があちこちに見られた。



竹を置いて“通せんぼ”している。
この先、石段が崩れかけている。
正面に少し見えるお堂に蔵王大権現が祀ってあり、後でお参りした。



山門を潜る。
頭上に掲げられている扁額、残念ながら文字が読めない。



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